司法試験 令和6年 民法
問題文
〔第1問〕(配点:100〔〔設問1〕及び〔設問2〕の配点は、50:50〕)
次の各文章を読んで、後記の〔設問1⑴・⑵〕及び〔設問2〕に答えなさい。
なお、解答に当たっては、文中において特定されている日時にかかわらず、令和6年1月1日現在において施行されている法令に基づいて答えなさい。
【事実】
1.Aは、遠方に、空き地である甲土地を所有しており、甲土地の所有権の登記名義人はAである。
2.令和2年4月1日、Aの子Bは、Aの了承を得ないまま、甲土地について、Cとの間で、賃料月額5万円、賃貸期間30年間、建物所有目的との約定による賃貸借契約(以下「契約①」
という。)をBの名において締結し、同日、甲土地をCに引き渡した。契約①の締結に当たり、Cが、Bに対し、甲土地の所有権の登記名義人がAである理由を尋ねたところ、Bは、「Aは父であり、甲土地は既にAから贈与してもらったものだから、心配はいらない。」と言い繕った。Cがなお不安がったことから、契約①には、甲土地の使用及び収益が不可能になった場合について、損害賠償額を300万円と予定する旨の特約が付された。
3.令和2年7月1日、Cは、甲土地上に居住用建物(以下「乙建物」という。)を築造し、乙建物について所有権保存登記を備えた。Cは、乙建物に居住している。
4.令和3年7月10日、Bが急死した。Bは、遺言をしておらず、また、Bの相続人は、Aのみである。Cは、Bの相続人が誰であるか分からなかったことから、Bの死亡後、甲土地の賃料を供託している。
5.令和4年4月15日、Aは、甲土地をCが利用していることに気付き、Cに対し、甲土地の所有権に基づき、乙建物を収去して甲土地を明け渡すよう請求した(以下「請求1」という。)。これに対して、Cは、「㋐私は、契約①に基づいて甲土地を占有する権利を有している。仮にそのような権利がないとしても、㋑300万円の損害賠償を受けるまでは甲土地を占有する権利がある。」と反論した。
〔設問1⑴〕
【事実】1から5までを前提として、次のア及びイの問いに答えなさい。
ア Cは、下線部㋐の反論に基づいて請求1を拒むことができるかどうかを論じなさい。
イ 下線部㋐の反論が認められない場合に、Cが下線部㋑の反論に基づいて請求1を拒むことができるかどうかを論じなさい。
【事実】
6.【事実】5の後、AとCとの間で交渉が持たれ、令和4年6月1日、Cは、乙建物を代金280万円でAに売却し、同日、乙建物をAに引き渡した。その後、乙建物について、CからAへの所有権移転登記がされた。
7.令和4年6月15日、Aは、乙建物について、Dとの間で、賃料月額12万円、賃料前月末日払、賃貸期間2年間との約定による賃貸借契約(以下「契約②」という。)を締結し、同年7月1日、乙建物をDに引き渡した。
Dは、令和4年7月分から9月分までの賃料を、それぞれ約定どおりAに支払った。
8.令和4年9月初めから雨が降り続く中、同月11日、乙建物の一室(以下「丙室」という。)で雨漏りが発生し、同日以後、丙室は使用することができなくなった。その後の調査によれば、丙室の雨漏りは、契約②が締結される前から存在した原因によるものであった。
9.令和4年9月13日、Dは、Aに何らの通知もしないまま、建設業者Eに丙室の雨漏りの修繕工事を依頼した。Eは、雨漏りの状態を確認した上で、同月20日、この依頼を報酬30万円で引き受け、同月24日から30日まで丙室の雨漏りの修繕工事(以下「本件工事」という。)を行った。Dは、Eに30万円の報酬を支払い、同年10月1日から丙室の使用を再開した。
令和4年9月30日、Dは、翌日から丙室の使用が可能となったため、Aに令和4年10月分の賃料を支払った。
10.令和4年10月10日、Dは、Aに対して、同年8月31日に支払った令和4年9月分の賃料の一部を返還するよう請求する(以下「請求2」という。)とともに、DがEに報酬として支払った30万円を直ちに償還するよう請求した(以下「請求3」という。)。Aは、この時に初めて、丙室に雨漏りが発生した事実とDがEに本件工事を行わせた事実とを知った。
Aは、請求2及び請求3を拒み、Dに対し、「特に修繕工事を急ぐべき事情はなかったのだから、Dは、そもそも、丙室の雨漏りを無断で修繕する権利を有していなかったはずだ。しかも、DがEに支払った報酬30万円は高すぎる。私が一般の建設業者に依頼していれば20万円で足りたはずだ。」と反論した。
〔設問1⑵〕
【事実】1から10までを前提として、次のア及びイの問いに答えなさい。
ア 請求2が認められるかどうかを論じなさい。
イ 請求3が認められるかどうかを論じなさい。なお、本件工事の実施について急迫の事情はなく、また、本件工事と同じ内容及び工期の工事に対する適正な報酬額は20万円であるものとする。
【事実】
11. 令和5年9月15日、Fは、Gに無断で、Gが所有する丁土地を駐車場として使用し始めた。
Gは、Fとは知らない仲ではなかったことや、G自身は丁土地を使用する予定がなかったことから、Fに対し、口頭で抗議をする以外のことをしなかった。
12. 令和5年12月5日、Gは、配偶者であるHと協議により離婚し、Hとの間で離婚に伴う財産分与について協議をした。Gは、丁土地以外の財産をほとんど持っておらず、また、失職中で収入がなかった。Gは、Hに対し、Gの財産及び収入の状況を伝えるとともに、丁土地はFが無断で使用しているだけなので、いつでもFから返してもらえるはずであると説明した。
13. 令和5年12月6日、GとHとの間で、離婚に伴う財産分与として、Gが丁土地をHに譲渡する契約(以下「契約③」という。)が締結された。その際、Gは、GではなくHに課税されることを心配して、そのことを気遣う発言をしたのに対し、Hは、「私に課税される税金は、何とかするから大丈夫。」と応じた。Hは、Hにのみ課税されるものと理解していた。同月11日、丁土地について、GからHへの所有権移転登記がされた。
14. 令和6年1月10日、HとIとの間で、Hが丁土地を代金2000万円でIに売る契約
