司法試験 平成23年 民法
問題文
[民事系科目]〔第1問〕(配点:100〔〔設問1〕から〔設問3〕までの配点の割合は,4:3:3〕)
次の文章を読んで,後記の〔設問1〕から〔設問3〕までに答えなさい。なお,解答に当たっては,利息及び遅延損害金を考慮に入れないものとする。
【事実】1.AとBは,共に不動産賃貸業を営んでいる。Bは,地下1階,地上4階,各階の床面積が80平方メートルの事務所・店舗用の中古建物一棟(以下「甲建物」という。 )及びその敷地200平方メートル(以下「乙土地」という。)を所有していた。甲建物の内装は剥がれ,エレベーターは老朽化して使用することができず,賃借人もいない状況であったが,Bは,資金面で余裕があったにもかかわらず,貸ビルの需要が低迷し,今後当分は賃借人が現れる見込みがないと考え,甲建物を改修せず,放置していた。Bは,平成21年7月上旬,現状のまま売却する場合の甲建物及び乙土地の市場価値を査定してもらったところ,甲建物は1億円,乙土地は4億円であるとの査定額が出た。
2.平成21年8月上旬,Bは,Aから,「甲建物の地下1階及び地上1階を店舗用に,地上2階から4階までを事務所用に,それぞれ内装を更新し,エレベーターも最新のものに入れ替えた建物に改修する工事を自らの費用で行うので,甲建物を賃貸してほしい。」との申出を受けた。この申出があった当時,甲建物を改修して賃貸に出せる状態にした前提で,これを一棟全体として賃貸する場合における賃料の相場は,少なくとも月額400万円であり,A及びBは,そのことを知っていた。
3.そこで,AとBは,平成21年10月30日,甲建物の使用収益のために必要なエレベーター設置及び内装工事費用等は全てAが負担すること,設置されたエレベーター及び更新された内装の所有権はBに帰属すること,甲建物の賃料は平成22年2月1日から月額200万円で発生し,その支払は毎月分を当月末日払いとすること,賃貸期間は同日から3年とすることを内容として,甲建物の賃貸借契約を締結した。その際,賃貸借契約終了による甲建物の返還時にAはBに対して上記工事に関連して名目のいかんを問わず金銭的請求をしないこと,Aが賃料の支払を3か月間怠った場合,Bは催告なしに賃貸借契約を解除することができること,Aは甲建物の全部又は一部を転貸することができること,契約終了の6か月前までに一方当事者から異議の申出がされない限り,同一条件で契約期間を自動更新することという特約が,AB間で交わされた。また,AB間での賃貸借契約の締結に際し,敷金として2500万円がAからBに支払われた。
4.平成21年11月10日,Aは,Bから甲建物の引渡しを受け,Bの承諾の下,Cとの間で,甲建物の地下1階から地上4階までの内装工事をCに5000万円で請け負わせる契約を締結し,また,Dとの間で,エレベーター設備の更新工事をDに2000万円で請け負わせる契約を締結した。いずれの契約においても,工事完成引渡日は平成22年1月31日限り,工事代金は着工時に上記金額の半額,完成引渡後の1週間以内に残金全部を支払うこととされた。そして,Aは,同日,Cに2500万円,Dに1000万円を支払った。
5.Cは,大部分の工事を,下請業者Eに請け負わせた。CE間の下請負契約における工事代金は4000万円であり,Cは,Eに前金として2000万円を支払った。
6.C及びDは,平成22年1月31日,全内装工事及びエレベーター設備の更新工事を完成し,同日,Aは,エレベーターを含む甲建物全体の引渡しを受けた。
7.Aは,Dに対しては,平成22年2月7日に請負工事残代金1000万円を支払ったが,Cに対しては,内装工事が自分の描いていたイメージと違うことを理由として,残代金の支払を拒否している。また,Cは,Eから下請負工事残代金の請求を受けているが,これを支払っていない。
8.Aは,Bとの賃貸借契約締結直後から,平成22年2月1日より甲建物を一棟全体として,月額賃料400万円で転貸しようと考え,借り手を探していたが,なかなか見付からなかった。そのため,Aは,Bに対し賃料の支払を同月分からしていない。
