司法試験 令和元年 憲法
問題文
[公法系科目]
〔第1問〕(配点:100)
近年,いわゆるソーシャル・ネットワーキング・サービス(以下「SNS」という。)の普及に伴って,各国において,事実に反する虚偽のニュースが広く伝播することにより,社会に負の影響を及ぼしているのではないかということが問題とされるようになっている。この種のニュースはフェイク・ニュースと呼ばれ,過去に外国の重要な選挙に際して,意図的なフェイク・ニュースの作成・配信が,選挙結果を左右したという研究や報道もなされている。
20XX年,我が国においても,甲県の化学工場の爆発事故の際に,「周囲の環境汚染により水源となる湖が汚染されて,近隣の県にも飲料水が供給できなくなる。」という虚偽のニュースがSNS上で流布され,複数の県において,飲料水を求めてスーパーマーケットその他の店舗に住民が殺到して大きな混乱を招くこととなった。また,乙県の知事選挙の際に,「県は独自の税を条例で定めて県民負担を増やすことを計画している。」という虚偽のニュースがSNS上で流布され,現職知事である候補者が落選したことから,選挙の公正が害されたのではないかとの議論が生じた。
このような状況に鑑み,我が国でも,A省において,虚偽の表現の流布を規制する「フェイク・ニュース規制法」の立法を検討することとなった。現在,A省においては,①虚偽の表現を流布することを一般的に禁止及び処罰するとともに,②選挙に際して,その公正を害するSNS上の虚偽の表現について,独立行政委員会がSNS事業者に削除を命令し,これに従わない者を処罰することなどを内容とする立法措置が検討されている(法律案の関連条文は【参考資料】のとおり。以下「法案」として引用する。)。
【立法措置①について】まず,上記①についての立法措置としては,虚偽表現を「虚偽の事実を,真実であるものとして摘示する表現」と定義し,「何人も,公共の利害に関する事実について,虚偽であることを知りながら,虚偽表現を流布してはならない。」として,公共の利害に関する虚偽の表現を流布することを一般的に禁止した上で,罰則で担保することが検討されている(法案第2条第1号,第6条,第25条)。
なお,虚偽の表現を流布することに関連する現行法の罰則として,例えば刑法には,名誉毀損罪(同法第230条),信用毀損及び業務妨害罪(同法第233条)の規定があるが,いずれも,特定の人の社会的評価や業務に関するものであり,虚偽の表現を流布することのみについて処罰するものではない。また,公職選挙法には,虚偽事項の公表罪(同法第235条),新聞紙・雑誌が選挙の公正を害する罪(同法第235条の2第1号,第148条第1項ただし書)といった規定があるが,虚偽事項の公表罪は,「当選を得又は得させる目的」や「当選を得させない目的」をもって,「公職の候補者若しくは公職の候補者となろうとする者」に関する虚偽事項を公表することなどを処罰するものであり,新聞紙・雑誌が選挙の公正を害する罪は,新聞紙・雑誌が虚偽の事項を記載するなどして選挙の公正を害した場合に,その編集者・経営者等を処罰するものであって,虚偽の表現を流布することを一般的に禁止及び処罰するものではない。
以上のように,虚偽の表現を流布することに関連する現行法の規制には,一定の限定が付されているところ,①の立法措置は,虚偽の表現の対象について「公共の利害に関する事実」と限定するものの,それ以外には限定を付さずに,虚偽の表現を流布することを端的に処罰しようとするものである。これは,虚偽の表現が流布されることによる社会的混乱を防止するには,現行法の規制では十分ではなく,虚偽の表現を流布することそのものを禁止することが必要との理由によるものである。
【立法措置②について】次に,上記②についての立法措置は,インターネット上の虚偽の表現の中でも,取り分けSNS上のもの,その中でも選挙に際しての虚偽の表現が問題であり,緊急に対応措置が執られなければ選挙の公正が害されるおそれが大きいことを理由として検討されているものである。これによれば,「虚偽表現であることが明白」であり,かつ「選挙の公正が著しく害されるおそれがあることが明白」な表現を「特定虚偽表現」として定め,選挙運動の期間中及び選挙の当日に限り,日本国内で広く利用されているSNSを提供しているSNS事業者は,その提供するSNS上において,特定虚偽表現があることを知ったときは,速やかに当該表現を削除しなければならないとされる(法案第9条第1項。ここでいうSNS及びSNS事業者の定義については,法案第2条第2号及び第3号参照。)。なお,選挙に際して,虚偽の事項を記載する等の行為の処罰については,既に指摘したとおり,公職選挙法に規定がある。