(以下「契約④」という。)が締結された。Hは、Iに対し、丁土地の使用に係る事情について、HがGから受けた説明のとおりに説明した。同日、Iは、Hに対し、契約④の代金を支払った。丁土地について、HからIへの所有権移転登記は、されなかった。
15. 令和6年1月15日、Gは、税理士である友人から、課税されるのは財産分与をした側であるGであり、その額はおおよそ300万円であるとの指摘を受けた。Gは、契約③に係る課税についての誤解に基づきHとの間で契約③を締結したことに気付いたため、同日、Hに対し、契約③をなかったこととする旨を伝えた。Iは、Gが契約③に係る課税について誤解していたことを契約④の締結時に知らず、そのことについて過失がなかった。
16. 令和6年1月18日、Gは、丁土地を駐車場として使用しているFに対し、丁土地を買わないかと持ち掛けた。Gは、丁土地の所有権の登記名義人がHとなっていることについては、GとHとの間で契約③が締結されたものの、Gが契約③に係る課税について誤解していたため、契約③は既になかったこととなっているとFに説明した。同月25日、GとFとの間で、Gが丁土地を代金2000万円でFに売る契約(以下「契約⑤」という。)が締結された。同日、Fは、Gに対し、契約⑤の代金を支払った。
〔設問2〕
【事実】11から16までを前提として、次の問いに答えなさい。
令和6年1月30日、Iは、丁土地を占有するFに対し、丁土地を明け渡すよう請求した(以下「請求4」という。)。請求4が認められるかどうかを論じなさい。
出題の趣旨
法務省が公表した出題の趣旨です。
1 設問1について
⑴ 設問1⑴は、他人物の賃貸借契約において、賃貸人が死亡して目的物の所有者が賃貸人を単独で相続した事例に基づき、賃借人が、賃貸人の地位を相続した所有者に対し、占有権原として賃借権を主張することの可否についての検討とともに、賃借人が留置権を行使して賃借物の返還を拒むことの可否についての検討を求めるものである。
設問1⑵は、賃貸借の目的である建物に雨漏りが生じた事例に基づき、賃借物の一部の使用収益が不能であることを理由とする賃料減額についての検討とともに、賃借人が修繕権に基づかずに賃借建物の修繕工事を行い、通常の必要費を超える支出をした場合における必要費償還請求権の成否及び額についての検討を求めるものである。
⑵ 設問1⑴アでは、Cは、下線部㋐において契約①に基づく賃借権を主張しているものと解される。
ア 最初に、Bの死亡により相続が開始する前には、契約①による賃借権は甲土地の占有権原とならないことを、論じることが求められる。契約①は、Bが賃料の支払を受けてA所有の甲土地をCに使用収益させる契約であって、他人物賃貸借に当たる。そのため、Cは、Bに対して賃借権を主張することができても、甲土地の所有者Aに対しては、賃借権を占有権原として主張することができない。
イ 次に、相続の開始によりAがBの賃貸借契約上の地位や債務を承継した場合にも、この点に変わりがないかを、検討することが求められる。判例は、他人の権利の売主が死亡し、その権利者において売主を相続した場合につき、権利者は、相続によって売主の義務を承継しても、相続前と同様その権利の移転につき諾否の自由を有し、信義則に反すると認められるような特別の事情がない限り、売主としての履行義務を拒否することができるとする(最大判昭和49年9月4日民集28巻6号169頁)。本問についても、当該判例で示された考え方を踏まえた検討が期待されている。
まず、Aが、相続により、Bのどのような地位・債務を承継したかを分析することが必要である。Bは、契約①に基づき、他人物の賃貸人として、Cに対し、甲土地の所有者Aからその賃貸権限を取得し、賃貸権限に基づいて甲土地を使用収益させる債務を負う(民法第601条、第559条による第561条準用)ところ、Aは、このようなBの地位・債務を相続により承継した(民法第896条)。
次に問われるのは、Aの所有者としての地位との関係である。相続開始後も、Aにおいては、甲土地の所有者としての地位と(Bから承継した)賃貸人としての地位が、融合することなく併存する。また、相続開始前、Aは、甲土地の所有者として、Bに賃貸権限を与えるか否かを自由に決することができたところ、相続開始後も、Aは、所有者としての地位において、Bから承継した債務の履行(甲土地の使用収益を賃貸権限に基づくものとすること)を拒むことができると解される。相続という偶然の事由によってAが前記の自由を奪われるべき理由はなく、また、Aの拒否によってCが不測の損害を受けることもないからである。
結論として、相続の開始後も、Cは、契約①による賃借権を甲土地の占有権原として主張することができない。
⑶ 設問1⑴イでは、Cは、下線部㋑において300万円の損害賠償債権を被担保債権とする留置権(民法第295条)を主張しているものと考えられる。
ア まず、被担保債権については、AがCに甲土地の明渡しを請求したことにより、AがBから承継した賃貸人としての債務が履行不能になったこと、契約①には賠償額の予定
(民法第420条)があること、したがって、Cは、Aに対して、債務不履行による損害賠償(民法第415条第1項)として300万円の被担保債権を有することを、述べることが求められる。
イ 次に、物と債権との牽連関係の要件については、その重要性に応じた丁寧な検討が求められる。判例は、他人の物の売買における買主は、所有者の目的物返還請求に対し、所有権を移転すべき売主の債務の履行不能による損害賠償債権を被担保債権とする留置権を主張することは許されないとし、物と債権との牽連関係を否定する(最判昭和51年6月17日民集30巻6号616頁)。本問についても、当該判例を踏まえた検討が期待されている。
