司法試験 令和元年 民法
問題文
[民事系科目]
〔第1問〕(配点:100〔〔設問1〕,〔設問2〕及び〔設問3〕の配点は,35:30:35〕)
次の文章を読んで,後記の〔設問1〕,〔設問2〕及び〔設問3〕に答えなさい。
Ⅰ
【事実】
1.平成29年5月10日,注文者Aと請負人Bは,A所有の土地に,Bが鉄骨鉄筋コンクリート造9階建ての建物を代金3億6000万円で建築する旨の請負契約(以下「本件契約」という。)を締結した。本件契約では,代金について,契約日に10%,着工日に30%,棟上げ日に40%,引渡日に20%を支払うこととされ,引渡日は,平成30年6月11日とされた。
2.Aは,本件契約に従い,Bに対し,請負代金債務の履行として,平成29年5月10日(契約日)に3600万円,同月17日(着工日)に1億800万円,同年8月9日(棟上げ日)
に1億4400万円を支払った。
3.Bは,必要な材料を全て自ら調達し,平成30年6月1日,本件契約で定められた仕様どおりに,建物(以下「甲建物」という。)を完成させた。
4.平成30年6月7日,この地域で発生した震度5弱の地震により,甲建物の一部が損傷して落下し,甲建物に面する道路を歩行していたCを負傷させた(以下「本件事故」という。)。これにより,Cは,治療費の支出を余儀なくされた。
5.甲建物の一部損傷をもたらした原因は,甲建物に用いられていた建築資材の欠陥にあった。
この資材は,定評があり,多くの新築建物に用いられていたが,本件事故を契機とした調査を通じて,その製造業者において検査漏れがあったこと,そのため,必要な強度を有しない欠陥品が出荷され,甲建物にはたまたまそのようなものが用いられていたことが,判明した。
〔設問1〕
【事実】1から5までを前提として,本件事故が発生した時点における甲建物の所有者は誰か,また,仮にその所有者が注文者Aであるとした場合,Cは,Aに対し,所有者としての責任を追及して,本件事故による損害の賠償を請求することができるか,理由を付して解答しなさい。
Ⅱ
【事実】
6.Dが所有する建物(以下「乙建物」という。)につき,D名義の所有権の保存の登記がされていた。
7.平成24年10月1日,DとE県との間で,DがEに対し乙建物を期間20年,賃料月額25万円で賃貸する契約(以下「本件賃貸借契約」という。)が締結された。同日,Eは同月分の賃料を支払い,Dは乙建物をEに引き渡した。同年11月分以降の賃料については,本件賃貸借契約において,Eは前月末日までにDが指定する銀行口座に振り込んで支払うこととされていた。Eは,これに従い,同年11月分以降の賃料を,前月末日までにDが指定した銀行口座に振り込んで支払っていた。
8.平成28年8月3日,Dは,Eから事前に了解を得て,Fとの間で,FのDに対する貸金3600万円の回収を目的として,本件賃貸借契約に係る同年9月分から平成40年(※令和10年に相当)8月分までの賃料債権をFに譲渡する旨の契約(以下「本件譲渡契約」という。)
を締結した。
平成28年8月3日,Dは,Eに対し,本件譲渡契約を締結したこと,及び,同年9月分以降の賃料をF名義の銀行口座に振り込んで支払うべきことを内容証明郵便で通知した。この通知は,翌日Eに到達した。
9.Eは,平成28年9月分以降の賃料を,【事実】8のDからの通知に従い,F名義の銀行口座に振り込んで支払った。
10.平成29年12月1日,Dは,Gから,Gに対する弁済期が経過した債務6000万円(以下「本件債務」という。)の弁済を求められた。
Dは,古くからの友人であるHに相談し,D,G及びHの間で協議が行われた。Dは,Gに,財産と呼べるものは乙建物と本件賃貸借契約に基づきEから取得する賃料だけであるが,その賃料に関してFとの間で本件譲渡契約をした旨述べた。これに対し,Gは,乙建物を売りに出せば,買主は長期の安定した賃料収入を見込めることもあり相当な価格で容易に売れるのではないかと述べ,その売却によって得られる代金から本件債務を弁済するよう求めた。㋐Hは,本件譲渡契約にかかわらず,乙建物の所有権を取得し登記を備えることによって,Eから本件賃貸借契約に係るそれ以後の賃料の支払を受けることができると考え,自ら乙建物を購入することとし,D及びGとの間で,後日正式に契約をする前提で以下の合意をした。
① Dは,Hに,乙建物を,その収益性を勘案した価格である6000万円で売却する。
② Hは,Dに対して①の売買代金の支払をするのではなく,DのGに対する本件債務の弁済を引き受けることによって,①の売買代金債務を消滅させるものとする。
③ Gは,Dの本件債務を免除する。
④ Hは,②で引き受ける債務の弁済として,Gに対し,①の売買契約の締結後直ちに3600万円を支払い,また,以後10年間,毎月20万円を支払う。
11.平成30年2月14日,【事実】10の①から④までの合意に従って,DとHとの間で乙建物の売買契約(以下「本件売買契約」という。)が,GとHとの間で本件債務に係る免責的債務引受契約(以下「本件債務引受契約」という。)が,それぞれ締結された。また,Gが,Dに対し,本件債務引受契約を締結した旨を伝えた。さらに,Hは,Gに対し,3600万円を支払った。