9.Bは,Aに対し再三にわたり賃料支払の督促をしたが,Aがこれを支払わないまま,3か月以上経過した。しかし,Bは,Aに対し賃貸借契約の解除通知をしなかった。その後,Bは,Aの未払賃料総額が6か月分の1200万円となった平成22年8月1日に,甲建物及び乙土地を,5億6000万円でFに売却した。代金の内訳は,甲建物が1億6000万円で,乙土地が4億円であった。甲建物の代金は,内装やエレベーターの状態など建物全体の価値を査定して得られた甲建物の市場価値が2億円であったことを踏まえ,FがBから承継する敷金返還債務の額が1300万円であることその他の事情を考慮に入れ,査定額から若干値引きすることにより決定したものである。Fは,同日,Bに代金全額を支払い,甲建物及び乙土地の引渡しを受けた。そして,同年8月2日付けで,上記売買を原因とするBからFへの甲建物及び乙土地の所有権移転登記がされた。なお,上記売買契約に際して,B及びFは,FがBの敷金返還債務を承継する旨の合意をした。
10.Fは,Bから甲建物及び乙土地を譲り受けるに際し,Aを呼び出してAから事情を聞いたところ,遅くとも平成22年中には転貸借契約を締結することができそうだと説明を受けた。そのため,Fは,早晩,Aが転借人を見付けることができ,Aの賃料の支払も可能になるだろうと考えた。また,Fは,甲建物及び乙土地の購入のために金融機関から資金を借り入れており,その利息負担の軽減のため,その借入元本債務を期限前に弁済しようと考えた。そこで,Fは,同年9月1日,FがAに対して有する平成23年1月分から同年12月分までの合計2400万円の賃料債権を,その額面から若干割り引いて,代金2000万円でGに譲渡する旨の契約をGとの間で締結し(以下「本件債権売買契約」という。),同日,代金全額がGからFに対して支払われた。そして,同日,FとGは,連名で,Aに対して,上記債権譲渡につき,配達証明付内容証明郵便によって通知を行い,翌日,同通知は,Aに到達した。
11.ところが,平成22年9月末頃,Aが売掛金債権を有している取引先が突然倒産し,売掛金の回収が見込めなくなり,Aは,この売掛金債権を自らの運転資金の当てにしていたため,資金繰りに窮する状態に陥るとともに無資力となった。そのため,Aは,Fとの間で協議の場を設け,今となっては事実上の倒産状態にあること及び甲建物の内装工事をしたCに対する請負残代金2500万円が未払であることを含め,自らの置かれた現在の状況を説明するとともに,甲建物の転借を希望する者が現れないこと,今後も賃料を支払うことのできる見込みが全くないことを告げ,Fに対し,この際,Fとの間の甲建物の賃貸借契約を終了させたいと申し入れた。Fは,Aに対する賃料債権をGに譲渡していることが気になったが,いずれにせよ,Aから賃料が支払われる可能性は乏しく,Gによる賃料債権回収の可能性はないと考え,Aの申入れを受けて,同年10月3日,A及びFは,甲建物の賃貸借契約を同月31日付けで解除する旨の合意をした。この合意に当たり,AF間では何らの金銭支払がなく,また,A及びFは,Fに対する敷金返還請求権をAが放棄することを相互に確認した。そして,同月31日,Aは,Fに甲建物を引き渡した。
12.Fは,Aとの間で甲建物の賃貸借契約を解除する旨の合意をした平成22年10月3日以降,直ちに,Aに代わる借り手の募集を開始した。Hは,満70歳であり,衣料品販売業を営んでいる。Hは,事業拡張に伴う営業所新設のための建物を探していたが,甲建物をその有力な候補とし,Fに対し,甲建物の内覧を申し出た。Hは,同月12日,Fを通じてAの同意をも得た上で,甲建物の内部を見て歩き,エレベーターに乗ったところ,このエレベーターが下降中に突然大きく揺れたため,Hは,転倒して右足を骨折し,3か月の入院加療が必要となった。このエレベーターの不具合は,設置工事を行ったDが,設置工程において必要とされていた数か所のボルトを十分に締めていなかったことに起因するものであった。
13.Hは,この事故に遭う1年ほど前から,時々,歩いていてバランスを崩したり,つまずいたりするなどの身体機能の低下があり,平成22年4月に総合病院で検査を受けていた。その検査の結果は,Hの身体機能の低下は加齢によるものであって,無理をしなければ日常生活を送る上での支障はないが,定期的に病院で検査を受けるよう勧める,というものであった。