他人物の賃貸借における賃借人が、賃借物の所有者から返還請求を受けた場合に、賃貸人の債務の履行不能による損害賠償債権については、物と債権の牽連関係を否定すべきものと考えられる。例えば、前記の判例(前掲・最判昭和51年6月17日)を参照すれば、他人物の賃貸人は、自らの債務が履行不能となっても、目的物の返還を賃借人に請求し得る関係になく、そのため、賃借人が目的物の返還を拒絶することによって損害賠償債務の履行を間接に強制するという関係が生じないことをもって、牽連関係を否定する論拠となし得る。また、仮に牽連関係が肯定されるとすれば、賃貸権限のない第三者が目的物を賃貸した行為によって当該目的物の上に留置権が成立することになり、目的物の所有者の地位と衝突してしまう。
なお、設例では、相続により賃貸人Bと所有者Aの地位が同一人に帰した後における留置権の成否が問われている。しかし、相続の開始という事情は、Aにおいて所有者としての地位と賃貸人としての地位が併存するものと解する限り、留置権の成否(物と債権の牽連関係の存否)には影響しない。
⑷ 設問1⑵アでは、Dは、丙室の使用収益の不能により令和4年9月分の賃料債権が当然減額されたことを理由に、既に支払った同月分の賃料の一部について不当利得返還を請求しているものと考えられる。
まず、賃借物の一部の使用収益の不能による賃料減額(民法第611条第1項)の成否についての検討が必要である。Dは、Aから賃借した乙建物のうちの丙室につき、令和4年9月11日から同月30日までの20日間、雨漏りのために使用収益することができなかった。したがって、令和4年9月分の賃料は、民法第611条第1項により、丙室が乙建物の使用収益に占める割合及び使用収益を妨げられた日数に応じて当然に減額されることになる。
続いて、不当利得返還請求権の成立を論じることが求められる。令和4年9月分の賃料につき、Aは、賃料債権が当然減額されるにもかかわらず全額の支払を受けているのであるから、不当利得(給付利得)が成立する。したがって、Dは、Aに対し、減額分に対応する賃料の返還を請求することができる。
⑸ 設問1⑵イでは、Dは、必要費償還請求権(民法第608条第1項)に基づき、本件工事のために支出した報酬額30万円の償還を請求しているものと考えられる。
ア 本件工事は、雨漏りの修繕工事であるから、その報酬の支払は必要費の支出に該当する。もっとも、本件工事はAに無断でされたから、当該事情が何らかの意味を持ち得るかの検討が必要となる。本件工事には「急迫の事情」がなく、また、Aに対する事前の「通知」もないため、本件工事はDの修繕権(民法第607条の2)に基づくものとは言えない。しかし、民法第607条の2の規定は、同法第608条1項と接続されておらず、また、同条の趣旨は、専ら、賃借人による賃借物の修繕を賃貸人に対する債務不履行・不法行為でなくするところにある。したがって、修繕権に基づかない修繕である場合にも、そのことを理由に、必要費償還請求権が排除され、または償還額が制限されることにはならない。
イ また、本件では、Dが支出した費用が相当な報酬額よりも多額であるため、その全額の償還請求を認めてよいかも検討しなければならない。通常の額を超える部分は「賃貸人の負担に属する必要費」に当たらないと解されるので、Dの必要費償還請求権は、相当な報酬額20万円を限度とするという結論に至る。
ウ 民法第607条の2の趣旨については、上記アに述べた理解のほか、賃貸人が自ら修繕する利益の保護にあるとする理解も成り立つ。この立場からは、賃借人が修繕権に基づかないで修繕を行った場合には、賃借人の必要費償還請求権は賃貸人が自ら修繕を行ったと仮定した場合の支出額を限度とするものと解される。
2 設問2について
設問2は、不動産の所有権の取得をめぐる争いを素材として、基礎事情の錯誤(動機の錯誤、事実の錯誤ともいう。以下同じ。)による離婚に伴う財産分与の意思表示の取消しの可否や、錯誤による意思表示の取消しと第三者の保護といった基本的な問題について正確な理解をすることができているかどうかを問うとともに、錯誤による意思表示の取消し前の第三者が保護を受けるための要件としての登記の要否、その第三者と表意者から物権の取得をする原因を有する者との関係といった応用的な問題について相応の対処をすることができるかどうかを問い、あわせて、問題相互の関係を適切に把握する能力や具体的事実を法的な観点から適切に評価する能力等を確かめようとするものである。
⑴ 請求4は、Iが所有権に基づく返還請求権としての土地明渡請求権を行使するものである。したがって、請求4が認められるためには、Iが丁土地の所有者である必要がある。
もっとも、Gは、錯誤により丁土地の所有権移転原因である契約③の意思表示を取り消す
(民法第95条第1項)こととしている(【事実】15)。このことが認められれば、契約
③は、それにより遡って無効となる(民法第121条)。無権利者Hからの取得者Iは、原則として、丁土地の所有権を取得することができない。
そこで、Gの錯誤による契約③の意思表示の取消しが認められるかどうかが問題となる。
この問題に関連する判例として、最判平成元年9月14日家月41巻11号75頁がある。
ア 離婚に伴う財産分与を内容とする契約③の意思表示も、売買契約の意思表示等と同じように、民法第95条第1項の規定の適用を受ける。
イ 本問では、Gは、離婚に伴う財産分与として丁土地をHに譲渡することを内容とする契約③の意思表示を、これに対応する意思をもってしている。そのため、Gの錯誤は、民法第95条第1項第1号の定める錯誤に当たらない。
もっとも、Gは、真実に反して、Gに課税がされないと認識していた(【事実】13及び15)。さらに、Gは、財産及び収入の状況が悪かった(【事実】12)一方で、実際にGに課税される額は、300万円程度であった(【事実】15)。このことを踏まえれば、民法第95条第1項第2号の「表意者が法律行為の基礎とした事情」の意義については解釈の余地があるものの、いずれにせよ、Gの錯誤は、同号の定める錯誤、つまり基礎事情の錯誤に当たるものと考えられる。
ウ では、Gは、錯誤による契約③の意思表示の取消しをすることができるのか。