さらに,SNS事業者が法案第9条第1項に従って特定虚偽表現を自ら削除しない場合,いわゆる独立行政委員会として新たに設置されるフェイク・ニュース規制委員会(法案第15条,以下「委員会」という。)は,SNS事業者に対し,当該表現を削除するように命令することができ,SNS事業者がこの命令に違反した場合には,処罰されることとなる(法案第9条第2項,第26条)。この委員会の命令については,公益上緊急に対応する必要があることが明らかであるとして,行政手続法の定める事前手続は不要であるとされる(法案第20条)。
なお,一定の場合を除いては,SNS事業者が表現を削除した場合に当該表現の発信者に生じた損害については,SNS事業者を免責することとされている(法案第13条)。
A省における法案の検討の過程で,SNSの利用者を含む一般市民やSNS事業者から意見を聴取する機会が設けられたところ,様々な意見が述べられ,その中には,憲法上の疑義を指摘するものもあった。
〔設問〕あなたは,A省から依頼を受けて,法律家として,この立法措置が合憲か違憲かという点について,意見を述べることになった。
その際,A省からは,参考とすべき判例があれば,それを踏まえて論じるように,そして,判例の立場に問題があると考える場合には,そのことについても論じるように求められている。また,当然ながら,この立法措置のどの部分が,いかなる憲法上の権利との関係で問題になり得るのかを明確にする必要があるし,自己の見解と異なる立場に対して反論する必要があると考える場合は,それについても論じる必要がある。
以上のことを前提として,あなた自身の意見を述べなさい。
なお,独立行政委員会制度の合憲性については論じなくてよい。また,本問の法案による規制は,国外に拠点を置くSNS事業者にも,日本国内の利用者に対してサービスを提供している限り適用され,そのために必要となる法整備は別途適切になされるものとする。
【参考資料】フェイク・ニュース規制法(案)(抜粋)
第1章 総則(目的)
第1条 この法律は,公共の利害に関する虚偽の表現について必要な規制を行うことによって,虚偽の表現により社会的混乱が生じることを防止するとともに,選挙運動の期間中及び選挙の当日における虚偽の表現について必要な削除義務等を定めることにより,選挙の公正を確保することを目的とする。
(定義)
第2条 この法律において,次の各号に掲げる用語の意義は,それぞれ当該各号に定めるところによる。
一 虚偽表現 虚偽の事実を,真実であるものとして摘示する表現をいう。
二 ソーシャル・ネットワーキング・サービス(以下「SNS」という。) インターネット上の会員制サービスであって,利用者が,任意の情報を,他の利用者と共有し,又は公衆にアクセス可能とすることを目的とするものをいう。
三 SNS事業者 SNSを提供することを業とする者をいう。ただし,当該SNSの国内における利用登録者が200万人に満たないものを除く。
四 (略)
(基本理念)
第3条 (略)
(国の責務)
第4条 (略)
(SNS事業者の責務)
第5条 (略)
第2章 虚偽表現の規制(虚偽表現を流布することの禁止)
第6条 何人も,公共の利害に関する事実について,虚偽であることを知りながら,虚偽表現を流布してはならない。
(選挙運動の期間中及び選挙の当日の表現の留意事項)
第7条 (略)
(SNS事業者が執るべき措置)
第8条 (略)
(選挙運動の期間中及び選挙の当日の虚偽表現の削除義務及びフェイク・ニュース規制委員会による削除命令)
第9条 SNS事業者は,選挙運動の期間中及び選挙の当日に,自らが提供するSNS上に,次の各号のいずれにも該当する表現(以下「特定虚偽表現」という。)があることを知ったときは,速やかに当該表現を削除しなければならない。
一 当該表現が虚偽表現であることが明白であること。
二 当該表現により,選挙の公正が著しく害されるおそれがあることが明白であること。
2 フェイク・ニュース規制委員会は,特定虚偽表現があるにもかかわらず,SNS事業者によって前項の措置が執られないときは,当該SNS事業者に対し,速やかに当該表現を削除するように命令することができる。
(損害賠償責任の免除)
第13条 第9条第2項の規定による命令に基づき,SNS事業者が,特定虚偽表現を削除した場合において,これにより当該表現の発信者に生じた損害については,SNS事業者は賠償の責任を負わない。SNS事業者が,特定虚偽表現を削除した場合,又は特定虚偽表現でない表現を特定虚偽表現として削除したことについて故意又は重大な過失がなかった場合も同様とする。
