予備試験 令和7年 刑事訴訟法
問題文
次の【事例】を読んで、後記〔設問1〕及び〔設問2〕に答えなさい。
【事例】
1 甲は、自宅において、交際相手のAが、甲の実子であるV(生後2か月)の頭部を殴るのを目撃した。その約2時間後、甲は、Vがぐったりした様子になっているのを見て、Vが瀕死状態であると思い、このままVを病院に連れて行けばAや自己に犯罪の嫌疑がかけられると考えた。そこで、甲は、自動車を運転し、Vを山中に運び、道路脇の山林に遺棄した。Vは、翌日、同山林において死体で発見された。
甲は、保護責任者遺棄罪で逮捕され、その後、「被告人は、実子であるV(令和6年6月1日生、当時0歳)とH県I市J町1丁目2番3号所在の被告人方において同居していたものであるが、令和6年8月5日午後6時頃、Vが頭部に傷害を負い、瀕死の状態に陥っていることを認めたのであるから、その生存に必要な保護をすべき責任があったにもかかわらず、その頃から同日午後7時頃までの間に、Vを被告人方から同市L町456番地先山林まで自動車で運び、Vを同山林に置き去りにし、もって幼年者かつ病者を遺棄したものである。」との公訴事実により、保護責任者遺棄罪でH地方裁判所に起訴された。
2 甲の弁護人は、第1回公判期日の冒頭手続において、「甲がVを遺棄した時点において、Vは既に死亡していたものであるから、保護責任者遺棄罪は成立しない。」旨主張し、同期日は冒頭手続のみで終了した。
検察官は、同主張を踏まえて検討した結果、甲がVを遺棄した時点でVが生存していたことの立証ができない可能性があると考えた。そこで、検察官は、第2回公判期日において、証拠調べ手続の開始前に、「被告人は、令和6年8月5日午後6時頃から同日午後7時頃までの間に、実子であるV(令和6年6月1日生、当時0歳)の死体をH県I市J町1丁目2番3号所在の被告人方から同市L町456番地先山林まで自動車で運び、同死体を同山林に投棄し、もって死体を遺棄したものである。」との死体遺棄罪の予備的訴因の追加を請求した。
〔設問1〕
下線部の予備的訴因の追加につき、裁判所はこれを許可すべきかについて論じなさい。
〔設問2〕
裁判所が、下線部の予備的訴因の追加を適法に許可したとする。証拠調べの結果、裁判所が、甲がVを遺棄した事実は間違いないものの、遺棄した時点において、Vが生きていたか死んでいたかは明らかでないとの心証を得た場合、甲に死体遺棄罪が成立すると認定して有罪の判決をすることは許されるかについて論じなさい。
出題の趣旨
法務省が公表した出題の趣旨です。
本問は、実母が自宅でぐったりした様子になっていた実子を山林に運んで遺棄し、翌日、実子が同山林において死体で発見された事実に関して、検察官が実母を保護責任者遺棄罪で公判請求した後、予備的訴因として死体遺棄罪を追加した事例を題材に、刑事訴訟法の基本的知識の有無を問うとともに、具体的事案に対する応用力を問う問題である。
設問1は、裁判所が検察官による予備的訴因の追加を許可すべきかについて検討することを通じて、訴因変更の可否を画する刑事訴訟法第312条第1項の「公訴事実の同一性」についての基礎的理解を示すことが求められる。
設問2は、被告人が、大小関係のないそれぞれ異なる構成要件にかかるα罪又はβ罪のいずれかに該当する犯罪事実を行ったことに疑いはないものの、そのいずれを行ったかが不明であるという場合に、裁判所が被告人に有利な軽い方の罪の成立を認定して有罪とすることができるかを検討することを通じて、利益原則及び罪刑法定主義についての理解を示すことが求められる。
参考答案AI生成(出題の趣旨と論証集をもとに作成した目安です)
第1 設問1
1 問題の所在
検察官は、弁護人が第1回公判期日の冒頭手続において「遺棄時点でVは既に死亡していた」と主張したことを受け、遺棄時点でのVの生存を立証できない可能性があると考え、保護責任者遺棄罪の訴因に、死体遺棄罪の訴因を予備的に追加することを請求している。予備的訴因の追加は、訴因の「追加」(刑訴法312条1項)に当たり、裁判所は「公訴事実の同一性を害しない限度において」これを許可しなければならない。そこで、両訴因の間に公訴事実の同一性が認められるかが問題となる。