(ア) 基礎事情の錯誤による意思表示の取消しは、「その事情が法律行為の基礎とされていることが表示されていたとき」(以下「基礎事情の表示の要件」という。)に限り、これをすることができる(民法第95条第2項)。平成29年法律第44号による改正前の民法の下での動機の錯誤に関する判例(最判平成28年1月12日民集70巻1号1頁等)の理解の仕方については、争いがあった。
基礎事情の表示の要件については、さまざまな考え方が示されている。例えば、基礎事情の錯誤による不利益は、本来は表意者が負担すべきであるという観点を基礎に据えつつ、同要件を満たすためには、表意者が動機となった事情を相手方に一方的に表示しただけでは足りず、その事情がなければその内容の意思表示の効力は否定されることについて相手方の了解があったことが必要であるとする見解がある。本問では、実際にGに課税される額は、300万円程度であったこと(【事実】15)を踏まえつつ、GがHに対し、Gの財産及び収入の状況が悪いことを伝えた(【事実】12)上で、Hに課税されることを気遣う発言をした(【事実】13)こと、これに対し、HがHに課税されるとの理解の下で「私に課税される税金は、何とかするから大丈夫。」と応じたこと(【事実】13)を考慮すれば、前記の意味でのHの了解まで黙示的にあったものと評価することができる。
解答に当たっては、首尾一貫した論述をしていれば、どの考え方を採ってもよい。
本問においては、いずれにせよ、基礎事情の表示の要件を満たすものと考えられる。
(イ) 本問では、①Gは、Gに課税がされるのであれば契約③の意思表示をしなかった(【事実】15)ため、「錯誤に基づ」(民法第95条第1項柱書)いて意思表示がされたことの要件(主観的因果関係)を満たす。また、②Gは、財産及び収入の状況が悪かった(【事実】12)一方で、実際にGに課税される額は、300万円程度であった(【事実】15)ことを考慮すれば、その錯誤が「法律行為の目的及び取引上の社会通念に照らして重要なものである」(同柱書)ことの要件(客観的重要性)を満たすものと考えられる。
これらの要件について、基礎事情の表示の要件(前記(ア))を踏まえた検討がされているものについては、高い評価が与えられる。例えば、前記(ア)で示した考え方によれば、両要件は、実際には重なるところがあるようにみえるため、両要件の関係について検討を行うことが望まれる。
エ 本問では、GとHとの双方が、Gに課税がされないとの同一の錯誤に陥っていたものと考えられる(【事実】13及び15)。したがって、Gの錯誤がGの重大な過失によるものであったかどうかにかかわらず、Gは、錯誤により契約③の意思表示を取り消すことができる(民法第95条第3項第2号)。
⑵ 本問では、Gが錯誤による契約③の意思表示の取消しをしたことによって、Iは、丁土地の所有権を取得することができないのが原則である(前記⑴)。もっとも、Gは、民法
第95条第4項の規定により、その取消しをIに対抗することができないのではないか。
ア 民法第95条第4項の規定は、㋐取消しの遡及効(民法第121条)によって害される第三者、つまり取消し前の第三者についてしか適用されない(詐欺による意思表示の取消しに関する大判昭和17年9月30日民集21巻911頁を参照)。また、同項の「第三者」とは、㋑錯誤の当事者及びその包括承継人以外の者であって、錯誤による意思表示によって生じた法律関係について、新たに法律上の利害関係を有するに至ったものをいう(詐欺による意思表示の取消しに関する最判昭和49年9月26日民集28巻6号1213頁を参照)。さらに、同項の「第三者」は、㋒錯誤による意思表示であることについて、善意無過失でなければならない。
本問において、Iは、㋐取消し前に(【事実】14及び15)、㋑Hから丁土地の所有権を取得する原因を有するに至っていた(【事実】13)。また、Iは、㋒契約③の意思表示がGの錯誤によるものであることについて、善意無過失であった(【事実】15)。
イ もっとも、本問では、Iは、丁土地について、HからIへの所有権移転登記を備えていない(【事実】14及び16)。そこで、民法第95条第4項の「第三者」は、明文にはないものの、同項の規定により保護を受けるための要件としての登記、つまり権利保護資格要件としての登記を備える必要があるかどうかが問題となる。
(ア) 詐欺による意思表示の取消しに関する前掲最判昭和49年9月26日は、平成29年法律第44号による改正前の民法第96条第3項の規定について、同項の「第三者」
を「対抗要件を備えた者に限定しなければならない理由は、見出し難い。」としていた。もっとも、この判例が扱った事案は、特殊なものであったため、この判例が権利保護資格要件としての登記を不要としたものであると理解すべきかどうかについては、争いがある。
(イ) 錯誤による意思表示の取消しについては、まだ議論が十分にされていない。解答に当たっては、首尾一貫した論述をしていれば、不要説を採っても、必要説を採ってもよい。たとえば、錯誤に陥った表意者のほうが欺罔された表意者よりも帰責性が大きい点を考慮するならば、民法第96条第3項の「第三者」について不要説を採るときはもちろん、必要説を採るときであっても、民法第95条第4項の「第三者」については、不要説を採ることが考えられる。他方で、前記の点を考慮したとしても、この点は取消しの要件のレベルで考慮されていると捉えるならば、民法第96条第3項の「第三者」について必要説を採るときは、民法第95条第4項の「第三者」についても必要説を採ることが考えられる。
(ウ) 本問では、請求4の相手方は、表意者であるGではない。そのため、表意者との関係において対抗要件としての登記を備えるべきであるかどうかという問題は、本問では論ずる必要がない。
⑶ 民法第95条第4項の「第三者」について不要説を採るときは、Iは、同項の「第三者」
としての保護を受ける。本問では、丁土地についてGからHへの所有権移転登記がされている(【事実】13及び16)。この場合において、請求4が認められるのか。