第3章 フェイク・ニュース規制委員会(設置及び組織)
第15条 国家行政組織法(昭和23年法律第120号)第3条第2項の規定に基づいて,A大臣の所轄の下に,フェイク・ニュース規制委員会(以下「委員会」という。)を置く。
2 委員会は,5人の委員をもって組織する。
3 委員は,両議院の同意を得て,内閣総理大臣が任命する。
4 委員の任命については,2人以上が同一の政党に属することになってはならない。
5 委員の任期は,3年とする。
6 内閣総理大臣は,委員が心身の故障のために職務の執行ができないと認める場合又は委員に職務上の義務違反その他委員たるに適しない非行があると認める場合には,両議院の同意を得て,その委員を罷免することができる。
(委員会の所掌事務)
第16条 委員会は,次に掲げる事務をつかさどる。
一 (略)
二 (略)
三 第9条第2項の規定による命令を発すること。
四 公共の利害に関する虚偽表現の防止のための施策を立案すること。
第4章 雑則(行政手続法の適用除外)
第20条 第9条第2項の規定による命令については,行政手続法(平成5年法律第88号)第3章の規定は適用しない。
第5章 罰則第25条 第6条の規定に違反して虚偽表現を流布した者は,30万円以下の罰金に処する。
第26条 第9条第2項の規定による命令に違反した者は,6月以下の懲役又は100万円以下の罰金に処する。
第27条 法人の代表者又は法人若しくは人の代理人,使用人その他の従業者が,その法人又は人の業務に関し,前条の違反行為をしたときは,行為者を罰するほか,その法人又は人に対しても,同条の罰金刑を科する。
出題の趣旨
法務省が公表した出題の趣旨です。
〔第1問〕
本年の問題は,虚偽の表現の規制の可否を問うものである。問題文にもあるとおり,また,報道などでも知られるとおり,フェイク・ニュースは,各国で様々な課題を生じ,対応が模索されている現代的な問題であり,新たな技術的な展開が事態を深刻化させている側面がある現象である。しかし,その規制は,内容規制という古典的な表現の自由の問題であり,また,本問の規制は,表現の削除という強力な制限の問題でもある。表現の自由の保障の意義という基本に立ち返った検討が求められる。
虚偽の表現,とりわけ虚偽と知ってなされるものについては,そもそも表現の自由の保障範囲に入らない,あるいは,保障の範囲に入っても,保障の程度が低いという議論もあり得なくはない。その点について論じる際には,そのように考えることに問題はないか,また,そのような考え方は先例に基づいたものといえるかといった点も考察する必要があろう。さらに,虚偽ではあっても種々の観点から有益な表現も様々に考えられることや,真実は誤りと衝突することによってより明確に認識されるのだから虚偽の言明ですら公共的な議論に価値のある貢献をするものだ,という考え方もあり得ることにも留意が必要である。
立法措置①については,具体的状況によっては虚偽か真実かの判定が難しい場合が相当あるという意味において不明確ではないか,処罰の範囲が広すぎ過度に広汎ではないか,といった点について検討することが求められる。目的が極めて重要な公共の利益といえるか,問題文に示されている混乱の事例をどのように評価するか,対抗言論や報道による検証などが優先されるべきではないか,他の規制方法が考えられ必要最小限度のものに留まっているとは言い難いのではないか,訴追は公平になされるかといった点についても同様であろう。
その際には,立法措置①が,特定の人の社会的評価や業務とは無関係の規制であり,ありとあらゆる表現が,虚偽であるというだけで,規制の対象となるため,政治的に激しい争いのある事柄や,歴史的・学問的な事柄まで対象となり,真実性の判断が難しいものとなり得ることに留意が必要である。立法措置①が認められるとなると,あらゆる領域について,何が真実かを,刑事責任を問うことで問題にできるということになり,恣意的な訴追を通じて,全て真実は政府が決めるということになりかねないという懸念もある。これらの点を踏まえた上で,立法措置①について検討することが求められる。
次に立法措置②について,ここでは,削除義務を課されるという形で直接に制約の対象となっているのは,SNS事業者の自由であるとともに,削除されるという形で制約されているのは個々の発信者の表現の自由であることを適切に分析することが必要である。SNSの特徴である拡散性が,SNSのみを規制の対象として取り上げることを正当化するかどうかが論じられる必要もある。SNS事業者が私的な検閲の主体となるおそれについても論じることは不可能ではなかろう。
