司法試験 平成28年 商法
問題文
[民事系科目]〔第2問〕(配点:100〔〔設問1〕から〔設問3〕までの配点の割合は,3.5:3:3.5〕)
次の文章を読んで,後記の〔設問1〕から〔設問3〕までに答えなさい。
1.甲株式会社(以下「甲社」という。)は,取締役会及び監査役を置いている。甲社の定款には取締役は3名以上とする旨の定めがあるところ,A,Bほか4名の計6名が取締役として選任され,Aが代表取締役社長として,Bが代表取締役専務として,それぞれ選定されている。また,甲社の定款には,取締役の任期を選任後10年以内に終了する事業年度のうち最終のものに関する定時株主総会の終結の時までとする旨の定めがある。甲社の監査役は,1名である。
甲社は種類株式発行会社ではなく,その定款には,譲渡による甲社の株式の取得について取締役会の承認を要する旨の定めがある。甲社の発行済株式及び総株主の議決権のいずれも,25%はAが,20%はBが,それぞれ保有している。
2.甲社は建設業を営んでいたが,甲社においては,Aが事業の拡大のために海外展開を行う旨を主張する一方で,Bが事業の海外展開を行うリスクを懸念し,Aの主張に反対しており,AとBが次第に対立を深めていった。Aは,事業の海外展開を行うために必要かつ十分な調査を行い,その調査結果に基づき,事業の海外展開を行うリスクも適切に評価して,取締役会において,事業の拡大のために海外展開を行う旨の議案を提出した。この議案については,Bが反対したものの,賛成多数により可決された。
甲社はこの取締役会の決定に基づき事業の海外展開をしたが,この海外事業は売上げが伸びずに低迷し,甲社は3年余りでこの海外事業から撤退した。
3.この間にAと更に対立を深めていたBは,取締役会においてAを代表取締役から解職することを企て,Aには内密に,Aの解職に賛成するように他の取締役に根回しをし,Bを含めてAの解職に賛成する取締役を3名確保することができた。甲社の取締役会を招集する取締役については定款及び取締役会のいずれでも定められていなかったことから,Bは,Aの海外出張中を見計らって臨時取締役会を開催し,Aを代表取締役から解職する旨の議案を提出することとした。
4.Bは,Aが海外出張に出発したことから,臨時取締役会の日の1週間前にAを除く各取締役及び監査役に対して取締役会の招集通知を発した。この招集通知には,取締役会の日時及び場所については記載されていたが,取締役会の目的である事項については記載されていなかった。
Aの海外出張中に, Aを除く各取締役及び監査役が出席し, 臨時取締役会が開催された。 Bは,この臨時取締役会において,議長に選任され,Aを代表取締役から解職する旨の議案を提出した。この議案については,賛成3名,反対2名の賛成多数により可決された。
5.Aが,海外出張から帰国し,Aを代表取締役から解職する旨の臨時取締役会の決議の効力を強硬に争っていたところ,臨時取締役会の決議においてAの解職に反対した取締役のうちの一人が,甲社の内紛に嫌気がさし,取締役を辞任した。そこで,Bは,各取締役及び監査役の全員が出席する定例取締役会であっても,Aの解職の決議をすることができる状況にあると考え,解職を争っていたAを含む各取締役及び監査役の全員が出席した定例取締役会において,念のため,再度,Aを代表取締役から解職する旨の議案を提出した。この議案については,賛成多数により可決された。また,甲社においては,取締役の報酬等の額について,株主総会の決議によって定められた報酬等の総額の最高限度額の範囲内で,取締役会の決議によって役職ごとに一定額が定められ,これに従った運用がされていた。この運用に従えば,Aの報酬の額は,月額50万円となるところ,Bは,この定例取締役会において,Aの解職に関する議案に続けて,解職されたAの報酬の額を従前の代表取締役としての月額150万円から月額20万円に減額する旨の議案も提出した。この議案についても,賛成多数により可決された。この定例取締役会において,BがAの後任の代表取締役社長として選定された。
〔設問1〕
⑴ Aを代表取締役から解職する旨の上記4の臨時取締役会の決議の効力について, 論じなさい。
⑵ Aの報酬の額を減額する旨の上記5の定例取締役会の決議の後,Aは,甲社に対し,月額幾らの報酬を請求することができるかについ て,論じなさい。なお,Aが代表取締役から解職されたことを前提とする。
6.代表取締役から解職されたAは,甲社の株主として,定時株主総会において,Aの解職に賛成したBら3名を取締役から解任しようと考え,Bら3名の取締役の解任及びその後任の取締役の選任をいずれも株主総会の目的とすることを請求するとともに,これらに関する議案の要領をいずれも定時株主総会の招集通知に記載するように請求した。
甲社の定時株主総会の招集通知には,会社提案として,海外事業の失敗を理由とするAの取締役の解任に関する議案が,Aの株主提案として,上記Bら3名の取締役の解任に関する議案及びその後任の取締役の選任に関する議案が,それぞれ記載されていた。
7.甲社の定時株主総会においては,Aの取締役の解任に関する議案は可決され,上記Bら3名の取締役の解任に関する議案及びその後任の取締役の選任に関する議案はいずれも否決された。
なお,Aの取締役としての任期は,8年残っていた。