ア この問題については、(1)Iが民法第95条第4項の「第三者」としての保護を受けるときは、錯誤による意思表示の取消しをIに対抗することができなくなる結果、丁土地の所有権は、G→H→Iと移転すると捉える見解と、(2)この場合であっても、GとHとの間で締結された契約③が有効になるわけではないとして、丁土地の所有権は、G→Iと直接に移転すると捉える見解とが考えられる。(1)のうち、(1-1)Hが登記を備えたことによって丁土地の所有権を確定的に取得するため、Fは、Gから丁土地の所有権を取得することができず、無権利になると理解するならば、請求4は、認められる。これに対し、(1)のうち、(1-2)H自身が登記を備えたことによって丁土地の所有権を確定的に取得したとFに主張することができない以上、IもそのことをFに主張することができないと理解するか、又は(2)を採るならば、Iは、登記を備えなければ、丁土地の所有権を取得したことを民法第177条の「第三者」であるFに対抗することができない。そのため、請求4は、同条の「第三者」であるFが、登記を備えるまで丁土地の所有権を取得したことを認めないと主張したときは、認められない。
(1-1)を採るときは、その根拠として、所有権の登記名義人でないGとの間で契約⑤を締結したFは、保護に値しないことを指摘することが考えられる。他方で、(1-2)又は(2)を採るときは、その根拠として、契約③はGにより取り消されている以上、Fが保護に値しないとはいえないことや、(1-1)によれば、Gから丁土地を買おうとする者が現れなくなり、不動産の流通が著しく阻害されることを指摘することが考えられる。
イ 前記アは、民法第94条第2項の「第三者」の解釈を参考として、考え方の方向性を示したものである。同項の規定に関する最判昭和42年10月31日民集21巻8号2232頁は、(2)に準ずる見解を採るものであるとされることがある。解答にあたっては、首尾一貫した論述をしていれば、どの考え方を採ってもよい。また、無効の対抗不能と取消しの対抗不能との違いを意識した上で、民法第94条第2項の解釈と民法第95条第4項の解釈との関係を検討しているものは、その検討が説得的なものであれば、高い評価が与えられる。
参考答案AI生成(出題の趣旨と論証集をもとに作成した目安です)
第1 設問1⑴
1 ア 下線部㋐の反論について
(1) 請求1は、甲土地の所有権に基づく返還請求権としての建物収去土地明渡請求である。Aが甲土地を所有し(【事実】1)、Cが乙建物を所有して甲土地を占有していること(【事実】3)は明らかであるから、Cが請求1を拒むためには、Aに対抗しうる占有権原を有することが必要である。Cは、下線部㋐において、契約①に基づく賃借権を占有権原として主張するものと解される。
(2) 相続開始前の法律関係
ア 契約①は、Bが、Aの了承を得ないまま、A所有の甲土地をBの名においてCに賃貸したものであるから(【事実】2)、他人物賃貸借に当たる。他人の物を目的とする賃貸借契約も債権契約として有効であり(601条、559条・561条参照)、Bは、Cに対し、所有者Aから賃貸権限を取得した上で、その権限に基づき甲土地を使用収益させる債務を負う。
イ しかし、賃借権は賃貸人に対する債権にすぎず、他人物賃貸借における賃借人は、賃貸人に対して賃借権を主張しうるにとどまり、目的物の所有者に対してこれを占有権原として主張することはできない。Cは、甲土地上に乙建物を築造し、その所有権保存登記を備えている(【事実】3)が、借地借家法10条1項は、賃貸人との関係で有効に成立した借地権を、借地権設定後に土地について物権を取得した第三者に対抗させる規定であって、賃貸権限のないBから賃借したCが、当初からの所有者であるAに対して賃借権を主張する根拠とはならない。したがって、Bの死亡前において、Cは、Aに対し、契約①に基づく賃借権を主張して甲土地の占有を正当化することはできなかった。
(3) 相続開始後の法律関係
ア もっとも、令和3年7月10日にBが死亡し、Aがその唯一の相続人となった(【事実】4)。Aは、相続により、Bの財産に属した一切の権利義務を承継するから(896条本文)、契約①の賃貸人としての地位、すなわち賃貸権限を取得してCに甲土地を使用収益させる債務をも承継した。そこで、賃貸人の地位と所有者の地位とがAに帰属した以上、Aは、Cに対し、甲土地を賃貸権限に基づいて使用収益させる義務を負い、もはや所有権に基づく明渡しを求めることができないのではないかが問題となる。
イ 判例は、他人の権利の売主を権利者が相続した事案について、権利者は、相続により売主の義務を承継しても、相続前と同様その権利の移転につき諾否の自由を有し、信義則に反すると認められるような特別の事情がない限り、売主としての履行義務を拒否することができるとする(最大判昭和49年9月4日)。この理は他人物賃貸借にも妥当する。すなわち、相続開始後も、Aにおいて所有者としての地位と賃貸人としての地位とは融合することなく併存し、相続開始前にAが有していた、Bに賃貸権限を与えるか否かを自由に決しうる地位は、相続という偶然の事由によって失われる理由がない。また、他人物賃借人は元来所有者から返還請求を受けうる地位にあったのであるから、Aが履行を拒絶してもCに不測の損害を与えるものではない。したがって、Aは、信義則に反する特別の事情がない限り、所有者としての地位において、Bから承継した債務の履行を拒むことができ、Cは、契約①の賃借権をAに対する占有権原として主張することができない。
ウ 本件では、契約①はBがAの了承を得ないまま締結したものであり、CがAの登記名義を不審に思って尋ねた際にも、Bは「既にAから贈与してもらった」などと言い繕ったのであって(【事実】2)、Cの信頼はもっぱらBの虚言によって生じたものであり、Aは契約①の締結に一切関与していない。甲土地は遠方にある空き地であって(【事実】1)、Aが長期間Cの利用に気付かなかったことも無理からぬところであり、Aは、令和4年4月15日に利用に気付いた直後に請求1に及んでいる(【事実】5)から、Cの占有を容認し又は黙認したと評価しうる態度をとったこともない。なお、Cは、Bの死亡後も甲土地の賃料を供託し続けている(【事実】4)が、これは賃貸人の相続人に対する賃借人としての義務の履行にすぎず、Aが供託金を受領するなど賃貸借を承認する行動をとったわけではないから、Cの誠実な履行をもって、Aの履行拒絶が信義則に反するとまではいえない。したがって、特別の事情は認められない。