立法措置②については,選挙の公正ということの明確性が問題になるかもしれない。その場合,合憲限定解釈の可能性も含めて検討することがあり得る。立法措置②を,内容中立規制とする見解があるかもしれない。しかし,内容規制と,時・場所・方法の規制のような内容中立規制が組み合わされたときに,直ちに内容中立規制と評価することは問題がないか,検討が必要であろう。選挙に関する表現をどのように位置付けるべきかについては,国際的に比較しても非常に厳しい我が国の選挙運動規制を合憲とする先例は多数あるが,その評価を含めて論じることが可能であろうし,それらの選挙運動規制と本問を区別することも可能であろう。
立法措置②は,表現の削除を罰則をもって強制するという強力な規制であるので,検閲や事前抑制の原則的禁止の法理との関係を問題にすることも可能である。ただ,その際には,立法措置②による規制によって,発表が禁止されている訳ではなく,一旦発表されたものの削除が命じられていることに留意が必要である。また,選挙の公正は,仮処分による差止めで保護される名誉権のような人格的権利ではなく,この点についての分析も必要であろう。
一旦表現されたものの削除が命じられるという点では,検索結果の表示の削除が問題となった事案も参考になり得よう。比較衡量的な枠組みを提示しつつ,要件が満たされていることが「明らか」なことを要求する判例の立場から見た場合,立法措置②の要件が十分に限定されたものになっているか否かを検討することになろう。
ただ,その場合であっても,立法措置②が,司法手続ではなく行政手続によるものであること,さらに,行政手続法の事前手続や理由提示の制度が適用除外とされていることをどのように評価するかが問題となり得る。人格権侵害を理由に仮処分で差止めを認める場合,少なくとも審尋が必要とされているが,要件が充足されていることが明白である場合には例外が認められている。行政手続の適正性の要求を憲法上どのように位置付けるかを踏まえつつ,これらのこととの関係をどう理解するかを論じることが必要となろう。
選挙は公共性が高く,迅速な対応が必要だとはいい得るが,誤って削除された場合には公益が大きく害される。より制限的でない手段の検討が必要である。選挙に際してのSNSが問題であるというのであれば,SNS事業者に自主的な削除手続を定めることを義務付け,これについての報告義務を課すという方法も考えられる。ただ,この場合には,上に述べた私的な検閲のおそれは増大するかもしれない。また,とりわけSNS上のフェイク・ニュース記事の拡散が,出所の不透明な資金に支えられていることが問題であるというのであれば,政治資金規制を及ぼして,資金の流れの透明化を義務付けることも考えられる。このような,諸外国・地域で実施・検討されている他の方法が有益ではないか,といったことも論じるに値する。
以上のような諸点についての検討を踏まえ,自らの示した判断枠組みの中で適切に結論を導くことが求められている。
参考答案AI生成(出題の趣旨と論証集をもとに作成した目安です)
第1 立法措置①(法案6条、25条)について
1 虚偽表現と表現の自由の保障範囲
(1)法案6条は、何人も、公共の利害に関する事実について、虚偽であることを知りながら、虚偽表現(虚偽の事実を、真実であるものとして摘示する表現。法案2条1号)を流布してはならないと定め、法案25条はこれに違反した者を30万円以下の罰金に処する。
(2)まず、故意による虚偽の表現は21条1項の保障範囲に入らない、あるいは保障の程度が低いという見解があり得る。虚偽の事実の摘示は、思想の自由市場において真理の発見に寄与せず、むしろ公共的な討論を歪めるものであり、自己実現の価値も自己統治の価値も乏しいという理由による。
しかし、この見解は採り得ない。第一に、何が虚偽であるかの判定は、公権力が行うことになる。政治的に激しい争いのある事柄、歴史的・学問的な事柄については、真実性の判断そのものが困難であり、時の経過によって評価が変わることも多い。虚偽表現を保障範囲外とすれば、公権力が真実を決定する権限を得ることになり、表現の自由の保障の根幹が失われる。第二に、真実は誤りと衝突することによってより明確に認識されるのであるから、虚偽の言明もなお公共的討論に貢献し得る。第三に、判例も、虚偽の事実の摘示について、名誉毀損罪との関係で、真実であることの証明がない場合であっても、行為者がその事実を真実であると誤信し、その誤信につき確実な資料・根拠に照らし相当の理由があるときは故意を欠くとしており(最大判昭44.6.25)、虚偽であることのみをもって表現の保護を否定する立場を採っていない。