〔設問2〕
⑴ 上記7の定時株主総会において取締役から解任されたAが,甲社に対し,解任が不当であると主張し,損害賠償請求をした場合におけ る甲社のAに対する会社法上の損害賠償責任について,論じなさい。
⑵ 仮に,上記6の定時株主総会の招集通知が発せられた後,Aが多額の会社資金を流用していたことが明らかとなったことから,Aが, Aの取締役の解任に関する議案が可決されることを恐れ,旧知の仲である甲社の株主数名に 対し,定時株主総会を欠席するように要請し,その結果,定時株主総会が,定足数を満たさ ず,流会となったとする。この場合において,①Bが,甲社の株主として,訴えをもってA の取締役の解任を請求する際の手続について,説明した上で,②この訴えに関して考えられる会社法上の問題点について,論じなさい。
8.甲社は,内紛が解決した後,順調に業績が伸び,複数回の組織再編を経て,会社法上の公開会社となり,金融商品取引所にその発行する株式を上場した。現在,甲社の資本金の額は20億円で,従業員数は3000名を超え,甲社は監査役会及び会計監査人を置いており,Cが代表取締役社長を,Dが取締役副社長を,それぞれ務めている。
9.甲社の取締役会は「内部統制システム構築の基本方針」を決定しており,甲社は,これに従い,法務・コンプライアンス部門を設け,Dが同部門を担当している。また,甲社は,内部通報制度を設けたり,役員及び従業員向けのコンプライアンス研修を定期的に実施するなどして,法令遵守に向けた取組を実施している。さらに,甲社は,現在,総合建設業を営んでいるところ,下請業者との癒着を防止するため,同規模かつ同業種の上場会社と同等の社内規則を制定しており,これに従った体制を整備し,運用している。
10.甲社の内部通報制度の担当者は,平成27年3月末に,甲社の営業部長を務めるEが下請業者である乙株式会社(以下「乙社」という。)の代表取締役を務めるFと謀り,甲社が乙社に対して発注した下請工事(以下「本件下請工事」という。)の代金を水増しした上で,本件下請工事の代金の一部を着服しようとしているとの甲社の従業員の実名による通報(以下「本件通報」
という。)があった旨をDに報告した。ところが,その報告 を受けたDは,こ れまで,甲社において,そのような不正行為が生じたことがなかったこと,会計監査人からもそのような不正行為をうかがわせる指摘を受けたことがなかったこと,EがDの後任の営業部長であり,かつて直属の部下であったEに信頼を置いていたことから,本件通報には信ぴょう性がないと考え,本件下請工事や本件通報については,法務・コンプライアンス部門に対して調査を指示せず,Cを含む他の取締役及び監査役にも知らせなかった。
11.甲社の内部通報制度の担当者は,その後,Dから,法務・コンプライアンス部門に対し,本件下請工事や本件通報についての調査の指示がなかったことから,平成27年5月に,本件通報があった旨をCにも報告した。その報告を受けたCは,直ちに,本件下請工事や本件通報について,法務・コンプライアンス部門に対して調査を指示した。
12.甲社の法務・コンプライアンス部門が調査をした結果,2週間程度で,以下のとおり,EとFが謀り,本件下請工事について不正行為をしていたことが判明した。
⑴ EとFは,本件下請工事について,合理的な代金が1億5000万円であることを理解していたにもかかわらず,代金を5000万円 水増しして,2億円と偽り,水増しした5000万円を後に二人で着服することをあらかじめ合意していた。
⑵ 甲社の社内規則上,甲社が発注する下請工事の代金が1億円以上となると,複数社から見積りを取得する必要が生じることから,Eが ,Fに対し,本件下請工事について,形式上,工事を三つに分割して見積書を3通作成する ことを指示し,乙社は,①第一工事の代金を8000万円,②第二工事の代金を5000万 円,③第三工事の代金を7000万円として,本件下請工事について代金が合計2億円となるように3通の見積書を作成し,甲社に提出した。
⑶ Eは,甲社の関係部署を巧妙に欺き,3通の見積書がそれぞれ別工事に関わるものであると誤信させた。これにより,甲社は,平成2 6年9月に,乙社との間で,上記の各見積書に基づき3通の注文書と注文請書を取り交わし た上で,以後,乙社に対し,毎月末の出来高に応じて翌月末に本件下請工事の代金を支払っていった。
⑷ 甲社は,本件下請工事が完成したことから,乙社に対し,平成27年4月末に残金合計3000万円を支払い,その後,EとFが,甲 社が乙社に対して支払った本件下請工事の代金から5000万円を着服した。
⑸ 甲社の会計監査人は,平成27年1月に,乙社に対し,甲社の平成26年12月期の事業年度の計算書類及びその附属明細書等の監査 のために,本件下請工事の代金の残高についての照会書面を直接郵送し,回答書面の直接返 送を求める方法で監査を行ったが,Eは,Fに対し,回答書面にEが指定した金額を記載し て返送するように指示をするなど,不正が発覚することを防止するための偽装工作を行っていた。
〔設問3〕 上記8から12までを前提として,①Cの甲社に対する会社法上の損害賠償責任及び②Dの甲社に対する会社法上の損害賠償責任について,それぞれ論じなさい。
出題の趣旨
法務省が公表した出題の趣旨です。