(4) よって、Cは、下線部㋐の反論に基づいて請求1を拒むことはできない。
2 イ 下線部㋑の反論について
(1) Cは、下線部㋑において、300万円の損害賠償債権を被担保債権とする留置権(295条1項)を主張し、同債権の弁済を受けるまで甲土地の返還を拒むものと解される。留置権の成立要件は、①他人の物を占有していること、②その物に関して生じた債権を有すること(牽連性)、③その債権が弁済期にあること、④占有が不法行為によって始まったものでないこと(同条2項)である。Cは甲土地という他人の物を占有しており(①)、その占有は契約①に基づくBからの引渡しによって始まったものであって不法行為によるものではない(④)。問題は、被担保債権の存否と牽連性である。
(2) 被担保債権の存否
ア Aは、相続により、賃貸権限に基づき甲土地をCに使用収益させるというBの債務を承継した。そして、前記1のとおり、Aは、所有者として履行を拒絶し、現に請求1により乙建物の収去と甲土地の明渡しを請求したのであるから、同債務は、社会通念上履行不能となった(412条の2第1項参照)。これにより、契約①の特約が定める「甲土地の使用及び収益が不可能になった場合」に当たる。
イ 債務の履行が不能であるときは、債権者は、これによって生じた損害の賠償を請求することができる(415条1項本文)。この不能は、Bが無断で他人物を賃貸し、その地位を承継したAが履行を拒絶したことによるものであり、債務者側の事情に基づくものであるから、契約及び取引上の社会通念に照らし債務者の責めに帰することができない事由によるものとはいえず、免責されない(同項ただし書)。そして、契約①には、Cが不安がったことから、使用収益不能の場合の損害賠償額を300万円と予定する特約が付されている(【事実】2)から、Cは、損害の立証を要することなく、Aに対し、300万円の損害賠償債権を有する(420条1項)。この債権は期限の定めのない債権として既に弁済期にある(③)。
(3) 牽連性
ア 「その物に関して生じた債権」とは、債権が物自体から生じた場合又は債権が物の返還請求権と同一の法律関係若しくは生活関係から生じた場合をいう。もっとも、留置権は、物の返還を拒絶することによって債務者に債務の履行を間接的に強制する制度であるから、返還拒絶が被担保債権の弁済を促す関係にあることを要する。判例も、他人物売買の買主は、所有者の返還請求に対し、売主の債務の履行不能による損害賠償債権を被担保債権とする留置権を主張することはできないとする(最判昭和51年6月17日)。
イ これを他人物賃貸借についてみると、他人物の賃貸人は、自らの債務が履行不能となっても目的物の返還を賃借人に請求しうる地位になく、返還を請求するのはあくまで所有者である。したがって、賃借人が返還を拒絶しても、賃貸人の損害賠償債務の履行を間接に強制する関係は生じない。また、仮に牽連性を肯定すれば、賃貸権限のない第三者の賃貸行為によって所有者の物の上に留置権が成立することになり、何ら関与していない所有者の地位と衝突し、不当である。よって、他人物賃借人の賃貸人に対する損害賠償債権と目的物との間に牽連性は認められない。
ウ 本件では、相続によってBの賃貸人の地位がAに帰属している。しかし、前記1のとおり、Aにおいて所有者の地位と賃貸人の地位は併存するのであり、Aが甲土地の返還を請求しているのは所有者としての地位に基づくものである。したがって、相続という偶然の事情は、賃貸人としてのAの損害賠償債務と甲土地との牽連関係の存否に影響を及ぼすものではなく、Cが甲土地の返還を拒絶しても、所有者Aに対して賃貸人の損害賠償債務の履行を強制するという関係は認められない。
(4) よって、Cの300万円の損害賠償債権と甲土地との間に牽連性は認められず、留置権は成立しない。Cは、下線部㋑の反論に基づいて請求1を拒むことはできない。
第2 設問1⑵
1 ア 請求2について
(1) Dは、令和4年9月分の賃料の一部について、丙室の使用収益不能により同月分の賃料債権が当然に減額されたことを理由に、既払賃料の一部の返還を不当利得(703条)として請求しているものと解される。
(2) 賃借物の一部が滅失その他の事由により使用及び収益をすることができなくなった場合において、それが賃借人の責めに帰することができない事由によるものであるときは、賃料は、その使用及び収益をすることができなくなった部分の割合に応じて減額される(611条1項)。同項は、賃借人の請求を要することなく当然に減額される旨を定めたものである。
(3) 本件では、乙建物の一室である丙室につき、令和4年9月11日以後、雨漏りにより使用することができなくなり(【事実】8)、本件工事が終了した同月30日まで使用できない状態が継続した(【事実】9)。丙室の雨漏りは、9月初めから雨が降り続く中で発生したものであるが、契約②の締結前から存在した原因によるものであって(【事実】8)、賃借人Dの責めに帰することができない事由によるものである。したがって、令和4年9月分の賃料12万円は、丙室が乙建物の使用収益に占める割合及び使用収益を妨げられた20日間(9月11日から30日まで)の日数に応じて、同項により当然に減額される。他方、Dは10月1日から丙室の使用を再開しており(【事実】9)、9月30日に支払った10月分の賃料に減額はないから、問題となるのは9月分のみである。