したがって、虚偽表現も21条1項の保障範囲に含まれる。もっとも、虚偽であることを知りながら公共の利害に関する事実を摘示する表現の価値は、真摯な意見表明や事実の報道に比して低いと評価する余地はある。
2 審査の枠組み
法案6条は、表現の内容が虚偽であることに着目した規制であり、典型的な内容規制である。しかも刑罰をもって担保されるため、萎縮効果は大きい。したがって、その合憲性は厳格に審査すべきであり、規制の目的が極めて重要な公共の利益のためのものであり、手段が目的達成のために必要最小限度のものでなければ許されないと解する。
仮に、虚偽表現の価値の低さを考慮して審査の程度を若干緩めるとしても、少なくとも、規制の対象が明確に限定され、かつ他のより制限的でない手段によっては目的を達成できないことが示されなければならない。
3 明確性及び過度の広汎性
(1)表現の自由を規制する法令の文言は、通常の判断能力を有する一般人の理解において、具体的場合に当該行為がその適用を受けるものかどうかの判断を可能ならしめるような基準が読み取れるものでなければならない(最大判昭50.9.10)。
(2)法案2条1号の「虚偽の事実を、真実であるものとして摘示する表現」という定義は、一見すると明確である。しかし、現実には、事実と意見・評価の区別が困難な表現が多く、また事実の一部が真実で一部が不正確な表現、断定を避けた推測の表明など、虚偽か真実かの判定が容易でない場合が相当ある。政治的争点や歴史的評価に関わる言明については、専門家の間でも見解が分かれる。
(3)法案6条は、対象を「公共の利害に関する事実」に限定するほかには何らの限定を付していない。刑法230条の名誉毀損罪や233条の信用毀損及び業務妨害罪は、特定の人の社会的評価や業務という保護法益を前提として処罰範囲を限定し、公職選挙法235条の虚偽事項の公表罪は、当選を得又は得させる目的等の主観的要件と、公職の候補者等に関する事項という客観的要件によって限定している。これに対し法案6条は、保護法益が具体的に特定されておらず、現実に害悪が発生したこと、又は発生の具体的危険があったことを要件としない。すなわち、流布という行為のみで処罰される。
その結果、政治的に激しい争いのある事柄、歴史認識、学問上の論争、医療や環境に関する見解の対立など、およそ公共の利害に関わるあらゆる表現が、虚偽であるというだけで処罰の対象となり得る。これは処罰範囲が過度に広汎である。
(4)加えて、「虚偽であることを知りながら」という主観的要件は、立証の局面では行為者の認識の推認に依存するため、客観的に虚偽と判断された表現について故意が容易に認定されるおそれがある。そうなれば、表現者は真実性に確信を持てない事項について発言を控えるようになり、公共的討論が著しく萎縮する。
(5)さらに、規制の対象が広汎であるため、実際にはどの表現を訴追するかが捜査機関の選択に委ねられる。政府の政策に批判的な表現が選択的に訴追される危険があり、結果として、何が真実かを政府が決定することになりかねない。この点は、表現の自由の制度的な保障にとって重大な問題である。
4 目的及び手段の検討
(1)法案1条は、虚偽の表現により社会的混乱が生じることを防止することを目的とする。甲県の化学工場の爆発事故に際して、水源の湖の汚染により飲料水が供給できなくなるという虚偽のニュースが流布され、複数の県で住民が店舗に殺到して大きな混乱が生じたという事例は、現実の社会的混乱の発生を示す。社会の秩序と住民の生活の安全の確保は正当な目的である。
(2)しかし、この目的が、あらゆる虚偽表現を一般的に処罰することを正当化するほど極めて重要な公共の利益といえるかは疑わしい。甲県の事例で生じたのは、店舗への住民の殺到という混乱であり、人の生命・身体に対する具体的な危害が生じたわけではない。乙県の知事選挙の事例では、現職知事が落選したという結果が生じたが、選挙結果に対する虚偽情報の影響を個別に測定することは困難であり、落選の原因を虚偽情報に帰すことには慎重でなければならない。
(3)手段についても、必要最小限度とはいえない。
第一に、虚偽情報の弊害に対しては、対抗言論によって対処することが原則である。報道機関や行政機関による事実の検証と周知、SNS上での訂正情報の発信によって、虚偽情報の影響は相当程度除去できる。甲県の事例についても、水道事業者や自治体が速やかに正確な情報を発信すれば、混乱の拡大は防止できたと考えられる。表現の自由の保障のもとでは、誤った言論に対しては更なる言論によって対抗することが原則であり、刑罰による抑圧は最後の手段でなければならない。