2 判断基準
(1) 刑訴法312条1項が訴因変更を公訴事実の同一性の範囲内に限定する趣旨は、一個の刑事手続で審判し得る範囲を画し、被告人の防御の範囲を確保するとともに、一事不再理効(憲法39条、刑訴法337条1号)の及ぶ範囲と対応させて、同一の事実について被告人が重ねて訴追される負担を避ける点にある。
(2) したがって、公訴事実の同一性は、新旧両訴因の基本的事実関係が同一であるか否かによって判断すべきである。具体的には、①両訴因の罪となるべき事実の間に、日時、場所、行為、客体等の主要部分において共通性があるか、②両訴因の事実が両立しない関係にあり、一方が認められれば他方は認められないため、両者を一個の手続で処理し一回の処罰で済ませることが合理的といえるか、を総合して判断する。両訴因が非両立の関係にあることは、両者が社会的に一個の事件であることを示す有力な事情となる。
3 あてはめ
(1) 共通性
旧訴因は、令和6年8月5日午後6時頃から午後7時頃までの間に、甲が、頭部に傷害を負い瀕死の状態にあるV(当時0歳)を、I市J町1丁目2番3号の甲方から同市L町456番地先山林まで自動車で運び、同山林に置き去りにし、幼年者かつ病者を遺棄したというものである。新訴因は、同じ日時に、甲が、Vの死体を同じ甲方から同じ山林まで自動車で運び、同山林に投棄したというものである。両訴因は、行為の日時、場所、自動車による運搬及び山林への遺棄という行為の態様、客体がVという同一人(その生体か死体か)である点において、主要な事実のほとんどが共通している。異なるのは、遺棄の時点でVが生存していたか死亡していたかという点のみであり、これにより適用される罰条が保護責任者遺棄罪(刑法218条)か死体遺棄罪(同法190条)かが分かれるにすぎない。
(2) 非両立性
また、遺棄の時点でVが生存していたのであれば保護責任者遺棄罪が成立し得るが死体遺棄罪は成立せず、Vが既に死亡していたのであれば死体遺棄罪が成立し得るが保護責任者遺棄罪は成立しない。両訴因は、同一の遺棄行為についてVの生死という事実の評価を異にするものであって、論理的に両立しない関係にある。したがって、両者は社会的に一個の事件であり、一個の手続で審判し、一回の処罰で済ませることが合理的である。
(3) 以上から、両訴因の基本的事実関係は同一であり、公訴事実の同一性が認められる。
4 その他の事情
予備的訴因の追加の請求は、弁護人の主張により遺棄時点のVの生死が争点となることが明らかになったことを受けて、第2回公判期日の証拠調べ手続開始前になされたものであり、審理の初期段階であって被告人の防御に不意打ちを与えるものではなく、立証の困難に備えるという目的にも不当な点はない。追加される死体遺棄罪は法定刑が3年以下の拘禁刑であり、保護責任者遺棄罪(3月以上5年以下の拘禁刑)より軽く、被告人に不利益な訴因の追加でもない。本件は公判前整理手続に付されておらず、同手続の趣旨による制限も問題とならない。
5 結論
よって、裁判所は、下線部の予備的訴因の追加を許可すべきである。なお、裁判所は、訴因の追加により被告人の防御に実質的な不利益を生ずるおそれがあると認めるときは、被告人又は弁護人の請求により、防御準備のため必要な期間、公判手続を停止しなければならない(刑訴法312条4項)。
第2 設問2
1 問題の所在
裁判所は、甲がVを遺棄した事実は認められるが、遺棄時点のVの生死は明らかでないとの心証を得ている。この場合、裁判所が、予備的訴因である死体遺棄罪の成立を認定して有罪とすることが許されるか。保護責任者遺棄罪と死体遺棄罪のいずれかが成立することは確実であるが、そのいずれであるかが不明であるという場合の、いわゆる択一的認定の可否が問題となる。
2 判断基準