〔第2問〕本問は,① 会社法上の公開会社でない取締役会設置会社において,取締役会の開催に当たり,当該取締役会において解職決議がされた代表取締役に対する招集通知を欠いた場合における当該取締役会の決議の効力(設問1⑴),② 取締役の報酬の額について,株主総会の決議によって定められた報酬等の総額の最高限度額の範囲内で取締役会の決議によって役職ごとに一定額が定められこれに従った運用がされていた会社において,役職の変動に伴い,その運用により定まる報酬の額よりも更に減額する旨の取締役会の決議がされた場合に,取締役が会社に対して請求することができる報酬の額(設問1⑵),③ 株主総会において取締役から解任された者が,その解任について正当な理由がないとして,損害賠償請求をした場合における会社の損害賠償責任(設問2⑴),④ 役員の解任の訴えの手続と,役員の解任を議題として招集された株主総会が定足数を満たさずに流会となった場合において,役員の解任の訴えを提起することの可否(設問2⑵),⑤ 役員等の会社に対する損害賠償責任と,大会社である取締役会設置会社における代表取締役等の内部統制システムの構築義務及び運用義務(設問3)に関する理解等を問うものである。
設問1⑴においては,取締役会の招集権者(会社法第366条第1項)や,取締役会の目的である事項の特定の要否を含む招集手続(会社法第368条第1項),決議要件(会社法第369条第1項,第2項)について正確に理解していることが前提となる。そして,取締役会の開催に当たり,一部の取締役に対する招集通知を欠いた場合には,特段の事情がない限り,その招集手続に基づく取締役会の決議は無効であるが,その取締役が出席してもなお決議の結果に影響を及ぼさないと認めるべき特段の事情があるときは,決議は有効であるとする判例(最三判昭和44年12月2日民集23巻12号2396頁)や,代表取締役の解職決議については,その代表取締役は,特別利害関係を有する者に当たるとする判例(最二判昭和44年3月28日民集23巻3号645頁)を意識しながら,会社法上の公開会社でない取締役会設置会社において(いわゆる閉鎖会社においては,特別利害関係を有する者に当たらないという見解等もある。),取締役会の開催に当たり,当該取締役会において解職決議がされた代表取締役に対する招集通知を欠いた場合に,上記の特段の事情があると認めることができるかどうかを説得的に論ずることが求められる。その際には,特別利害関係を有する者に当たると,当該取締役会の審議に参加して意見を述べることも認められないか否かや,Aが当該取締役会の審議に参加することが認められる場合であっても,Aの意見が決議の結果を動かさないであろうことが確実に認められるか否かなどについても触れつつ,事案に即して具体的に検討されることが望ましい。
設問1⑵においては,取締役の報酬等の額について,定款に定めていないときは,株主総会の決議によって定めるが(会社法第361条第1項),判例(最三判昭和60年3月26日判時1159号150頁)は,株主総会の決議により,取締役全員に支給する総額の最高限度額を定め,各取締役に対する配分額の決定は,取締役会の決定に委ねてもよいとしていることや,取締役の報酬等の額が具体的に定められた場合には,その額は,会社と取締役間の契約内容となり,契約当事者である会社と取締役の双方を拘束するから,当該取締役が同意しない限り,会社が一方的にその報酬等の額を減額することはできないと解されていること(最二判平成4年12月18日民集46巻9号3006頁参照)を意識しながら,取締役の報酬等の額について,株主総会の決議によって定められた報酬等の総額の最高限度額の範囲内で,取締役会の決議によって役職ごとに一定額が定められ,これに従った運用がされていた場合に,取締役が,役職の変動に伴う報酬の減額に同意していたと認められるかどうかを事案に即して論ずることが求められる。なお,上記のとおりの運用により定まる報酬の額の範囲内で,Aが,役職の変動に伴う報酬の減額に同意していたと認められるとすれば,Aの報酬の額を減額する旨の定例取締役会の決議の後であっても,Aは,甲社に対し,その運用により定まる月額50万円の報酬を請求することができることとなろう。
設問2⑴においては,取締役は,いつでも,かつ,事由のいかんを問わず,株主総会の決議によって解任することができる(会社法第339条第1項)が,会社は,その解任について正当な理由がある場合を除き,任期満了前に取締役を解任したときは,取締役に対し,解任によって生じた損害を賠償しなければならない(同条第2項)ことを理解していることが前提となる。その上で,Aが,事業の海外展開を行うために必要かつ十分な調査を行い,その調査結果に基づき,事業の海外展開を行うリスクも適切に評価していたことから,このような経営判断に基づいた海外事業の失敗が,正当な理由に含まれるかどうかについて,会社法第339条第2項の趣旨や「正当な理由」の意義も踏まえつつ,説得的に論ずることが求められる。そして,このような海外事業の失敗が正当な理由に含まれないとする場合には,会社が取締役に対して賠償しなければならない損害の範囲ないし額について,Aの取締役としての任期が8年と長期間残っていたことをその減額要素として考慮することができるかどうかにも言及した上で,検討することも求められる。