第二に、現に害悪が発生する具体的な危険がある場合には、現行法によって対処が可能である。特定の人の社会的評価を害するものは名誉毀損罪、業務を妨害するものは信用毀損及び業務妨害罪、選挙における候補者に関するものは公職選挙法の虚偽事項の公表罪によって処罰される。災害時の混乱を生じさせる虚偽情報については、災害対策基本法や消防法等による情報提供の枠組みを整備し、虚偽情報の訂正を迅速に行う仕組みを設けることが考えられる。
第三に、仮に新たな処罰規定を設ける必要があるとしても、少なくとも、①保護法益を特定し、②現実の害悪の発生又はその明白かつ現在の危険を要件とし、③虚偽であることの認識について厳格な立証を要求するという限定を加えるべきである。法案6条はこれらの限定を一切欠いている。
5 結論
以上より、法案6条及び25条は、規制の範囲が過度に広汎であり、より制限的でない手段によって目的を達成できるにもかかわらず刑罰による一般的禁止を定めるものであって、21条1項に違反する。立法措置①は採用すべきでない。
なお、法案6条の「公共の利害に関する事実」を合憲限定解釈によって絞ることも考えられるが、同条には害悪発生の危険に関する要件が全く存在しないため、文言から限定を読み取ることは困難である。合憲限定解釈は、限定が法令の文言上可能な範囲でのみ許されるから、本件では限定解釈による救済はできない。
第2 立法措置②(法案9条、26条、20条)について
1 制約される権利
(1)法案9条1項は、SNS事業者に対し、選挙運動の期間中及び選挙の当日に、自らが提供するSNS上に特定虚偽表現があることを知ったときは速やかに削除する義務を課し、同条2項は、委員会がSNS事業者に対し削除命令を発し得ることとし、法案26条はこの命令に違反した者を6月以下の懲役又は100万円以下の罰金に処する。
(2)この規制により制約される権利は、三層にわたる。
第一に、削除義務及び削除命令の直接の相手方であるSNS事業者の自由である。SNS事業者は、他者の表現を媒介する場を提供する事業者であり、自らの判断でその場の在り方を決定する自由を有する。これは営業の自由(22条1項)であるとともに、表現の媒介者としての自由として21条1項の保護にも値する。
第二に、削除される表現の発信者の表現の自由(21条1項)である。削除命令の名宛人は事業者であるが、実質的に表現を奪われるのは発信者である。発信者は命令の相手方ではないため、自ら手続に関与して争う機会を持たない。この点は、表現の自由の制約として特に重大である。
第三に、SNSの利用者が情報を受領する自由(知る自由。21条1項)である。選挙に際しての情報は、有権者が投票の判断を行うための資料であり、その削除は知る自由に対する制約となる。
2 検閲及び事前抑制との関係
(1)21条2項前段にいう検閲とは、行政権が主体となって、思想内容等の表現物を対象とし、その全部又は一部の発表の禁止を目的として、対象とされる一定の表現物につき網羅的一般的に、発表前にその内容を審査した上、不適当と認めるものの発表を禁止することを指す(最大判昭59.12.12)。
本件の削除命令は、行政委員会という行政機関が主体となり、表現の内容を審査して排除するものであるが、既に発表された表現の削除を命ずるものであって、発表前の審査ではない。したがって検閲には当たらない。
(2)表現行為に対する事前抑制は、表現の自由に対する重大な制約であるから、厳格かつ明確な要件のもとにおいてのみ許容される(最大判昭61.6.11)。本件も、発表の禁止ではなく既発表の表現の削除であるから、事前抑制の法理が直接妥当するものではない。
もっとも、SNS上の表現は、削除されればそれ以後一切閲覧されなくなるのであって、将来に向けて表現の流通が完全に遮断される点では、事前抑制に実質的に類似した効果を持つ。しかも、選挙運動の期間中及び選挙の当日という、当該表現が最も意味を持つ時期に削除されるのであるから、選挙後に争って救済を得ても意味を失う。したがって、要件の明確性と手続的保障については、事前抑制に準じた厳格さが求められる。
(3)また、北方ジャーナル事件判決が仮処分による出版の差止めを例外的に許容したのは、名誉権という人格的権利の侵害を理由とするものであった。これに対し、本件で保護されるのは「選挙の公正」という公益であって、特定個人の人格的権利ではない。公益の保護を理由とする表現の排除は、その範囲が不明確になりやすく、政治的な濫用のおそれが大きい。この相違は、審査を厳格にすべき事情である。