(1) 有罪判決をするには、罪となるべき事実が合理的な疑いを超えて証明されなければならず、証明が不十分な場合には「疑わしきは被告人の利益に」の原則(利益原則)に従って被告人に有利に判断しなければならない。利益原則は、犯罪事実の存否が不明な場合に、その事実が存在しないものとして扱うことを命ずる原則である。
(2) 他方、罪刑法定主義(憲法31条)の下では、有罪判決は特定の構成要件に該当する事実が証明されて初めて許される。したがって、「保護責任者遺棄罪又は死体遺棄罪」という形で罪となるべき事実を択一的に認定すること(明示的択一的認定)は、刑法上存在しない構成要件によって処罰するに等しく、許されない。問題は、生死不明のまま軽い死体遺棄罪の事実を認定すること(秘められた択一的認定)が許されるかである。一方の罪の構成要件要素が他方の罪の構成要件要素を包含する大小関係にある場合(例えば窃盗と占有離脱物横領)には、重い罪の証明がない以上、利益原則により軽い罪の構成要件事実は証明されたものとして認定することができる。これに対し、両罪の構成要件が大小関係になく、互いに論理的に両立しない異なる事実を要素とする場合には、利益原則によって重い罪の事実を否定することはできても、軽い罪に固有の構成要件事実が証明されたことにはならない。いずれかの構成要件には該当するという理由で軽い罪を認定することは、証明されていない事実を認定して処罰することにほかならず、罪刑法定主義及び利益原則に反する。したがって、このような場合には、いずれの罪についても無罪としなければならないと解する。
3 あてはめ
(1) 保護責任者遺棄罪は、客体が生存する「老年者、幼年者、身体障害者又は病者」であることを要し、死体遺棄罪は、客体が「死体」であることを要する。両罪の客体は、生存者か死体かという点で論理的に両立しない関係にあり、一方が他方を包含する大小関係にはない。また、保護法益も、前者は人の生命・身体の安全、後者は死者に対する敬虔感情ないし公衆の宗教的感情であって、質的に異なり、死体遺棄罪が保護責任者遺棄罪に内包される縮小類型であるともいえない。
(2) 本件では、裁判所は、遺棄の時点でVが生きていたか死んでいたかは明らかでないとの心証を得ているのであるから、死体遺棄罪の構成要件要素である「死体」すなわちVが遺棄時に死亡していたという事実は、合理的な疑いを超えて証明されていない。利益原則を適用すれば、Vが生存していたとの事実が証明されていない以上、保護責任者遺棄罪は認定できない。しかし、利益原則は、証明のない事実を存在しないものとして扱う原則であって、Vが死亡していたという積極的事実を証明なしに認定することを許すものではない。Vが生存していたと認定できないことと、Vが死亡していたと認定できることとは別の事柄である。しかも、甲はVを瀕死状態、すなわち生存していると認識して遺棄したのであるから、死体遺棄罪を認定することは、客体についての甲の認識とも整合しない。
(3) この点、甲がVを遺棄した行為自体は明らかであり、法定刑の軽い死体遺棄罪を認定することは被告人に不利益ではなく、いずれの罪にも問えないとすることは正義に反するとして、利益原則を適用して死体遺棄罪の認定を許容する見解もある(札幌高判昭61.3.24参照)。しかし、被告人に有利であることを理由に構成要件事実の証明を不要とすることは、処罰の必要性から罪刑法定主義の要請を後退させるものであり、採り得ない。保護責任者遺棄罪か死体遺棄罪かのいずれかに該当することが確実であるという「事実」は、刑法上のいかなる構成要件にも該当しない事実であって、これを処罰の根拠とすることはできない。遺棄時の生死という事実の立証責任は検察官にあり、その証明が尽くされないことによる不利益は検察官が負うべきである。
4 結論
よって、裁判所が、甲に死体遺棄罪が成立すると認定して有罪の判決をすることは許されず、裁判所は、主位的訴因及び予備的訴因のいずれについても証明が不十分であるとして、無罪の判決(刑訴法336条)をしなければならない。
以上