(4) 契約②の賃料は前月末日払であり(【事実】7)、Dは、雨漏り発生前の8月31日に9月分賃料12万円全額を支払っている(【事実】10)。支払時点では9月分賃料債権は全額存在していたが、その後に生じた使用収益不能により同債権が減額された結果、減額分に相当する部分については、Aは法律上の原因なくこれを保持し(給付利得)、Dはこれにより損失を被っており、両者の間に因果関係も認められる。なお、Dは支払時に減額事由の発生を知り得ず、債務の不存在を知って弁済したものではないから、705条の適用もない。
(5) よって、請求2は、丙室の割合及び20日分に相当する減額分の限度で認められる。
2 イ 請求3について
(1) Dは、必要費償還請求権(608条1項)に基づき、本件工事の報酬として支出した30万円の償還を請求しているものと解される。同項によれば、賃借人は、賃借物について賃貸人の負担に属する必要費を支出したときは、賃貸人に対し、直ちにその償還を請求することができる。
(2) 必要費該当性
賃貸人は賃借物の使用収益に必要な修繕をする義務を負い(606条1項本文)、丙室の雨漏りは契約②締結前からの原因によるもので賃借人の責めに帰すべき事由によるものではない(同項ただし書参照)から、Aはその修繕義務を負っていた。雨漏りの修繕は賃借物の保存・維持のために必要な費用であるから、本件工事の報酬は「賃貸人の負担に属する必要費」に当たる。
(3) 無断修繕であることの影響
ア Aは、Dには丙室を無断で修繕する権利がなかったと反論する。賃借人は、修繕が必要である旨を賃貸人に通知し又は賃貸人がその旨を知ったにもかかわらず相当期間内に修繕をしないとき(607条の2第1号)、又は急迫の事情があるとき(同条2号)に限り、自ら修繕をすることができる。本件では、Dは、Aに何らの通知もしないままEに修繕を依頼しており(【事実】9)、Aが雨漏りと本件工事の事実を知ったのは工事完了後の10月10日である(【事実】10)上、本件工事について急迫の事情はなかったとされている。したがって、本件工事は、607条の2の修繕権に基づくものとはいえない。
イ しかし、607条の2は、608条1項の要件として規定されたものではなく、賃借人が一定の場合に賃借物を修繕しても賃貸人に対する債務不履行又は不法行為とならないことを明らかにする趣旨の規定である。他方、608条1項は、賃貸人が本来負担すべき費用を賃借人が支出した場合の費用負担の公平を図る規定であり、賃貸人は自ら修繕義務を負っていた以上、賃借人の支出により修繕義務を免れるという利益を受けている。したがって、修繕権に基づかない修繕であっても、そのことを理由に必要費償還請求権が排除され、又はその額が制限されることにはならない。Aの前記反論は失当である。
(4) 償還額
ア もっとも、Aは、報酬30万円は高すぎ、自分が一般の建設業者に依頼していれば20万円で足りたと反論する。608条1項が償還を認めるのは「賃貸人の負担に属する必要費」であり、賃貸人が修繕義務の履行として負担すべきであったのは、当該修繕に通常要する相当額にとどまる。通常の額を超える部分は、Eが雨漏りの状態を確認した上で提示した30万円の報酬をDが受け入れたという賃借人側の支出態様に起因するものであって(【事実】9)、賃貸人の負担に属するものとはいえない。
イ なお、607条の2の趣旨を、賃貸人が自ら修繕を行う利益の保護にあると理解する立場からは、修繕権に基づかない修繕については、賃貸人が自ら修繕したと仮定した場合の支出額を限度として償還請求が認められることになる。この立場によっても、Aが自ら一般の建設業者に依頼していれば20万円で足りたのであるから(【事実】10)、限度額は20万円となり、結論は異ならない。
ウ 本件では、本件工事と同じ内容及び工期の工事に対する適正な報酬額は20万円であるとされているから、Dが償還を請求しうる必要費は20万円を限度とする。
(5) よって、請求3は、20万円の限度で認められ、Dは、Aに対し、直ちにその償還を請求することができる。
第3 設問2
1 請求4は、Iが、丁土地の所有権に基づく返還請求権として、占有者Fに対し明渡しを求めるものである。請求4が認められるためには、Iが丁土地の所有権を取得し、かつ、これをFに主張しうることが必要である。Iは、G→H(契約③)→I(契約④)という所有権の移転を主張するものであるが、Gは契約③の意思表示を錯誤により取り消す旨をHに伝えている(【事実】15)。そこで、まず、Gによる契約③の取消しの可否を検討する。
2 錯誤による契約③の取消し
(1) 離婚に伴う財産分与の合意も法律行為であり、その意思表示には95条の適用がある(最判平成元年9月14日参照)。
(2) Gは、丁土地をHに財産分与として譲渡する旨の意思を有し、これに対応する表示をしているから、意思と表示の不一致(95条1項1号)はない。もっとも、Gは、契約③に係る課税がGではなくHにされると認識していたところ、実際には財産分与をした側であるGに約300万円が課税されるのであり(【事実】13・15)、Gが法律行為の基礎とした事情についての認識が真実に反していた。これは同項2号の基礎事情の錯誤に当たる。
(3) 基礎事情の錯誤による取消しは、その事情が法律行為の基礎とされていることが表示されていたときに限りすることができる(95条2項)。基礎事情の錯誤による不利益は本来表意者が負担すべきものであるから、同要件を満たすためには、表意者が動機を一方的に表示しただけでは足りず、当該事情がなければ意思表示の効力が否定されることについて、相手方が明示又は黙示に了解していたことを要すると解する。本件では、Gは、丁土地以外の財産をほとんど持たず失職中で収入がないことをHに伝えた(【事実】12)上で、契約③締結の際、Hに課税されることを気遣う発言をし、これに対しHは「私に課税される税金は、何とかするから大丈夫。」と応じている(【事実】13)。これらの事実によれば、Gが課税を負担しないことが契約③の前提であることは両者の共通認識となっており、Hにおいても、Gに課税されるのであれば契約③がされないことを黙示的に了解していたと評価できる。よって、表示の要件を満たす。