設問2⑵においては,役員の解任の訴えについては,会社法上の公開会社でない株式会社の場合には,役員の職務の執行に関し不正の行為等があったにもかかわらず,当該役員を解任する旨の議案が株主総会において否決されたときに,総株主(当該役員を解任する旨の議案について議決権を行使することができない株主及び当該請求に係る役員である株主を除く。)
の議決権の100分の3以上の議決権を有する株主(当該役員を解任する旨の議案について議決権を行使することができない株主及び当該請求に係る役員である株主を除く。 )又は発行済株式(当該株式会社である株主及び当該請求に係る役員である株主の有する株式を除く。 )
の100分の3以上の数の株式を有する株主(当該株式会社である株主及び当該請求に係る役員である株主を除く。)が,当該株主総会の日から30日以内に提起することができること(会社法第854条第1項,第2項)を説明することが求められる。
また,役員の解任の訴えについては,会社及び当該役員を被告とすること(会社法第855条)や,本問においては,代表取締役Bが株主として甲社及び取締役Aを被告として役員の解任の訴えを提起することとなるため,監査役が甲社を代表すること(会社法第386条第1項第1号),役員の解任の訴えは,会社の本店の所在地を管轄する地方裁判所の管轄に専属すること(会社法第856条)を説明することも期待される。
その上で,役員の解任を議題として招集された株主総会が定足数を満たさずに流会となった場合において,役員の解任の訴えを提起することができるかどうかについて,会社法第854条第1項に規定する「当該役員を解任する旨の議案が株主総会において否決されたとき」
の意義を役員の解任の訴えの制度の趣旨等に照らして解釈するなどしながら,説得的に論ずるとともに,会社資金の流用という役員の職務の執行に関し不正の行為等があったと認められることに言及することが求められる。
設問3においては,取締役は,株式会社に対し,その任務を怠ったこと(任務懈怠)によって生じた損害を賠償する責任を負うこと(会社法第423条第1項)や,任務懈怠責任は,取締役の株式会社に対する債務不履行責任の性質を有するため,任務懈怠,会社の損害,任務懈怠と損害との間の因果関係に加え,取締役の帰責事由が必要であること(会社法第428条第1項参照)について理解していることが前提となる。そして,大会社である取締役会設置会社においては,取締役会は,内部統制システムの整備を決定しなければならず(会社法第362条第5項,第4項第6号),善管注意義務(会社法第330条,民法第644条)
及び忠実義務(会社法第355条)の一内容として,取締役は,取締役会において,会社が営む事業の規模や特性等に応じた内部統制システムを決定する義務を負い,代表取締役等は,取締役会の決定に基づいて,事業の規模等に応じた内部統制システムを構築して運用する義務を負うことについて,的確に論ずることが求められる。
その上で,まず,甲社について,その事業の規模や特性等に応じた内部統制システムが決定され,構築されているかどうかを事案に即して丁寧に検討することが求められる。
次に,構築された内部統制システムの運用については,C及びDのそれぞれに任務懈怠が認められるかどうかを事案に即して丁寧に検討することが求められる。Cに任務懈怠が認められるかどうかを検討するに当たっては,構築された内部統制システムを運用する際に,会社が営む事業の規模や特性等に応じた内部統制システムが外形上機能している場合には,他の役職員がその報告のとおりに職務を遂行しているものと信頼することができるかどうかについても,検討することが期待される。また,Dに任務懈怠が認められるかどうかを検討するに当たっては,これまで甲社において同様の不正行為が生じたことがなく,また,会計監査人からも不正行為をうかがわせる指摘を受けたことがなかったものの,本件通報は甲社の従業員の実名によるものであることなどの事情を踏まえた上で,本件通報があった旨の報告を受けていたDが,本件通報には信ぴょう性がないと考え,本件通報等の調査を指示しなかったことなどをどのように評価すべきかについても,具体的に検討することが期待される。
そして,任務懈怠及び帰責事由が認められるとする場合には,因果関係が認められる損害の範囲ないし額についても,検討することが求められる。なお,構築された内部統制システムの運用について,Dに任務懈怠があったと認められるとしても,本問において,Dは,平成27年3月末に本件通報があった旨の報告を受けており,甲社は,乙社に対し,同年4月末に残金合計3000万円を支払ったこと,他方で,Cの指示により甲社の法務・コンプライアンス部門が調査をした結果,2週間程度で,EとFが謀り,本件下請工事について不正行為をしていたことが判明したことからすれば,Dの任務懈怠との間で,当然に因果関係が認められる損害の範囲ないし額は,EとFが着服した5000万円の全額ではなく,甲社が乙社に対して同月末に支払った3000万円とすることが考えられよう。
参考答案AI生成(出題の趣旨と論証集をもとに作成した目安です)
第1 設問1
1 小問(1) 上記4の臨時取締役会の決議の効力
(1)招集手続の瑕疵