同月20日,乙建物について,本件売買契約を原因とするDからHへの所有権の移転の登記がされた。
12.平成30年2月21日,Dは,Eに対し,乙建物をHに売却したこと,及び,同年3月分以降の賃料をH名義の銀行口座に振り込んで支払うべきことを通知した。
13.平成30年2月22日,Eは,Fに対し,【事実】12の通知が来たことを知らせた。㋑Fは,本件売買契約にかかわらず,本件賃貸借契約に係る賃料の支払を受けることができると考え,Eに対し,同年3月分以降の賃料を引き続きF名義の銀行口座に振り込んで支払うことを求めた。
〔設問2〕
【事実】6から13までを前提として,【事実】10の下線部㋐を根拠付けるためにHがどのような主張をすることが考えられるか,【事実】13の下線部㋑を根拠付けるためにFがどのような主張をすることが考えられるかを述べた上で,下線部㋐と下線部㋑のいずれが正当であるかを検討しなさい。
〔設問3〕
【事実】6から13までを前提として,仮に【事実】13の下線部㋑が正当であるとした場合,Hは本件債務引受契約の無効を主張することができるか,理由を付して解答しなさい。
出題の趣旨
法務省が公表した出題の趣旨です。
〔第1問〕本問は,民法の幅広い分野から,民法の基礎的な理解とともにその応用力を問うものであり,当事者の主張を踏まえつつ法律問題の相互理解や事案の特殊性を論理的に分析して自説を展開する能力が試されている。
設問1は,建物新築請負契約に基づき請負人が工事を完了して,注文者所有土地上に建物を完成させたが,引渡しは未了の段階における当該新築建物の所有権の帰属と,所有権の帰属先とされることに伴う責任を問うものである。新築建物の所有権の帰属は,多数の関連判例(大判明治37年6月22日民録10輯861頁,大判昭和18年7月20日民集22巻660頁,最判昭和44年9月12日判例時報572号25頁,最判昭和46年3月5日判例時報628号48頁等)がある典型的な論点であるが,これを中心としつつ,物権法,契約法,不法行為法にまたがる複数の制度・規定についての検討を求めることを通じて,民法の基本的な理解と事案に即した論理展開能力が問われている。
設問1の前半では,新築建物の引渡し前の所有権の帰属が問題となるが,その前提として,建物は,その敷地とは別個独立に所有権の客体となることを確認する必要がある。
その上で,建物新築請負契約の当事者間に所有権の帰属についての合意があれば,契約自由の原則により,その合意に従って所有権の帰属が決定されることとなる。これに対し,その合意がない場合における新築建物の引渡し前の所有権の帰属については,いわゆる請負人帰属説と注文者帰属説とがあり,これについて論ずる必要がある。前記の判例は請負人帰属説に立っていると理解されているが,その規律内容を知識として有しているだけではなく,根拠を正確に理解していることが求められる。請負人帰属説と注文者帰属説のいずれの立場によっても構わないが,自己の採用した立場から一貫性のある法律構成をすることが必要である。
請負人帰属説に立つ場合には,新築建物の所有権の帰属について特段の合意がない場合には物権法の原則が妥当し,材料の所有権が積み上げられて完成した建物となることなどの理由から,材料の全部又は主要部分の提供者が誰かによって所有権の帰属が決せられることを原則としつつ,例外則として,注文者が代金の支払をしていたときは注文者が所有権を取得することを論ずべきことになる。
本問では,材料はその全部を請負人が調達して提供しており,本件事故時において建物は既に完成しているが,代金は8割が支払済みであるという事情がある。上記の代金支払による例外則の内容については,定式として,全額の支払を必要とする考え方と,大半が支払済みであればよいとする考え方とがあるが,いずれの定式によるのかを明確にしつつ,それと整合的な理由の提示が求められる。
例外則の根拠については,大別して,㋐材料の提供の実質に求める考え方と,㋑当事者の黙示の合意に求める考え方とがあり得る。
上記㋐の考え方は,材料の全部又は主要部分の提供者がいずれであるかによって決せられるという原則に照らして,代金の全額又は大半が支払われているときは,注文者が材料の原資を出しているといえるから,注文者が材料の提供者と考えることができるとする。この考え方によれば,「大半」といえるかどうかは,支払われた代金が材料の全部又は主要部分の費用に相当するかどうかが判断基準となり,この観点から,本問の事実の評価がされることになる。
上記㋑の考え方からは,請負契約は,注文者が仕事の結果に対して報酬を支払うものであるから,代金の全額が支払われた以上,仕事の結果である建物の所有権は注文者が取得するというのが両当事者の合理的意思であると考えられ,このような両当事者の意思(黙示の合意)を基礎として,全額支払済みの場合に例外則を発動させるとする見解が導かれ得る。
他方で,大半の支払の段階でも,注文者は,建物を取得するために契約をしたのであるから所有権を取得することができると考え,請負人も,報酬確保について懸念がなければ所有権を保持する利益がなく,所有権を注文者に取得させることに異存はないのが通常であるとも考えられる。そこで,このような両当事者の意思(黙示の合意)を基礎として例外則を発動させるとする見解も導かれ得る。この見解によれば,報酬確保として懸念のない状態にあるかどうかが判断基準となり,この観点から,本問の事実の評価がされることになる。