3 削除の要件の検討
(1)既に公表された表現の削除については、判例は、検索結果の提供の差止めに関して、当該事実を公表されない法的利益と検索結果の提供という表現行為の価値を比較衡量し、前者が優越することが明らかな場合に限って差止めが認められるとしている(最決平29.1.31)。すなわち、比較衡量を前提としつつ、要件の充足が明白であることを要求するものである。
法案9条1項は、①当該表現が虚偽表現であることが明白であること、②当該表現により選挙の公正が著しく害されるおそれがあることが明白であること、という二つの要件を定め、いずれにも「明白」性を要求している。この点は、上記判例の枠組みと整合する限定として評価できる。
(2)しかし、要件の明確性には問題が残る。
第一に、「虚偽表現であることが明白」という要件は、第1で述べたとおり、虚偽か真実かの判定自体が困難な場合が多いことを考えると、実際の適用において限定機能を十分に果たさない。特に、選挙運動の期間中という短期間に、SNS事業者が自ら虚偽性を判定しなければならないのであるから、判断の誤りは避けられない。
第二に、「選挙の公正が著しく害されるおそれ」という要件は、極めて抽象的である。何をもって選挙の公正が害されるというのか、法案は定義を置いていない。候補者に関する虚偽事項の公表については公職選挙法235条が既に規律しており、それを超えて「選挙の公正」の内容を行政委員会の判断に委ねることは、委員会に対して選挙に関する言論の当否を決定する権限を与えることに等しい。委員会は両議院の同意を得て内閣総理大臣が任命する委員によって組織され(法案15条3項)、2人以上が同一の政党に属してはならないとされているが(同条4項)、政治過程から完全に独立しているわけではない。与党に不利な表現が削除される危険を否定できない。
第三に、選挙の公正は、候補者の名誉や有権者の判断の基礎に関わる具体的な法益に還元して理解すべきである。そこで、「選挙の公正が著しく害されるおそれ」を、具体的には、公職の候補者又は候補者となろうとする者の身分、職歴、政見等に関する虚偽の事実が流布されることにより、有権者の投票の判断が誤導され、選挙の結果に影響を及ぼす具体的な危険が生ずる場合に限る、と限定解釈すべきである。このような限定が可能であれば、要件の不明確性は相当程度解消される。ただし、法案自体にこの限定を明記することが望ましい。
4 SNSのみを対象とすることの合理性
法案9条は、規制の対象をSNS(法案2条2号)に限り、しかも国内の利用登録者が200万人以上のSNSを提供する事業者に限定している(同条3号)。
SNSにおいては、利用者の転載・共有によって情報が短時間のうちに広範に拡散し、いったん拡散した情報の訂正が困難である。また、発信者の匿名性が高く、責任追及が容易でない。これらの特性は、新聞紙・雑誌等の伝統的メディアと異なるから、SNSを対象として特別の規律を設けることには一定の合理性がある。利用登録者数による限定も、社会的影響力の大きいサービスに限る趣旨として合理的である。
もっとも、SNSに限定することによって、同様に拡散性を持つ他の媒体(動画共有サービス、メッセージアプリ、ウェブサイト等)が規制対象から外れることになり、目的達成の実効性には疑問が残る。規制が実効性を欠くのであれば、表現の自由を制約する正当化根拠も弱まる。
5 手続的保障
(1)法案20条は、法案9条2項の削除命令について、行政手続法第3章(不利益処分に関する規定)を適用しないとする。その結果、聴聞及び弁明の機会の付与、理由の提示が不要となる。
(2)31条の定める法定手続の保障は行政手続には当然には及ばないが、行政手続についても、その相手方に事前の告知、弁解、防御の機会を与えるかどうかは、行政処分により制限を受ける権利利益の内容、性質、制限の程度、行政処分により達成しようとする公益の内容、程度、緊急性等を総合較量して決定されるべきである(最大判平4.7.1)。
本件で制限されるのは表現の自由という優越的地位を占める権利であり、削除によって表現の流通は完全に遮断される。他方、選挙運動の期間は限られているため、迅速な対応の必要性も認められる。しかし、迅速性の要請は、事前手続を全面的に不要とすることまで正当化しない。