(4) また、Gは、自らに課税されるのであれば契約③の意思表示をしなかったのであるから(【事実】15)、錯誤に基づいて意思表示がされたといえる(主観的因果関係)。さらに、財産をほとんど持たず収入のないGにとって(【事実】12)、約300万円の課税は重大な負担であり、通常人もその事情を知れば意思表示をしなかったといえるから、錯誤は法律行為の目的及び取引上の社会通念に照らして重要なものである(客観的重要性)。なお、表示の要件を前記のように解する場合、相手方が了解した事情についての錯誤は通常重要性を備えるものであり、両要件は重なり合うが、本件ではいずれも充足される。
(5) Gは、税の帰属を確認せずに契約③を締結した点で重大な過失があった可能性がある(95条3項柱書)。しかし、HもHにのみ課税されると理解していた(【事実】13)のであるから、相手方Hは表意者Gと同一の錯誤に陥っていた(同項2号)。よって、Gの重過失の有無にかかわらず、Gは契約③の意思表示を取り消すことができる。
(6) Gは、令和6年1月15日、Hに対し契約③をなかったこととする旨を伝えており、これは相手方に対する取消しの意思表示(123条)に当たる。よって、契約③は初めから無効であったものとみなされ(121条)、原則として、Hは無権利者であり、Hから丁土地を買い受けたIも所有権を取得しない。
3 Iの95条4項による保護
(1) もっとも、錯誤による意思表示の取消しは、善意でかつ過失がない第三者に対抗することができない(95条4項)。同項は、取消しの遡及効(121条)から第三者を保護する規定であるから、その「第三者」とは、取消し前に、錯誤による意思表示によって生じた法律関係について新たに独立の法律上の利害関係を有するに至った者をいう(詐欺に関する大判昭和17年9月30日、最判昭和49年9月26日参照)。
(2) Iは、Gの取消し(令和6年1月15日)より前の同月10日に、Hとの間で契約④を締結して代金2000万円を支払っており(【事実】14)、取消し前に、契約③により生じた法律関係を基礎として丁土地の所有権を取得する原因を有するに至った者である。また、Iは、契約④締結時に、Gが課税について誤解していたことを知らず、知らないことについて過失がなかった(【事実】15)。Iは、Hから、Fが丁土地を無断で使用している事情の説明を受けていた(【事実】14)が、これは契約③の意思表示が錯誤によるものであることについての善意無過失とは無関係である。
(3) では、Iは登記(権利保護資格要件)を備える必要があるか。Iは移転登記を受けていない(【事実】14)。思うに、95条4項は錯誤に陥った表意者と第三者との利益調整の規定であるところ、錯誤による表意者は、欺罔された表意者(96条3項)と比べて、自ら誤った認識に基づき意思表示をした点で帰責性が大きい。他方、第三者は、取消し前に取引関係に入った者であり、表意者との間で対抗関係に立つわけではない。したがって、95条4項の「第三者」として保護を受けるために登記を備えることは要しないと解する。
(4) よって、Gは、契約③の取消しをIに対抗することができない。
4 IとFとの関係
(1) もっとも、Fもまた、令和6年1月25日、Gとの間で契約⑤を締結し、代金2000万円を支払っている(【事実】16)。そこで、Iは、丁土地の所有権取得をFに主張することができるかが問題となる。
(2) 取消しは、無効と異なり、取り消されるまでは意思表示が有効であり、取消しによって初めて遡及的にGに所有権が復帰する点で、94条2項の対抗不能とは構造を異にする。しかし、Gの取消しをIに対抗することができないとは、Iとの関係で取消しの遡及効が及ばず、丁土地の所有権がHからIに移転したものとして扱われるという意味にとどまり、GH間の契約③自体が有効となるわけではない点は、94条2項において無効な法律行為が第三者との関係でのみ有効として扱われるのと同様である。そうすると、Fとの関係では、Hは丁土地の所有権を確定的に取得したとはいえず、GからIへ直接所有権が移転したのと同様の関係に立つと解するのが相当である(94条2項に関する最判昭和42年10月31日の考え方参照)。他方、Fは、取消しによって所有権を回復したGから、契約⑤により丁土地の所有権を取得する原因を有する。したがって、IとFとは、Gを起点とする二重譲渡と同様の関係に立ち、177条により、登記を先に備えた者が優先する。
(3) これに対し、Hが登記を備えた以上、丁土地の所有権はG→H→Iと確定的に移転し、登記名義人でないGと取引したFは保護に値せず無権利であるとする見解もある。しかし、契約③は取り消されている以上、Fが保護に値しないとは直ちにいえず、この見解によれば、取消しをした表意者から不動産を取得しようとする者が現れなくなり、不動産の流通を著しく阻害する。よって、この見解は採用しない。
(4) 177条の「第三者」とは、当事者及びその包括承継人以外の者で、登記の欠缺を主張する正当な利益を有する者をいう。Fは、令和5年9月から丁土地を無断で駐車場として使用し始め、Gから口頭の抗議を受けていた者であり(【事実】11)、その占有は当初不法占有であって、この段階では登記の欠缺を主張する正当な利益を有しなかった。しかし、現在は契約⑤により所有権取得原因を有し、代金も支払って丁土地を占有している者であるから、Iの登記の欠缺を主張する正当な利益を有する。また、Fは、Gから、契約③が締結されたが錯誤により既になかったこととなっている旨の説明を受けている(【事実】16)にとどまり、Iの存在や契約④を知っていたとは認められず、Iの登記欠缺を主張することが信義に反する背信的悪意者(最判昭和43年8月2日参照)に当たるともいえない。
(5) そして、Iは丁土地について所有権移転登記を備えていない(【事実】14)。
5 以上によれば、Iは、登記を備えない限り、丁土地の所有権の取得を177条の「第三者」であるFに対抗することができない。したがって、Fが、Iの登記の欠缺を主張してその所有権取得を認めない旨を主張したときは、請求4は認められない。
以上