以上に対し,注文者帰属説に立つ場合には,判例が採用していると考えられる請負人帰属説の内容を示してこれを批判し,注文者帰属説を採用すべき理由を論ずることが求められる。
注文者帰属説による場合には,注文者への帰属を排除する特段の合意がない限り,甲建物は注文者Aに帰属すると結論付けることになる。
なお,所有権の帰属の決定に当たっては,前記のとおり,契約当事者の合意がまず基準となるところ,請負人帰属説か注文者帰属説かの対立に触れることなく,本問における契約内容,特に代金分割支払の合意内容等を詳細に分析・評価し,所有権の帰属についての(黙示の)合意を認定するという構成も妨げられるものではない。
設問1の後半は,注文者Aが甲建物の所有者であると仮定し,請負人Bが甲建物を占有している中でのAの土地工作物責任(民法第717条第1項ただし書)を論じさせることを通じて,土地工作物責任に関する基本的な理解と事例に即した法適用能力を問うものである。
建物が土地工作物に該当することには異論がないと考えられるが,設置又は保存の瑕疵については,土地工作物が通常備えるべき安全性を欠くことを意味することを指摘した上で,本問の事実関係のもとでの評価を示すことが求められる。甲建物は,震度5弱の地震に対する強度を備えておらず一部の損傷を生じているが,このような建物は,通常備えるべき安全性を備えていたとはいえず,設置の瑕疵があったといえる。
また,設置の瑕疵によってCを負傷させ,治療費の支出を余儀なくさせているから,損害の発生,因果関係が認められることを指摘する必要がある。
甲建物は,引渡し前であり,請負人Bの管理・支配下にある。民法第717条第1項の「占有者」の概念については争いがあるが,本問の場合は,いずれにしてもBが占有者に該当するため,占有者概念を詳述する必要はない。
所有者Aが土地工作物責任を負うか否かについて最も問題となるのは,占有者であるBが損害発生の防止に必要な注意を尽くしたかである。占有者の必要な注意とは,その種の占有者として通常尽くすべき注意を意味するが,このことを明らかにした上で,本問の事実を評価することが求められる。
【事実】5のとおり,甲建物の「瑕疵」は甲建物に用いられた建築資材の欠陥によるものであるが,この資材は定評があり,多くの新築建物に用いられていた。欠陥品が甲建物に用いられることになったのは,製造業者において検査漏れがあり,流通経路を経て,たまたま甲建物に用いられたという事情による。しかも,この事情は,本件事故を契機とした調査が行われて初めて明らかになっている。これらの事情からすれば,Bとして,逐一建築資材の強度を個別に検査することまでは要求されず,損害の発生の防止に必要な注意をしたと評価されよう。
これに対し,占有者の注意義務を高度なものとしてとらえ,実質的には無過失責任に近いものとして考える場合には,異なる結論を導く余地があるが,その場合には,そのような捉え方をすべきことを説得的に展開することが求められる。
また,以上と異なり,設置・保存の瑕疵について,通常備えるべき安全性を確保すべき義務に違反したことをいうとする立場を採用することも妨げられないが,その場合には,そのような立場に立脚すべき根拠を丁寧に,かつ,説得的に展開する必要がある。
設問2は,不動産の賃貸借から将来生ずべき賃料債権の譲渡がされた場合において,譲渡人がその不動産を売却し,賃貸人の地位が新所有者に承継されたときに,将来賃料債権譲渡の効力はその承継後の賃貸借から生ずる賃料債権に及ぶかを問うものであり,基本的事項に関する知識とこれを踏まえた論理的思考力が試されている。
この問題に関連する判例として,最判平成10年3月24日民集52巻2号399頁があるが,将来賃料債権の差押えの効力が発生した後に,賃貸借の目的不動産が譲渡され,それにより第三者が賃貸人の地位を承継したとしても,その第三者は,当該不動産に係る賃料債権を取得したことを差押債権者に対抗することができないとするものであり,本問のように,私人間の契約によって将来賃料債権が譲渡された後に賃貸借の目的不動産が譲渡された事案についての判例はない。
本問では,第三者対抗力を備えた将来賃料債権譲渡がされた場合において,賃料債権を生ずべき賃貸借の目的不動産が譲渡されたときに,将来賃料債権譲渡と目的不動産の譲渡のいずれの効力が優先すると考えるべきかを,種々の事情を考慮しながら検討することが求められる。
下線部㋐は,賃貸借の目的不動産の譲渡の効力が優先するとするものである。Hとしては,これを根拠付けるために,Hが乙建物の所有者となったことによりEに対する賃貸人となったことを主張すると考えられる。