14.Hは,この勧めに従って,上記総合病院で,平成22年5月から毎月1回の検査を受けていたが,特段の疾患はないと診断されていた。一方,この間,Hの妻が病気で入院したため,Hは,毎日のように病院と自宅とを往復し,時として徹夜で妻に付き添っていた。そのため,Hは,同年7月下旬頃から,かなりの疲労の蓄積を感じていた。Hが同年10月12日に甲建物のエレベーターの揺れによって転倒し,右足を骨折するほどの重傷を負ったのは,Hのここ1年ほどの身体機能の低下と妻の看病による疲労の蓄積も原因となっていた。
15.なお,甲建物の市場価値は,平成22年1月31日の工事完成による引渡し以降,現在に至るまで,大きな変化なく2億円ほどで推移している。乙土地の市場価値も,この間,大きな変化なく4億円ほどで推移している。
〔設問1〕 【事実】1から11まで及び【事実】15を前提として,以下の⑴及び⑵に答えなさい。
なお,解答に当たっては,敷金返還債務はGに承継されていないものとして,また, 【事実】7に示したAのCに対する支払拒絶には合理的理由がないものとして考えなさい。民法第248条に基づく請求については,検討する必要がない。
⑴ Cは,不当利得返還請求の方法によって,Bから,AC間の請負契約に基づく請負残代金に相当する額を回収することを考えた。Cが請求する場合の論拠及び請求額について,Bからの予想される反論も踏まえて検討しなさい。
⑵ Cは,不当利得返還請求以外の方法によって,Fから,AC間の請負契約に基づく請負残代金に相当する額を回収することを考えた。Cが請求する場合の論拠及び請求額について,Fからの予想される反論も踏まえて検討しなさい。
〔設問2〕 Gは,平成23年4月1日,Aに対して,同年1月分から同年3月分までの未払賃料総額計600万円の支払を求めた。しかし,Aは,そもそも当該期間に対応する賃料債務が発生していないことを理由に,これを拒絶した。そこで,Gは,Fの債務不履行を理由として,本件債権売買契約を解除し,Fに対し代金相当額の返還を求めることにした。
【事実】1から11までを前提として,Gの上記解除の主張を支える法的根拠を1つ選び,それについて検討しなさい。その際,Fのどのような債務についての不履行を理由とすることができるか,また,解除の各要件は充足されているかを検討しなさい。
なお,検討に当たって,本件債権売買契約は有効であること及びAF間の賃貸借契約の合意解除は有効であることを前提とするとともに,敷金については考慮に入れないものとする。また,GからFに対する損害賠償請求については,検討する必要がない。
〔設問3〕 【事実】1から14までを前提として,以下の⑴及び⑵に答えなさい。
⑴ Hは,【事実】12に示したエレベーター内での転倒により被った損害の賠償を請求しようと考えた。Hが損害賠償を請求する相手方として検討すべき者を挙げ,そのそれぞれに対して損害賠償を請求するための論拠について,予想される反論も踏まえて論じなさい。
⑵ Hの損害賠償請求が認められる場合に,Hの身体機能の低下及び疲労の蓄積が損害の発生又は拡大を招いたことを理由として,賠償額が減額されるべきか,理由を明らかにしつつ結論を示しなさい。
参考答案AI生成(出題の趣旨と論証集をもとに作成した目安です)
第1 設問1⑴
1 Cの請求の論拠
Cは、Bに対し、不当利得返還請求権(民法703条、704条)に基づき、AC間の請負契約に基づく請負残代金2500万円に相当する額の返還を請求する。
不当利得(703条)の要件は、①法律上の原因のない利得、②他人の損失、③①・②の間の因果関係(社会観念上の関連性で足りる)である。
本件では、Cは、Aとの請負契約に基づき甲建物の地下1階から地上4階までの内装工事を完成させ、平成22年1月31日にこれをAに引き渡したが、Aの支払拒絶により残代金2500万円を回収できていない。他方、A・B間の賃貸借契約(平成21年10月30日)では、設置されたエレベーター及び更新された内装の所有権はBに帰属するものとされており、現にBは、工事完成前には1億円であった甲建物を、工事完成後の市場価値2億円を踏まえ1億6000万円でFに売却して代金全額を受領している。すなわちCの工事による価値増加分はBに帰属した。
そこで、Cは、自己の給付した仕事の成果が契約当事者でないBの利益に転用された場合に、Bに対して直接不当利得返還請求をなしうるか(いわゆる転用物訴権)が問題となる。
2 転用物訴権の成否