取締役会は、各取締役が招集する。ただし、取締役会を招集する取締役を定款又は取締役会で定めたときは、その取締役が招集する(会社法366条1項)。甲社では招集権者が定款にも取締役会にも定められていないから、Bも取締役会を招集することができる。この点に瑕疵はない。
また、取締役会を招集する者は、取締役会の日の1週間前までに各取締役及び各監査役に対して通知を発しなければならない(368条1項)。本件では、Bは臨時取締役会の日の1週間前に通知を発しているが、Aを除く各取締役及び監査役に対して発したのみであり、取締役Aに対する招集通知を欠く。これは368条1項に違反する。
なお、招集通知には取締役会の目的である事項が記載されていなかったが、取締役会は経営の専門家である取締役が随時協議して機動的に意思決定をする機関であり、株主総会の場合(298条1項2号、299条4項)と異なり、招集通知において目的である事項を特定することは要求されていない。したがって、この点は瑕疵とならない。
(2)招集通知を欠く取締役会決議の効力
取締役会の決議にあたり一部の取締役に対する招集通知を欠く場合には、当該取締役は審議に参加して意見を述べる機会を奪われるのであるから、その招集手続に基づく取締役会の決議は原則として無効である。もっとも、当該取締役が出席してもなお決議の結果に影響を及ぼさないと認めるべき特段の事情があるときは、決議は有効となる(最判昭44.12.2)。
(3)Aが特別の利害関係を有する取締役に当たるか
取締役会の決議について特別の利害関係を有する取締役は、議決に加わることができない(369条2項)。代表取締役の解職の決議について、当該代表取締役は特別の利害関係を有する者に当たる(最判昭44.3.28)。
これに対し、公開会社でない会社においては、支配株主である代表取締役が多数派取締役によって容易に地位を奪われることになるから特別利害関係人に当たらないとする見解もある。しかし、代表取締役の解職は専ら会社の利益の観点から判断されるべき事項であり、当該代表取締役は自己の地位の保持という個人的な利害を有するのであるから、公開会社でない会社においても特別利害関係人に当たると解すべきである。
したがって、Aは上記4の臨時取締役会において議決に加わることができない。もっとも、369条2項は「議決に加わることができない」と定めるにとどまるから、議決権を行使できないことと、審議に参加して意見を述べる機会を与えられることとは区別されるべきであり、特別利害関係取締役も自己に関する事項について意見を述べる機会自体は否定されない。
(4)特段の事情の有無
Aが議決権を行使できないことを前提とすれば、Aが出席したとしても賛成3名、反対2名という票数自体は変わらない。この点のみに着目すれば、決議の結果に影響がないともいえる。
しかし、Aは甲社の発行済株式及び総株主の議決権の25パーセントを保有する代表取締役社長であり、他方、Bが根回しによって確保した賛成はかろうじて3名にとどまる。Aが出席して、事業の海外展開に至る経緯、調査及びリスク評価の内容、今後の経営方針等について意見を述べれば、賛成した取締役のうち1名でも意見を変えた可能性は否定できない。
しかも、BはAに内密に他の取締役に根回しをし、Aの海外出張中を見計らって臨時取締役会を開催し、招集通知にも目的である事項を記載しなかったのであって、Aから審議に参加して意見を述べる機会を意図的に奪ったものである。このような経緯の下で特段の事情を認めることは、368条1項が各取締役に招集通知を要求した趣旨を没却する。
したがって、Aが出席してもなお決議の結果に影響を及ぼさないと認めるべき特段の事情があるとはいえない。
(5)結論
上記4の臨時取締役会におけるAを代表取締役から解職する旨の決議は無効である。
なお、上記5の定例取締役会においては、Aを含む各取締役及び監査役の全員が出席し、Aに審議への参加の機会が与えられた上で、再度Aを代表取締役から解職する旨の議案が賛成多数により可決されている。Aは特別利害関係取締役であるから議決に加わることができず、また定足数の算定の基礎からも除かれる。取締役は1名の辞任により5名となっており、Aを除く4名のうち過半数が出席して過半数の賛成があるから(369条1項)、上記5の決議は有効であり、Aはこれにより代表取締役を解職されている。
2 小問(2) Aが請求することができる報酬の額
(1)取締役の報酬等は、定款にその額を定めていないときは、株主総会の決議によって定める(361条1項)。その趣旨は、取締役が自ら報酬の額を決定することによって会社財産が不当に流出すること(取締役の報酬の自己決定の弊害)を防止する点にある。
もっとも、株主総会の決議によって取締役全員に支給する報酬等の総額の最高限度額を定め、各取締役に対する配分額の決定を取締役会に委ねることも、上記趣旨に反しないから許される(最判昭60.3.26)。甲社における運用はこれに従ったものであり、適法である。
(2)他方、取締役の報酬等の額が具体的に定められた場合には、その額は会社と取締役との間の契約の内容となり、会社と取締役の双方を拘束する。したがって、当該取締役が同意しない限り、会社が一方的にその報酬等の額を減額することはできない(最判平4.12.18参照)。