これに関する確立した判例法理を前提とするならば,本問では,DH間の合意による賃貸人の地位の承継(以下「合意承継」という。),Hが乙建物を取得したことによる賃貸人の地位の当然承継(以下「法定承継」という。)のいずれも成り立つ(合意承継につき,最判昭和46年4月23日民集25巻3号388頁。法定承継につき,大判大正10年5月30日民録27輯1013頁等)。これらの判例法理と異なる考え方を採る場合には,判例法理を示し,その問題点を挙げ,採用すべき他の考え方を理由とともに示す必要がある。なお,判例法理に従う場合も,合意承継と法定承継との要件の違いを意識した論述が求められるとともに,合意承継については,契約上の地位の移転の一種であるにもかかわらず賃借人の同意を要しない理由を,法定承継については,目的不動産の所有権の移転により賃貸人の地位が当然に移転する理由を示すことが望ましい。
下線部㋑は,将来賃料債権譲渡の効力が優先するとするものである。下線部㋑が正当とされるためには,本件譲渡契約が有効であり,かつ,Fがその契約による将来賃料債権の取得を第三者に対抗することができることが必要である。
将来債権を譲渡する契約は,譲渡の目的とされる債権が特定されている場合には原則として有効であるとしつつ,例えば,その将来債権譲渡が,あまりに長期にわたる包括的なものであり,譲渡人の営業活動等に対して過度の制限を加え又は他の債権者に不当な利益を加えるものであると見られるなどの特段の事情があるときは,公序良俗違反などのため全部又は一部が無効になることがある,とするのが判例である(最判平成11年1月29日民集53巻1号151頁)。また,判例は,将来債権譲渡について第三者対抗要件を具備するためには,指名債権譲渡の対抗要件(民法第467条第2項)の方法によることができるとする(最判平成13年11月22日民集55巻6号1056頁)。
以上の判例に従う場合,本件譲渡契約は,「本件賃貸借契約による平成28年9月分から平成40年8月分までの賃料債権」(【事実】8)と譲渡の対象が特定されており,譲渡期間は12年と比較的長期であるものの,この一事をもって公序良俗に反するとまではいえないから,有効であると認められる。また,本件譲渡契約による将来賃料債権譲渡について,【事実】8のDからEに対する内容証明郵便による通知をもって,第三者対抗要件が具備されている。
したがって,Fは,本件譲渡契約による将来賃料債権の取得を第三者に対抗することができる。
上記を前提として,下線部㋐と下線部㋑のうちいずれが正当であるかを考えるべきことになるが,その際には理論的な理由と結論の妥当性の観点からの理由を共に挙げることが必要である。
下線部㋐を正当とする理論的な理由としては,本件譲渡契約における譲渡の対象は将来「債権」であり,譲渡人Dは,自己が取得すべき債権を処分することはできるが,他人が取得すべき債権を処分することはできないから,本件譲渡契約の効力は,Hが取得する賃料債権に及ばないとすることなどが考えられる。また,結論の妥当性の観点からの理由としては,将来債権譲渡は,もともと将来の債権の発生という不確実な事実に効力をかからせるものであり,賃貸借の目的不動産の譲渡により将来賃料債権の譲渡人(D)が取得すべき賃料債権が発生しなくなることは,当然想定される事態の一つであってやむを得ないことや,将来賃料債権の譲受人(F)が権利を失うことになる不利益は,将来賃料債権譲渡の契約の当事者(D及びF)の間で解決されるべき問題であることなどが考えられる。
これに対し,下線部㋑を正当とする理論的な理由としては,本問における将来賃料債権の譲渡は,本件賃貸借契約から将来生ずる賃料債権を譲渡の目的とするところ,Hは本件賃貸借契約における賃貸人の地位を承継するのであり,Hの下で生ずる賃料債権も本件賃貸借契約から生ずるものであるため,本件譲渡契約の効力がなお及ぶと考えられることなどが挙げられる。また,結論の妥当性の観点からの理由としては,賃貸借の目的不動産を譲り受けようとする者は,賃借人への照会その他の調査により,将来賃料債権譲渡がされた事実を知ることが通常可能であり,実際,本問においてHは本件譲渡契約がされたことを知りつつ本件売買契約を締結しているから,目的不動産(乙建物)の譲受人(H)が不測の不利益を受けることにはならないことや,下線部㋐を正当とすると将来賃料債権譲渡の効力が賃貸借の目的不動産の譲渡により容易に失われるため,将来賃料債権譲渡の有用性が著しく損なわれてしまうことなどが考えられる。
下線部㋐と下線部㋑のいずれを正当としてもよいが,解答に当たっては,それぞれを支える根幹的な論拠を前提としつつ,他に考慮されるべき事情とその評価について説得的に展開し,結論を導くことが求められる。
設問3は,いわゆる動機の錯誤による意思表示の無効の要件に関する基本的な理解を問うものである。
本件債務引受契約の無効の原因となるのは,Hの錯誤による意思表示である。本件債務引受契約に関するHの錯誤については2通りの捉え方が可能である。
第1に,Hは,本件売買契約によって乙建物の所有権を取得することによりEから本件賃貸借契約に係る賃料を収受することができるという認識(以下「下線部㋐の認識」という。)
の下で本件債務引受契約を締結している。そのため,下線部㋐の認識は,Hにとって,本件債務引受契約の動機であり,下線部㋐の認識が誤りであるという本問の前提に立つと,Hに動機の錯誤があるということができる。