Cの損失とBの利得との間には、Aとの請負契約及びA・B間の賃貸借契約という二つの契約が介在している。しかし、不当利得における因果関係は社会観念上の関連性で足りるから、契約が介在することのみを理由に因果関係を否定すべきではない。
もっとも、Bは、Aとの間の賃貸借契約という法律関係に基づいて利得を得ているのであるから、無条件にこれを「法律上の原因のない」利得とみることはできない。判例は、賃借人が建物に改修工事を施した場合につき、所有者が法律上の原因なくして利益を受けたといえるためには、賃貸借契約を全体としてみて、所有者が対価関係なしに利益を受けたことを要するとしている(最判平成7年9月19日)。賃貸人が工事に相当する利益を得ている反面で、権利金の不徴収、賃料の減額等の形でその対価を負担しているときは、法律上の原因を欠くとはいえないからである。かかる処理は、無償で利得した者からのみ返還を認めることによって、契約当事者間の危険分配(請負人は注文者の無資力の危険を自ら引き受けている)を無意味にしないという点でも正当である。
3 本件へのあてはめ
本件では、甲建物を改修して一棟全体を賃貸する場合の賃料相場は少なくとも月額400万円であり、A及びBはいずれもそのことを知っていた。それにもかかわらず、A・B間の賃料は月額200万円と定められ、賃貸期間は3年とされている。これは、Aが工事費用全額(Cへの5000万円及びDへの2000万円の計7000万円)を負担することの対価として、Bが相場の半額という賃料減額を受け入れたものと評価できる。月額200万円の減額が36か月分で7200万円に上ることは、工事費用7000万円とほぼ見合う。加えて、契約終了6か月前までに異議の申出がない限り同一条件で自動更新されるとの特約があり、減額賃料はさらに継続する可能性があった。また、権利金の徴収もされていない。
したがって、Bは、Cの工事による価値増加の利益を、賃料減額という対価を負担して取得したものであり、対価関係なしに利益を受けたとはいえない。
4 Bからの予想される反論と検討
これに対しCは、Bは平成22年2月分以降の賃料を現実には1円も受領しないまま甲建物を売却しており、現実の対価負担はないと反論することが考えられる。しかし、未払賃料1200万円は賃料債権として存続し、敷金2500万円から控除されて返還すべき敷金が1300万円にとどまることにより、Bは実質的にこれを回収している。Fへの売却代金の決定においても敷金返還債務1300万円が考慮されている。よって、対価の現実的負担が欠けるとはいえない。
また、Cは、A・B間には、賃貸借終了による甲建物の返還時にAがBに対し工事に関連して名目のいかんを問わず金銭的請求をしないとの特約があり、Bは工事による利益を無償で確保していると反論しうる。しかし、この特約も、賃料を相場の半額に抑えることとの引換えで合意された契約条件の一部であって、むしろBが対価を負担したことを裏付ける事情である。
さらに、Bは、甲建物をFに売却済みであるから利益は現存しないとも反論しうる。しかし、現物の利得は売買代金に転化しており、Bは甲建物の売却により工事前の査定額1億円を6000万円上回る代金を得ているから、「現に利益の存する限度」(703条)の利益は存在する。この反論は理由がない。もっとも、以上の検討によれば、そもそも法律上の原因を欠くとはいえないから、Cの請求は認められない。
5 結論
Cの不当利得返還請求は認められない。仮に転用物訴権が認められるとしても、返還額は、Bの利得額(Cの工事による甲建物の価値増加分)とCの損失額のいずれか少ない額に限られるから、請負残代金2500万円を限度とすることになる。
第2 設問1⑵
1 Cの請求の論拠
Cは、不当利得返還請求以外の方法として、債権者代位権(423条1項)に基づき、無資力であるAがFに対して有する敷金返還請求権(622条の2第1項1号)を代位行使し、Fに対して直接自己への支払を請求する。もっとも、Aは平成22年10月3日の合意解除に際しFに対する敷金返還請求権を放棄しているため、Cは、まず詐害行為取消権(424条)によりこの放棄を取り消す必要がある。
2 被代位権利の存在
Bは平成22年8月1日に甲建物をFに売却し、同月2日に所有権移転登記を了している。賃貸借の対抗要件を備えた賃借物である建物が譲渡されたときは、賃貸人の地位は譲受人に移転し(605条の2第1項)、敷金返還債務も譲受人に承継される(同条4項)。B・F間でもその旨の合意がされている。敷金2500万円のうち未払賃料1200万円が当然に充当されるから、Fが承継した敷金返還債務は1300万円である。