(3)そこで、Aが報酬の減額に同意していたと認められるかを検討する。
甲社においては、株主総会の決議によって定められた報酬等の総額の最高限度額の範囲内で、取締役会の決議によって役職ごとに一定額が定められ、これに従った運用がされていた。Aは、このような運用が確立している甲社において取締役及び代表取締役社長に就任し、現に代表取締役社長としての報酬である月額150万円を受領していた。そうであれば、Aは、役職の変動に伴って報酬の額が当該役職について定められた額に変動することについては、黙示に同意していたと認めることができる。
したがって、Aが代表取締役社長から解職されたことにより、上記の運用に従って定まる取締役としての報酬の額、すなわち月額50万円に減額されることについては、Aの同意があったものとして有効である。
(4)これに対し、月額20万円に減額する旨の上記5の定例取締役会の決議は、上記の運用によって定まる月額50万円をさらに下回るものである。Aがこれに同意したと認めるべき事情は存在しない。かえって、この議案はAの解職に関する議案に続けてBが提出したものであり、Aの解職に伴う報復的な性格を有することがうかがわれる。
会社が取締役の同意なく一方的に報酬の額を減額することはできないから、月額50万円を下回る部分についての減額は、Aに対してその効力を生じない。
(5)よって、Aは甲社に対し、月額50万円の報酬を請求することができる。
第2 設問2
1 小問(1) 甲社のAに対する損害賠償責任
(1)役員は、いつでも、株主総会の決議によって解任することができる(339条1項)。他方、解任された者は、その解任について正当な理由がある場合を除き、会社に対し、解任によって生じた損害の賠償を請求することができる(339条2項)。
同項の趣旨は、株主総会による役員の解任の自由を認めつつ、任期中の地位に対する役員の正当な期待を保護し、両者の利益の調整を図る点にある。
したがって、「正当な理由」とは、当該役員に職務を遂行させることが客観的に期待できない事情をいい、具体的には、職務上の法令又は定款に違反する行為、心身の故障、職務への著しい不適任等がこれに当たる。
(2)本件では、Aの解任の理由は海外事業の失敗である。
取締役の経営判断は、不確実かつ流動的な状況の下で専門的な予測に基づき行われるものであるから、結果的に失敗したことをもって当然に責任を問うことはできない。判断の前提となった事実の認識に不注意な誤りがなく、その事実に基づく意思決定の過程及び内容に著しく不合理な点がない限り、善管注意義務違反は認められない。
本件において、Aは、事業の海外展開を行うために必要かつ十分な調査を行い、その調査結果に基づき、海外展開を行うリスクも適切に評価して取締役会に議案を提出しており、同議案は賛成多数により可決されている。すなわち、Aの判断の前提となった事実の認識にも、意思決定の過程及び内容にも、不合理な点はない。
そして、海外事業は売上げが伸びずに3年余りで撤退するに至ったものの、Aに職務上の非違行為はなく、経営者としての能力が著しく欠けることを示す事情もない。
したがって、海外事業の失敗は「正当な理由」に当たらない。甲社はAに対し、339条2項に基づく損害賠償責任を負う。
(3)損害の範囲
339条2項の「解任によって生じた損害」とは、解任されなければ残存任期中に得られたはずの報酬及び任期満了時に得られたはずの退職慰労金の額から、解任により支出を免れた費用等を控除した額をいう。Aの名誉・信用の侵害による精神的損害は、同項が財産的損害の賠償を定める規定であることから、これに含まれないと解する。
本件では、甲社の定款は取締役の任期を選任後10年以内に終了する事業年度のうち最終のものに関する定時株主総会の終結の時までと定めており(332条2項)、Aの任期は8年残っていた。小問(2)で述べたとおりAの報酬は月額50万円であるから、残存任期8年分の報酬額は4800万円となる。
もっとも、8年という長期間については、Aが他の職に就いて収入を得る可能性、甲社の業績の変動により役職ごとの報酬額が改定される可能性、Aが任期途中で辞任し又は死亡する可能性など、不確実な要素が大きい。339条2項が解任の自由と役員の利益との調整を図る規定であることに照らせば、残存任期の全期間に対応する報酬額を機械的に損害と認めるべきではなく、Aが他から収入を得る可能性等を考慮して相当な範囲に限定すべきである。
よって、甲社は、上記の範囲においてAに対し損害賠償責任を負う。
2 小問(2)
(1)① 役員の解任の訴えの手続
役員の職務の執行に関し不正の行為又は法令若しくは定款に違反する重大な事実があったにもかかわらず、当該役員を解任する旨の議案が株主総会において否決されたときは、一定の株主は、当該株主総会の日から30日以内に、訴えをもって当該役員の解任を請求することができる(854条1項)。
原告適格を有するのは、総株主(当該役員を解任する旨の議案について議決権を行使することができない株主及び当該請求に係る役員である株主を除く)の議決権の100分の3以上の議決権を有する株主(同項1号)又は発行済株式(当該株式会社及び当該請求に係る役員である株主の有する株式を除く)の100分の3以上の数の株式を有する株主(同項2号)である。公開会社でない株式会社においては、6か月前から引き続き有することという保有期間の要件は適用されない(854条2項)。