第2に,【事実】10の②によれば,Hは,Dとの間の本件売買契約によって負う代金債務の代物弁済として,DのGに対する本件債務を引き受けている。したがって,Hは,Dに対して代金債務を負うことを動機として,本件債務引受契約に係る意思表示をしたと見ることもできる。この動機は,本件売買契約が有効であることを前提としているが,下線部㋐の認識が誤りであることによって本件売買契約が無効となれば,HがDに対して代金債務を負っていないことになるから,Hに動機の錯誤があるということができる。
Hの動機の錯誤を上記のいずれと解してもよいが,そのうちの一方が本件債務引受契約の無効を導くのであれば,その動機の錯誤について論ずる必要がある(他方について論ずる必要はない。)。いずれによっても無効にならない場合には,両方の動機の錯誤について論ずる必要がある。
動機の錯誤による意思表示の無効が認められるか,どのような要件の下で認められるかについては,種々の考え方がある。
判例は,動機の錯誤の場合,民法第95条は当然には適用されないことを前提として,一定の要件の下でのみ民法第95条による意思表示の無効を認める立場である。ここにいう「一定の要件」について,「動機が表示されて法律行為(又は意思表示)の内容になった」ことが必要であるとする理解が一般的であるが,例えば,動機は表示されたならば意思表示の内容になったと認められるとする理解などもある。
解答に当たっては,動機の錯誤による意思表示の効力や無効とする場合の要件をどのように判断すべきかについて,特定の立場を採ることが求められるものではないが,判例の理解を踏まえて採るべき立場を理由とともに明らかにし,本問の事実を自説の構成に従って適切にあてはめることが必要である。
例えば,民法第95条による無効が認められるためには,動機が表示され,かつ,その表示された動機が当事者の間で法律行為の内容とされたことが必要であるとする立場からは,次のことを論ずべきことになる。
まず,動機の表示の存否を論ずる必要がある。本件売買契約によって6000万円の代金債務を負うことが問題とすべき動機であるとする場合には,【事実】10の②から,動機がGに表示されていたと認められる。これに対し,Hの下線部㋐の認識が問題とすべき動機であるとする場合には,そのことがGに明示されているとまではいえないものの,【事実】10において,Gは,DとHに対し,乙建物の買主は本件賃貸借契約に係る賃料を収受することができるという,下線部㋐に相当する認識を述べている。そして,D,G及びHは,Gのこの発言を受けて本件売買契約の代金額を乙建物の収益性を勘案した額とすること(【事実】10の①),Hが本件売買契約によって負う代金債務の代物弁済として本件債務の弁済を引き受けること(【事実】10の②)を合意していることから,Hが下線部㋐の認識の下に本件債務を引き受けることが,Gに対し表示されていたと認められる。
次に,その動機が法律行為の内容になったと認められるか否かを論ずる必要がある。その前提として,「法律行為の内容になる」ということの意味が問題となるが,相手方が意思表示はその動機を何らかの意味で前提とするものであることを了解していたと認められればよいとする考え方,相手方が意思表示はその動機の存在を前提として効力が認められるものであることを受け入れていたといえる必要があるとする考え方などがあり得る。後者の考え方を採る場合には,その動機が誤っているときには意思表示の効力の前提が欠けることになるから,意思表示の無効が原則として認められる。それに対し,前者の考え方を採る場合には,意思表示が無効となるためには,動機の誤りに加えて,錯誤の重要性が認められなければならない。これについても,どの立場であってもよいが,採るべき立場の内容と理由を明確に示すことが求められる。
その上で,本問の事実を自説に適切に当てはめることが求められる。Hの下線部㋐の認識が問題とすべき動機であるとし,かつ,動機の法律行為の内容化につき上記のうち前者の立場を採った場合を例にとれば,Gは,何らの見返りもなく単なる友人の多額の債務を引き受けることは通常考えられないこと,下線部㋐の認識に相当することを自らD及びHに述べた上で【事実】10の三者間合意に加わったことから,Hが下線部㋐の認識を前提として本件債務引受契約を締結することを了解していたと認められる。そして,下線部㋐の認識が誤りである場合,Hは,Dの債務を引き受けることの「見返り」である利益を取得することができず,しかもその額は4500万円近くになることから,この錯誤の重要性は明らかであるということができる。
これに対し,本件売買契約によって代金債務を負うことが問題とすべき動機であるとする場合には,G及びHは,【事実】10の①~④より,Hがその代金債務を負うことを前提として本件債務引受契約に応じることを合意したといえるから,Hがその代金債務を負うことが本件債務引受契約の前提であるとGは了解しており,Hの錯誤の重要性も当然に認められると説明することも,GはHがDに対する代金債務を負わないのであれば本件債務引受契約は無効になることを受け入れていたと説明することもできる。なお,この場合には,Hは下線部㋐の認識が誤りであることにより本件売買契約に係る意思表示の無効を主張することができるかを,動機の錯誤による意思表示の無効が認められるための要件として自ら示したものに従って,論ずることが必要になる。