敷金返還請求権は、賃貸借が終了し、かつ目的物の明渡しが完了した時に、未払債務を控除した残額について発生する(622条の2第1項1号、最判昭和48年2月2日)。本件では平成22年10月31日にAがFに甲建物を引き渡しているから、同日に1300万円の敷金返還請求権が発生していたはずである。
3 敷金返還請求権の放棄の詐害行為取消し
⑴ 詐害行為取消権(424条1項)の要件は、①債権者の被保全債権が詐害行為前の原因に基づいて生じたこと(424条3項)、②債務者が債権者を害することを知って行為をしたこと、③受益者の悪意(同条1項但書)、④債務者の無資力である。無償行為についてはさらに424条の3以下の特則があるが、本件の権利放棄は財産減少行為そのものであるから424条1項によればよい。
本件では、①Cの請負残代金債権2500万円は平成22年2月7日の支払期限到来により、放棄(同年10月3日)より前の原因に基づいて生じている。②Aは、平成22年9月末頃に取引先の倒産により無資力となり、Fとの協議の場で事実上の倒産状態にあること及びCに対する請負残代金2500万円が未払であることを自ら説明した上で、何らの金銭の支払も受けずに唯一の積極財産といえる敷金返還請求権1300万円を放棄している。これは一般債権者に対する弁済の原資を無償で失わせる行為であり、Aに詐害の認識があったことは明らかである。③Fは、Aの口から倒産状態とCへの未払の存在を聞いており、受益者としての悪意が認められる。④Aは無資力である。
したがって、Cは、Aの敷金返還請求権放棄を詐害行為として取り消すことができる。
⑵ Fの予想される反論は、放棄は賃貸借契約の合意解除という有償の取引の一部であり、Fも未払賃料1200万円の請求を事実上断念しているから、Aの財産を一方的に減少させたとはいえないというものである。しかし、未払賃料1200万円は敷金から当然に充当されて既に消滅しており、Fが追加して失うものはない。放棄の対価としてAが得た利益は認められないから、この反論は理由がない。
⑶ Cの被保全債権額は2500万円であり、取消しの対象である敷金返還請求権1300万円はこれを下回るから、Cはその全部について取消しを請求できる(424条の8第1項)。そして、金銭の支払を目的とする詐害行為の取消しにおいては、取消債権者は受益者に対し直接自己への支払を請求でき、これにより事実上の優先弁済を受ける(424条の9第1項)。
4 他の方法の検討
Cは、Aの有益費償還請求権(608条2項)を代位行使することも考えられる。しかし、A・B間には、賃貸借終了による返還時にAがBに対し工事に関連して名目のいかんを問わず金銭的請求をしない旨の特約があり、同特約は賃貸人の地位の承継に伴いFにも及ぶから、被代位権利としての費用償還請求権は存在しない。
5 結論
Cは、Aの敷金返還請求権の放棄を詐害行為として取り消し(424条)、債権者代位権(423条)によりFに対し1300万円の支払を請求することができる。
第3 設問2
1 Gの主張する法的根拠
Gは、本件債権売買契約の売主Fが、譲渡した債権の発生の基礎である賃貸借契約をAとの合意解除により消滅させ、債権を発生しない状態に至らせたことをとらえ、Fの権利移転義務(561条参照)の不履行、すなわち債務の全部の履行が不能であること(542条1項1号)を理由として、本件債権売買契約を解除する(540条1項)。
2 Fの債務の内容
本件債権売買契約の目的は、Fが平成23年1月分から12月分までの賃料債権合計2400万円である。将来発生すべき債権の譲渡も有効であり(466条の6第1項)、譲渡時に債権が現に発生していることは要しない。もっとも、債権の売主は、売買契約の内容に適合する権利を買主に移転する義務を負う(561条、565条)。そして、将来債権の売買においては、売主は、その発生の基礎たる法律関係を自らの行為によって失わせ、債権を発生させなくする行為をしてはならない義務を、契約に付随する義務として負うと解する。信義誠実の原則(1条2項)に照らし、自ら対価を取得しながら売買の目的を一方的に消滅させることは許されないからである。