本件では、Bは甲社の発行済株式及び総株主の議決権の20パーセントを保有している。請求に係る役員であるAの25パーセントは算定の基礎から除外されるから、Bの議決権の割合は約26.7パーセントとなり、100分の3以上の要件を充足する。甲社は公開会社でないから保有期間の要件も問題とならない。したがって、Bは原告適格を有する。
訴えは、会社及び当該役員を被告として提起しなければならない(855条)。したがって、Bは甲社及びAを被告とする。そして、本件は会社と取締役との間の訴えであり、しかも代表取締役社長であるB自身が原告となるのであるから、甲社を代表するのは監査役である(386条1項1号)。
また、役員の解任の訴えは、甲社の本店の所在地を管轄する地方裁判所の管轄に専属する(856条)。
解任を命ずる判決が確定すれば当該役員は解任され、その効力は第三者に対しても及ぶ(838条)。
(2)② 考えられる会社法上の問題点
ア まず、「役員の職務の執行に関し不正の行為」があったかを検討する。本件では、Aが多額の会社資金を流用していたことが明らかとなっている。会社資金の流用は、取締役としての職務の執行に関する不正の行為そのものであるから、この要件は満たされる。
イ 次に、本件では、Aが旧知の仲である甲社の株主数名に対し定時株主総会を欠席するように要請した結果、定時株主総会が定足数を満たさず流会となっている。すなわち、Aを解任する旨の議案については採決がされていない。そこで、これが「当該役員を解任する旨の議案が株主総会において否決されたとき」に当たるかが問題となる。
文言上は、採決を経て否決された場合をいうと解するのが素直であり、流会の場合はこれに当たらないことになる。
しかし、854条の趣旨は、役員の職務の執行に関し不正の行為等があるにもかかわらず、当該役員又はこれと結託する多数派株主の議決権の行使によって解任決議が成立しない場合に、少数株主に裁判所による解任の途を認め、会社の利益を保護する点にある。
本件では、Aは、会社資金の流用が明らかとなり解任議案が可決されることを恐れて、自ら株主に働きかけて株主総会を流会に至らせたものである。これは、Aが自己の影響力を行使して解任決議の成立を妨げた点において、解任議案が否決された場合と実質的に異ならない。かえって、採決に至らない場合に854条の適用を否定すれば、不正行為を行った役員は株主総会の流会を工作することによって容易に解任の訴えを回避できることとなり、同条の趣旨は全く没却される。
したがって、当該役員自身の働きかけによって株主総会が定足数を満たさず流会となった場合も、「当該役員を解任する旨の議案が株主総会において否決されたとき」に当たると解すべきである。
ウ なお、提訴期間は流会となった当該株主総会の日から30日以内であるから、Bはこの期間内に訴えを提起しなければならない。
エ よって、Bの提起する役員の解任の訴えは適法であり、Aに職務の執行に関する不正の行為が認められる以上、請求は認められる。
第3 設問3
1 内部統制システムの構築義務及び運用義務
甲社は資本金の額が20億円であるから大会社であり(2条6号イ)、取締役会設置会社である。大会社である取締役会設置会社の取締役会は、取締役の職務の執行が法令及び定款に適合することを確保するための体制その他株式会社の業務の適正を確保するために必要な体制の整備を決定しなければならない(362条4項6号、5項)。
そして、取締役は、善管注意義務(330条、民法644条)及び忠実義務(355条)の一内容として、取締役会において、会社が営む事業の規模や特性等に応じた内部統制システムを決定する義務を負い、代表取締役その他の業務執行取締役は、取締役会の決定に基づいて、事業の規模等に応じた内部統制システムを構築し、これを適切に運用する義務を負う。これらに違反して会社に損害を生じさせた場合には、任務を怠ったものとして損害賠償責任を負う(423条1項)。
もっとも、423条1項の責任は取締役の会社に対する債務不履行責任の性質を有するから、任務懈怠、会社の損害及び両者の間の因果関係に加え、取締役の帰責事由が必要である(428条1項参照)。
2 甲社における内部統制システムの構築
甲社は、取締役会が「内部統制システム構築の基本方針」を決定し、これに従って法務・コンプライアンス部門を設け、Dがこれを担当している。また、内部通報制度を設け、役員及び従業員向けのコンプライアンス研修を定期的に実施している。さらに、総合建設業を営む会社として下請業者との癒着を防止するため、同規模かつ同業種の上場会社と同等の社内規則を制定し、これに従った体制を整備し運用している。
これらによれば、甲社の事業の規模及び特性に応じた内部統制システムは適切に決定され、構築されていたといえる。
E及びFは、下請工事の代金が1億円以上となると複数社から見積りを取得する必要が生ずるという社内規則を潜脱するため、工事を形式上三つに分割して見積書を3通作成し、甲社の関係部署を巧妙に欺いて別工事に関するものと誤信させ、さらに会計監査人の残高確認に対しても偽装工作を行っていた。このような通常想定し難い巧妙な不正行為を防止し得なかったことをもって、内部統制システムの構築に不備があったとはいえない。