表意者に重大な過失があったときは,表意者は,錯誤による意思表示の無効を主張することができない。本問においても,Hに重大な過失があると認められるか,具体的には,Hが下線部㋐のように考えたことが重大な過失に当たるかを論ずる必要がある。これについては,事実を踏まえて結論を示すことが必要であり,その際,次に述べるような検討をすることが望ましい。
下線部㋐と下線部㋑のいずれが正当であるかは,法の解釈の問題であり,法を正しく解釈しないことは「法の不知」の一種といえなくもない。仮にそうであれば,「法の不知は保護しない」という法諺が妥当するとして,Hの重大な過失が認められることにもなり得る。しかしながら,下線部㋐と下線部㋑のいずれが正当であるかについて,判例も一般的といえる解釈も存在せず,取引社会の構成員として当然に知っているべきであるとはいえない。したがって,下線部㋐のように法の解釈を誤ったことをもってHは保護に値しないとすることは,適当でないと考えられる。仮にそのように考えない場合であっても,【事実】10からGも下線部㋐の認識の下に本件債務引受契約を締結したといえることから,GはHと同一の錯誤に陥っていたと認められ,契約の有効に対するGの信頼は保護に値せず,Hによる意思表示の無効の主張は妨げられないと解される。
参考答案AI生成(出題の趣旨と論証集をもとに作成した目安です)
第1 設問1
1 本件事故時における甲建物の所有者
建物は、土地の定着物であるが、社会通念上その敷地とは別個独立の不動産として所有権の客体となる(民法86条1項)。したがって、甲建物の所有権がAの土地所有権に吸収されることはなく、その帰属は独自に決せられる。
まず、建物新築請負契約の当事者間に完成建物の所有権の帰属についての合意があれば、契約自由の原則により、その合意に従って帰属が決せられる。本件契約には所有権の帰属に関する明示の定めはないから、合意がない場合の処理が問題となる。
この点について、注文者は仕事の結果の取得を目的として請負契約を締結するのであるから、完成建物は当然に注文者に帰属するとの見解(注文者帰属説)もある。しかし、請負人は報酬債権の確保について強い利益を有し、所有権を留保することがその簡明な手段となる。また、所有権の帰属は物権法の原則に従って決すべきであり、建物は材料が積み上げられて成立するものであるから、材料の所有権の帰趨が基準となるべきである。
そこで、所有権の帰属につき特段の合意がない場合には、材料の全部又は主要部分を提供した者が完成建物の所有権を原始取得すると解する(大判昭和18年7月20日)。もっとも、請負代金の全部又は大半が既に支払われている場合には、注文者が実質的に材料の原資を提供したものと評価でき、かつ、請負人にはもはや報酬確保のために所有権を保持する利益がないのが通常であるから、当事者の黙示の合意として、注文者が完成と同時に所有権を取得すると解すべきである。
本件では、材料は全てBが自ら調達して提供している(【事実】3)から、原則によればBが所有権を原始取得する。しかし、Aは、本件契約に従い、契約日に3600万円、着工日に1億800万円、棟上げ日に1億4400万円の合計2億8800万円、すなわち代金3億6000万円の8割を既に支払っている(【事実】2)。未払いは引渡日に支払われる2割にとどまり、建築資材の費用は既払分で十分に賄われているとみられるうえ、Bは残代金の確保について実質的な懸念を有しない状態にある。そうすると、代金の大半が支払済みであるといえ、Aが所有権を取得するとの黙示の合意が認められる。
よって、平成30年6月1日の完成と同時にAが甲建物の所有権を取得し、本件事故時(同月7日)における甲建物の所有者はAである。
2 Cの請求の根拠と要件
Aが所有者であるとした場合、CのAに対する請求は、土地工作物責任(717条1項ただし書)に基づく損害賠償請求である。
同条1項本文は、土地の工作物の設置又は保存に瑕疵があることによって他人に損害が生じたときは、その工作物の占有者が損害賠償責任を負うとし、同項ただし書は、占有者が損害の発生を防止するのに必要な注意をしたときは所有者が責任を負うとする。工作物の危険を支配する者に責任を負わせる危険責任の趣旨であり、所有者の責任は免責事由のない無過失責任である。
したがって、請求原因は、①甲建物が土地の工作物であること、②その設置又は保存に瑕疵があること、③瑕疵によりCに損害が生じたこと(因果関係)、④Aが所有者であること、⑤占有者が損害の発生を防止するのに必要な注意をしたことである。
3 各要件の検討
(1)甲建物は、土地に接着して築造された鉄骨鉄筋コンクリート造9階建ての建築物であり、土地の工作物に当たる(①)。
(2)「瑕疵」とは、当該工作物がその種類・用途等に照らして通常備えるべき安全性を欠くことをいう。本件では、甲建物は、震度5弱の地震により一部が損傷して落下している。建物は、その所在地域で通常生じうる程度の地震に耐え、外壁等が落下して通行人を危険にさらすことのない強度を備えるべきであり、震度5弱という程度の地震で一部が損傷落下する建物は、通常備えるべき安全性を欠く。その原因は甲建物に用いられた建築資材の欠陥にあり、建築時から存在した瑕疵であるから、設置の瑕疵が認められる(②)。