3 不履行の有無
本件では、Fは、平成22年9月1日にGから代金2000万円の全額を受領しながら、同年10月3日、Aとの間で甲建物の賃貸借契約を同月31日付けで解除する旨の合意をした。これにより、平成22年11月分以降の賃料債権は発生する余地がなくなり、譲渡の目的である平成23年1月分から12月分までの賃料債権2400万円は全部につき発生しないことが確定した。既発生部分は存在しない。したがって、Fの権利移転義務は全部について履行不能であり、542条1項1号に該当する。
4 解除の要件の検討
⑴ 無催告解除(542条1項1号)は、債務の全部の履行が不能であることを要件とする。前記のとおり、合意解除により賃貸借契約が終了し甲建物も明け渡された以上、平成23年分の賃料債権が発生する余地はなく、履行不能である。催告(541条)は無意味であるから不要である。
⑵ 改正前民法下では、履行不能による解除には債務者の帰責事由が必要と解されていたが、改正民法では、解除は債務不履行による契約の拘束力からの解放を認める制度であるから、債務者の帰責事由は解除の要件ではない。もっとも、本件ではFが自らの意思で合意解除をしているから、いずれの立場でも帰責事由は認められる。
⑶ 解除権者Gの帰責事由による履行不能ではないから、543条による解除権の制限もない。
⑷ 解除の意思表示(540条1項)をもって解除の効力が生じる。その結果、Fは原状回復義務(545条1項)として受領済みの代金2000万円を返還しなければならない。
5 Fの予想される反論
⑴ Fは、債権売買は債権を現状のまま譲渡するものであり、売主は債権の発生及び回収を保証していないと反論しうる。額面2400万円を2000万円に割り引いたのは、Gが回収不能の危険を引き受けたことの反映であるとの主張である。しかし、割引はAの支払能力に起因する回収リスクの引受けを意味するにとどまり、売主自身の行為によって債権の発生基盤が消滅させられる危険まで買主が引き受けたとは解しえない。
⑵ Fは、Aは平成22年9月末に無資力となり転借人を見付ける見込みもなかったから、合意解除をしなくても賃料は現実に支払われなかったのであって、Fの行為と賃料不回収との関係はないとも反論しうる。しかし、解除の要件である履行不能は、権利移転義務の履行が客観的に不能となったかによって判断される。債権が存在すれば強制執行や将来の資力回復による回収の可能性は残るのであり、現実の回収可能性の高低は損害賠償の額の問題にすぎない。この反論も理由がない。
6 結論
Gの解除の主張は認められ、GはFに対し代金相当額2000万円の返還を請求できる。
第4 設問3⑴
1 Dに対する請求
Hは、Dに対し、一般の不法行為(709条)に基づき損害賠償を請求する。要件は、①故意又は過失、②権利又は法律上保護される利益の侵害、③損害の発生、④因果関係である。
本件では、①Dは、エレベーター設備の更新工事を請け負った専門業者であり、設置工程において必要とされていた数か所のボルトを十分に締めていなかった。エレベーターは人の生命・身体に直接危険を及ぼす設備であるから、Dには設置の適切性を確認すべき高度の注意義務があり、その違反は過失にあたる。②Hは転倒して右足を骨折し、身体を侵害された。③3か月の入院加療を要する治療費、休業損害、慰謝料等の損害が生じた。④エレベーターの不具合はDのボルトの締付け不足に起因するものであり、下降中の大きな揺れによりHが転倒したのであるから、因果関係が認められる。
Dは、工事完成引渡し(平成22年1月31日)から事故(同年10月12日)まで8か月以上経過しており、その間の占有者の管理に原因があると反論しうるが、不具合の原因は設置工程の瑕疵に特定されているから、この反論は失当である。
2 Fに対する請求
Hは、Fに対し、土地の工作物責任(717条1項)に基づき損害賠償を請求する。
まず、エレベーターが「土地の工作物」にあたるかが問題となる。同条の趣旨は、土地に接着して築造された物の危険性に着目し、その支配者に危険責任を負わせる点にあるから、建物に組み込まれ建物と一体として機能する設備も工作物に含まれると解する。本件エレベーターは甲建物に設置されたものであるから、工作物にあたる。