名誉権侵害を理由とする出版の事前差止めについても、判例は、原則として口頭弁論又は債務者の審尋を必要とし、ただし表現内容が真実でないか又は専ら公益を図る目的のものでないことが明白であり、かつ被害者が重大で著しく回復困難な損害を受けるおそれがあるときに限って例外を認めている(前掲最大判昭61.6.11)。公益の保護を理由とする本件削除命令について、これより緩やかな手続で足りるとする理由はない。
(3)さらに重大な問題は、削除される表現の発信者が手続から完全に排除されていることである。命令の名宛人はSNS事業者であり、発信者は命令の存在を知る機会すら保障されていない。自己の表現が国家機関の判断によって排除されるにもかかわらず、反論の機会も、理由の告知も、争う手段も与えられない。これは適正手続の要請に反する。
(4)また、法案13条は、命令に基づく削除及び故意・重大な過失がない場合の削除について、SNS事業者を発信者に対する損害賠償責任から免除する。これにより、SNS事業者は、判断に迷う表現を広く削除する方向に傾く。すなわち、過剰削除の誘因が制度的に組み込まれている。事業者による萎縮的な削除は、国家による削除と同様に表現の流通を遮断するものであり、私人による検閲に類する状況を生む。法案9条1項の削除義務が罰則によって担保されていないとしても、同条2項の命令と26条の罰則の存在は、事業者に対して予防的な削除を強く促す。
6 より制限的でない手段
次のような、より制限的でない手段が考えられる。
第一に、削除命令に代えて、委員会が当該表現について虚偽であることの公表(反論情報の併記)を命ずる方法である。表現を排除せず、正確な情報を併せて提示することにより、有権者の判断の基礎を確保できる。対抗言論による是正という表現の自由の原則にも適合する。
第二に、SNS事業者に対し、虚偽情報に関する苦情申出窓口の設置、削除・ラベル付けの基準及び手続の策定と公表、対応状況の報告を義務付ける方法である。ただし、この方法は、事業者による判断に委ねる範囲を広げるため、私的な検閲のおそれを増大させる面がある。したがって、基準の透明性の確保と、発信者による異議申立ての手続を併せて義務付ける必要がある。
第三に、虚偽情報の組織的な拡散が出所の不透明な資金によって支えられていることが問題であるならば、選挙に関するインターネット広告について、資金の出所の表示と政治資金規制の適用を義務付けることによって、拡散の経済的基盤に対処する方法が考えられる。これは表現内容に立ち入らない規制であり、制約の程度は小さい。
第四に、削除を認める場合であっても、委員会の命令ではなく、裁判所の決定によることとし、発信者に手続参加の機会を与える方法である。選挙期間中の迅速性は、保全手続の活用によって一定程度確保できる。
7 結論
立法措置②については、次のとおり評価する。
(1)選挙運動の期間中及び選挙の当日に限り、虚偽性及び選挙の公正に対する害悪の明白性を要件として、SNS上の表現の削除を求める仕組みを設けること自体は、選挙の公正の確保という重要な公益のための措置として、直ちに違憲とはいえない。
(2)しかし、①「選挙の公正が著しく害されるおそれ」という要件が抽象的で、行政委員会に選挙に関する言論の当否を決する権限を与える結果となっている点、②法案20条により行政手続法第3章の適用を排除し、名宛人であるSNS事業者に対する事前手続及び理由の提示を一切不要としている点、③削除される表現の発信者に対し、告知、反論及び不服申立ての機会が全く保障されていない点において、法案9条2項、20条及び26条は、21条1項及び31条の趣旨に反し、違憲である。
(3)したがって、立法措置②を立法化するのであれば、少なくとも、①削除の要件を、公職の候補者等に関する虚偽の事実の流布により有権者の投票の判断が誤導され選挙の結果に影響を及ぼす具体的危険が生ずる場合に限定して明記すること、②行政手続法第3章の適用除外を削除し、少なくとも理由の提示及び簡易な弁明の機会を保障すること、③発信者に対する通知及び異議申立ての手続を設けること、④削除に代わる手段として反論情報の併記を第一次的な措置とし、削除は最後の手段とすること、⑤委員会の命令に対する迅速な司法審査の手続を整備すること、という修正が必要である。
第3 全体の結論
立法措置①は、過度に広汎な内容規制を刑罰によって一般的に課すものであり、21条1項に違反する。採用すべきでない。
立法措置②は、目的自体は正当であり、明白性の要件を課した点は評価できるが、要件の抽象性、事前手続の全面的な排除、発信者の手続的地位の欠如という点において憲法上の問題があり、前記の修正を加えない限り違憲である。
以上