(3)この瑕疵による建物の一部の損傷落下により、道路を歩行していたCが負傷し、治療費の支出を余儀なくされているから、損害及び瑕疵との因果関係が認められる(③)。
(4)前記1のとおり、本件事故時の所有者はAである(④)。
(5)次に、占有者であるBが損害の発生を防止するのに必要な注意をしたかを検討する。甲建物は平成30年6月11日が引渡日とされ、本件事故時にはなお引渡し前でBの管理支配下にあったから、Bが717条1項本文の占有者に当たる。
ここに「必要な注意」とは、その種の工作物の占有者として通常尽くすべき注意をいう。本件において瑕疵の原因となった建築資材は、定評があり多くの新築建物に用いられていたものであって、請負人が通常これを選択することに問題はない。欠陥品が混入したのは、製造業者において検査漏れがあり、流通経路を経てたまたま甲建物に用いられたという事情によるものであり、しかもその事実は本件事故を契機とする調査によって初めて判明している。建築請負人に対し、定評ある資材について納入される製品の強度を逐一個別に検査することまで要求することは相当でない。
したがって、Bは損害の発生を防止するのに必要な注意をしたといえ、⑤が認められる。
4 結論
よって、Cは、Aに対し、717条1項ただし書に基づき、治療費等の損害の賠償を請求することができる。Aは、甲建物の瑕疵について自ら過失がないことを主張しても責任を免れない。なお、Aは、Bに対する契約不適合責任(559条・562条以下)に基づく損害賠償請求又は資材の製造業者に対する製造物責任法3条に基づく請求により、負担を転嫁しうる。
第2 設問2
1 Hの主張(下線部㋐)
Hは、乙建物の所有権を取得して登記を備えたことにより本件賃貸借契約の賃貸人の地位を承継し、平成30年3月分以降の賃料債権は賃貸人たるHについて発生するから、本件譲渡契約の効力はこれに及ばないと主張することが考えられる。
まず、DとHは、【事実】10①及び本件売買契約により、乙建物の所有権とともに賃貸人の地位を移転する旨を合意している。賃貸人の地位の移転は契約上の地位の移転の一種であるが、賃貸人の義務は目的物を使用収益させることであって所有者であれば誰でも履行できるから、賃借人の承諾を要しない(605条の3、最判昭和46年4月23日)。本件ではEの事前の了解もあり、合意による承継が認められる。
また、Eは平成24年10月1日に乙建物の引渡しを受けており、建物賃貸借の対抗要件を備えている(借地借家法31条)。したがって、乙建物の譲渡により賃貸人の地位は法律上当然にHに移転する(605条の2第1項)。賃借人の地位を保護するとともに、賃料収取権を目的物の所有権に伴わせることが当事者の通常の意思に沿うからである。所有権移転の登記は平成30年2月20日にされているから、HはEに対して賃貸人の地位の移転を主張できる(同条3項)。
2 Fの主張(下線部㋑)
Fは、本件譲渡契約により本件賃貸借契約から将来生ずべき賃料債権を取得し、第三者対抗要件も具備しているから、賃貸人の地位が承継された後に発生する賃料債権もなおFに帰属すると主張することが考えられる。
債権の譲渡は、その意思表示の時に債権が現に発生していることを要せず、譲受人は発生した債権を当然に取得する(466条の6第1項・2項)。将来債権の譲渡は、譲渡の目的となる債権が特定されている場合には原則として有効であり、ただし、あまりに長期にわたる包括的なものであって譲渡人の営業活動等に過度の制限を加え又は他の債権者に不当な不利益を与えるなどの特段の事情があるときに限り、公序良俗違反として全部又は一部が無効となる(最判平成11年1月29日)。
本件譲渡契約は、本件賃貸借契約に係る平成28年9月分から平成40年8月分までの賃料債権と対象が明確に特定されている。譲渡期間は12年と長期であるが、賃貸借期間20年のうちの一部であり、3600万円の貸金の回収という目的に照らして均衡を失するものでもないから、特段の事情は認められず、本件譲渡契約は有効である。
また、将来債権の譲渡についても債権譲渡の対抗要件の方法によることができる(最判平成13年11月22日)。本件では、平成28年8月3日にDがEに対し内容証明郵便で譲渡の通知をし、翌日到達しているから、確定日付のある証書による通知として第三者対抗要件が具備されている(467条2項)。
3 いずれが正当か
両者の主張はいずれも前提を満たすため、将来賃料債権譲渡と目的不動産の譲渡のいずれの効力が優先するかが問題となる。
㋑を支える論拠としては、本件譲渡契約の目的が「本件賃貸借契約から生ずる賃料債権」であり、Hは同一の本件賃貸借契約の賃貸人の地位を承継するにすぎないから、承継後に発生する賃料債権もなお本件譲渡契約の対象に含まれるという点が挙げられる。また、㋐を正当とすれば、譲渡人が目的不動産を処分するだけで将来賃料債権譲渡の効力を容易に失わせることができ、資金調達手段としての有用性が著しく損なわれる。本件でHは本件譲渡契約の存在を知りつつ本件売買契約を締結しており(【事実】10)、不測の不利益を受けるものでもない。