したがって、C及びDについて、内部統制システムの構築義務の違反は認められない。
3 ① Cの甲社に対する損害賠償責任
Cは代表取締役社長であり、取締役会の決定に基づいて内部統制システムを構築し運用する義務を負う。
もっとも、会社が営む事業の規模や特性等に応じた内部統制システムが構築され、それが外形上機能している場合には、代表取締役は、他の役職員がその職務を適切に遂行し、報告のとおりに処理しているものと信頼することが許される。そうでなければ、代表取締役は会社の業務の全てを自ら監視しなければならないこととなり、組織的・効率的な業務執行が不可能となるからである。
本件では、法務・コンプライアンス部門はDが担当しており、内部通報制度の担当者は、まず担当取締役であるDに対し本件通報があった旨を報告している。この報告の経路自体は甲社の内部統制システムに従ったものであり、制度は外形上機能していた。したがって、Cは、担当取締役であるDが適切に対応するものと信頼することができ、自ら本件通報の存在を調査し把握すべき義務を負っていたとはいえない。
そして、Cは、平成27年5月に内部通報制度の担当者から本件通報があった旨の報告を受けると、直ちに法務・コンプライアンス部門に対して本件下請工事及び本件通報についての調査を指示しており、その対応に不適切な点はない。
また、EとFの不正行為は上記のとおり巧妙な潜脱行為及び偽装工作を伴うものであったから、Cがこれを知り得なかったことについて過失もない。
したがって、Cには任務懈怠が認められず、甲社に対する423条1項の損害賠償責任を負わない。
4 ② Dの甲社に対する損害賠償責任
(1)任務懈怠
Dは取締役副社長であり、法務・コンプライアンス部門を担当する業務執行取締役である。担当取締役は、自己の担当部門について内部統制システムを適切に運用する義務を負う。したがって、内部通報があった場合には、その内容を検討し、必要と認められるときは所管部門に調査を指示し、会社に著しい損害を及ぼすおそれのある事実については代表取締役及び取締役会並びに監査役に報告すべき義務を負う(357条参照)。
本件通報は、甲社の営業部長を務めるEが下請業者である乙社の代表取締役Fと謀り、本件下請工事の代金を水増しした上でその一部を着服しようとしているという、具体的かつ重大な内容のものである。しかも、甲社の従業員の実名によるものであった。実名による通報は、通報者が自らの社内における地位を危険にさらしてなされるものであるから、匿名の通報に比して信用性が高く、少なくとも調査を開始すべき端緒としては十分である。また、下請業者との癒着は、総合建設業を営む甲社において現実的に生じ得るリスクであり、甲社が社内規則を整備し内部通報制度を設けた趣旨からすれば、まさに調査を要する類型の通報である。
これに対し、Dが本件通報には信ぴょう性がないと判断した根拠は、これまで甲社において同様の不正行為が生じたことがなかったこと、会計監査人からも不正行為をうかがわせる指摘を受けたことがなかったこと、EがDの後任の営業部長でありかつて直属の部下であったEに信頼を置いていたことである。しかし、これらはいずれも本件通報の内容の真偽を客観的に検証した結果ではなく、過去の実績と個人的な信頼に基づく主観的な判断にすぎない。かえって、Eは通報の対象者であるから、Dの個人的な信頼はむしろ判断の公正を妨げる事情である。
それにもかかわらず、Dは、法務・コンプライアンス部門に対して本件下請工事や本件通報についての調査を一切指示せず、Cを含む他の取締役及び監査役にもこれを知らせなかった。これは、構築された内部統制システムを適切に運用する義務に違反するものであり、善管注意義務違反の任務懈怠に当たる。そして、上記の経緯に照らせばDには少なくとも過失があり、帰責事由も認められる。
(2)損害及び因果関係
EとFが着服した額は5000万円である。しかし、Dが本件通報の報告を受けたのは平成27年3月末であり、その時点までに甲社が乙社に対して既に支払っていた代金については、Dが直ちに調査を指示したとしても支払を回避することはできなかった。
他方、甲社は、本件下請工事が完成したことから、乙社に対し平成27年4月末に残金合計3000万円を支払っている。そして、Cの指示による法務・コンプライアンス部門の調査は、2週間程度でEとFの不正行為を解明している。そうであれば、Dが平成27年3月末の報告を受けた時点で直ちに調査を指示していれば、同年4月中旬までには不正行為が判明し、同月末の残金3000万円の支払を回避することができたといえる。
したがって、Dの任務懈怠と相当因果関係のある損害は、平成27年4月末に支払われた3000万円である。
なお、既に支払われた代金のうち水増し分についても、早期に不正が発覚していれば乙社又はFから回収することができたという関係が認められれば損害に含まれ得るが、乙社及びFの資力が明らかでない本件においては、当然に因果関係のある損害とはいえない。
(3)結論
Dは甲社に対し、423条1項に基づき3000万円の損害賠償責任を負う。なお、甲社は、E及びFに対しては不法行為(民法709条、719条1項)に基づき着服額5000万円の賠償を請求することができる。
以上