次に、「設置又は保存に瑕疵」があるとは、工作物が通常有すべき安全性を欠くことをいう。本件エレベーターは、下降中に突然大きく揺れ、乗客を転倒させるものであり、ボルトの締付け不足という設置工程の不備に起因するから、設置の瑕疵が認められる。
もっとも、717条1項は第一次的に占有者に責任を負わせ、占有者が損害の発生を防止するのに必要な注意をしたときに、第二次的に所有者が無過失責任を負うとする。事故当時の平成22年10月12日においては、A・F間の合意解除は同月31日付けで効力を生ずるものであったから、賃借人Aが直接占有者であり、Fは所有者かつ間接占有者である。ボルトの締付け不足は外観から容易に知り得ない隠れた瑕疵であって、賃借人Aに点検義務違反を認めることは困難であるから、Aは免責され、所有者Fが無過失責任を負う。Fは、自らに過失がないこと、取得後2か月余りで瑕疵を知る機会がなかったことを反論しても免責されない。
なお、Fは、Dに対して求償することができる(717条3項)。
3 Aに対する請求
Hは、Aに対し、717条1項前段の占有者責任又は709条に基づき請求することも考えられる。もっとも、前記のとおりAについては免責事由が認められる余地が大きく、またAは無資力であるから、実効性に乏しい。
4 Bに対する請求
Bは、平成22年8月2日の所有権移転登記により甲建物の所有権を失っており、事故当時は所有者でも占有者でもないから、717条の責任を負わない。エレベーター工事はAがDに発注したものであり、Bに注文者としての過失(716条但書)も認められないから、Bに対する請求は認められない。
5 結論
Hは、Dに対し709条、Fに対し717条1項後段に基づき、損害賠償を請求することができる。両者の責任は、同一の損害についての不真正連帯債務の関係に立つ。
第5 設問3⑵
1 問題の所在
Hが右足を骨折するほどの重傷を負ったのは、ここ1年ほどの身体機能の低下と妻の看病による疲労の蓄積も原因となっている。そこで、被害者の素因を理由として賠償額を減額できるか(722条2項の類推適用)が問題となる。
2 規範
不法行為に基づく損害賠償制度は、損害を加害者と被害者との間で公平に分担させることを目的とするから、被害者に損害の発生又は拡大に寄与した心身の状態があるときは、722条2項を類推して、これを損害賠償額の算定に当たり斟酌することができる。もっとも、判例は、被害者が平均的な体格ないし通常の体質と異なる身体的特徴を有していたとしても、それが疾患に当たらない場合には、特段の事情がない限りこれを斟酌することはできないとしている(最判平成8年10月29日)。人の体格、年齢に伴う身体機能の程度には個人差があるのが当然であり、通常の社会生活を営むことに支障のない身体的特徴を有する者が、そのことを理由に生活上一定の制約を受けるべきであるとはいえないからである。これに対し、疾患に当たる場合には斟酌しうる(最判平成4年6月25日)。
3 あてはめ
本件では、Hは満70歳であり、事故の1年ほど前から時々バランスを崩したりつまずいたりする身体機能の低下があった。しかし、平成22年4月の総合病院での検査の結果は、身体機能の低下は加齢によるものであって、無理をしなければ日常生活を送る上での支障はないというものであり、同年5月からの毎月1回の検査でも特段の疾患はないと診断されている。すなわち、Hの身体機能の低下は加齢に伴う身体的特徴にとどまり、疾患には当たらない。
疲労の蓄積についても、妻の病気による入院に付き添うという家族としてやむを得ない事情から生じた一時的な身体状態であって、疾患ではない。また、疲労の蓄積を避けるべき義務をHに課すことは、被害者の生活のあり方自体を非難することになり相当でない。
さらに、本件事故は、人の生命・身体の安全に直結するエレベーターの瑕疵に起因するものである。エレベーターは、高齢者を含むあらゆる利用者が乗ることが当然に予定された設備であり、下降中に突然大きく揺れて乗客を転倒させるような状態にあってはならない。加齢による身体機能の低下がある利用者が転倒しやすいことは、設置者及び所有者が当然に予見すべき事柄である。Hが内覧に当たりF及びAの同意を得ていたことからも、Hの立入りは正当である。
したがって、Hの身体機能の低下及び疲労の蓄積を斟酌すべき特段の事情は認められない。
4 結論
Hの身体機能の低下及び疲労の蓄積を理由として賠償額を減額すべきではない。
以上