しかし、債権の処分は自己が取得すべき債権についてしか行いえず、他人が取得すべき債権を処分することはできない。賃貸人の地位が移転した後の賃料債権は、新賃貸人Hが目的物を使用収益させる義務を履行することの対価としてHについて原始的に発生するものであって、Dが取得すべき債権ではない。また、将来債権譲渡は、債権の発生という不確実な事実に効力をかからせるものであり、その発生基盤が譲渡人の手を離れることは当然想定される事態である。賃料債権の発生基盤である所有権が移転した以上、その後の賃料債権が譲渡人の下で発生しなくなることは、譲受人が引き受けたリスクの現実化にすぎず、FはDとの間で担保の追加や損害賠償によって処理すべきである。さらに、㋑を正当とすると、Hは賃貸人としての義務のみを負いながら対価である賃料を長期にわたり一切収取できないことになり、著しく均衡を失する。Hが本件譲渡契約を知っていたことは、Dに対する責任追及の問題にとどまり、Hの賃料収取権自体を否定する根拠とはならない。
よって、下線部㋐が正当であり、Eは平成30年3月分以降の賃料をHに支払うべきである。
第3 設問3
1 問題の所在
仮に下線部㋑が正当であるとすると、Hは、乙建物の所有権を取得しても本件賃貸借契約に係る賃料を収取することができない。そこで、Hは、本件債務引受契約に係る自己の意思表示に錯誤があったと主張することが考えられる。もっとも、現行法の下では錯誤の効果は取消しであるから(95条1項)、Hは無効を主張することはできず、取消しを主張しうるにとどまる。以下、取消しの可否を検討する。
2 錯誤の有無
Hは、乙建物の所有権を取得すれば本件譲渡契約にかかわらずEから本件賃貸借契約に係る賃料の支払を受けることができるという認識(下線部㋐の認識)の下で、6000万円の本件債務の引受けという重大な負担を負う意思表示をした。これは、意思表示に対応する意思は存在するものの、表意者が法律行為の基礎とした事情についての認識が真実に反する場合であり、95条1項2号の錯誤に当たる。
3 基礎事情の表示(95条2項)
95条1項2号の錯誤による取消しは、その事情が法律行為の基礎とされていることが表示されていたときに限りすることができる(同条2項)。相手方の予測可能性を害しない範囲で表意者を保護する趣旨である。そして、ここでは、当該事情が法律行為の基礎とされていることが黙示的にであれ相手方に表示され、相手方がこれを了解していたと認められることを要すると解する。
本件では、Hが下線部㋐の認識を明言したとの事実はない。しかし、G自身が、【事実】10において、乙建物を売りに出せば買主は長期の安定した賃料収入を見込めることもあり相当な価格で容易に売れると述べ、Dが本件譲渡契約の存在を告げた後もこの認識を前提として協議を進めている。そして、三者は、この発言を受けて、売買代金額を乙建物の収益性を勘案した6000万円とすること(①)、Hがその代金債務の支払に代えてDのGに対する本件債務を引き受けること(②)を合意し、これに従って本件売買契約と本件債務引受契約が同日に締結されている。
Hが何らの見返りもなく友人Dの6000万円の債務を引き受けることは通常考えられず、Hの負担の対価は賃料収入を伴う乙建物の取得にほかならない。そうすると、Hが賃料を収取しうることを前提として本件債務を引き受けることは、Gに対して黙示に表示され、Gもこれを了解していたと認められる。よって95条2項の要件を満たす。
4 重要性(95条1項)
錯誤は、法律行為の目的及び取引上の社会通念に照らして重要なものでなければならない。本件では、Hは、既にGに3600万円を支払い、以後10年間毎月20万円を支払う義務を負う一方、下線部㋐の認識が誤りであれば、平成40年8月分までの賃料という対価をほぼ全く取得できない。その額は合計4000万円を超え、代金額6000万円の算定根拠そのものが失われる。通常人であればこのような錯誤がなければ本件債務引受けの意思表示をしなかったといえるから、錯誤の重要性は明らかである。
5 重大な過失(95条3項)
錯誤が表意者の重大な過失によるものであった場合には、取消しは制限される(95条3項)。下線部㋐の認識は法の解釈を誤ったものであり、法の不知として重大な過失に当たるとの見方もありうる。
しかし、将来賃料債権譲渡と目的不動産の譲渡の優劣については、確立した判例も一般的な解釈も存在せず、取引社会の構成員として当然に知っておくべき事柄とはいえない。したがって、Hが下線部㋐のように考えたことをもって重大な過失があるとすることは適当でない。
仮に重大な過失が認められるとしても、相手方が表意者と同一の錯誤に陥っていたときは取消しが認められる(95条3項2号)。本件では、前記のとおりG自身が買主は賃料収入を見込めると述べており、Gも下線部㋐の認識を共有していた。Gの契約の有効性に対する信頼は保護に値しないから、同号によりHの取消しは妨げられない。
6 結論
よって、Hは、本件債務引受契約の無効を主張することはできないが、95条1項2号・2項に基づき、本件債務引受契約に係る意思表示を取り消し、同契約の効力を否定することができる。
以上