司法試験 令和4年 刑事訴訟法
問題文
[刑事系科目]〔第2問〕(配点:100)
次の各【事例】を読んで、後記〔設問1〕及び〔設問2〕に答えなさい。
【事例1】1 H県警察I警察署の司法警察員らは、過去の大麻事件の捜査過程から大掛かりな大麻密売の疑いのある者として氏名不詳者(以下「甲」という。)の存在を把握した。甲は、契約名義の異なる携帯電話を順次使用しており、身元や所在地は関係者の供述からも不明であった。
2 ところが、令和3年11月2日、I警察署の司法警察員Pは、大麻所持の罪で1年間服役した後出所した暴力団X組の組員Aから、「以前は話せなかったが、私が逮捕された際に所持していた大麻は、甲から入手したものである。当時、甲は大麻を栽培し、紹介を受けた者に対して密売していた。先日、甲から出所祝いの電話があった。また私に大麻を売ろうとしているのではないかと思った。私は暴力団や大麻とは縁を切りたいので、情報を提供して警察に協力することにした。」旨言われた。
Pらは、甲がAにかけてきた電話番号の契約名義人を捜査したが、実在しないことが判明した。そこで、Pらは、Aを介してPを大麻の買い手として甲に紹介させた上、まずは少量の大麻をサンプルとして持参させて、甲との信頼関係を構築するとともに、甲に大麻密売の意思があることを確認することとした。そして、その際には甲を逮捕せず、その後甲が多量の大麻を持参したときに現行犯人として逮捕し、甲による大掛かりな大麻密売の全容解明につなげることとした。
3 同月20日、Aは、Pの依頼を受けて甲に電話をし、甲が今でも大麻を密売していることを確認した上で、大麻の買い手としてPを紹介し、Pから聞いた電話番号を甲に伝えるとともに、甲の使用する携帯電話の番号をPに伝えることの承諾を得た。同日、Aから連絡を受けたPは、甲に電話をかけ、「大麻を5キロ欲しいが、まずは100グラムをサンプルとして手に入れて、その質を確認したい。」旨述べた。これに対し、甲は、「Aの紹介でもあるし、サンプルの件は分かった。しかし、安全に取引できる場所があるのか不安なので、気が進まない。この間、知り合いの密売人も捕まった。」旨述べた。そこで、Pは、甲に対し、「K県J市内に私がオーナーを務める宿泊施設がある。そこなら安全だ。」旨述べたところ、甲は、これに応じたが、「危険を感じたら行かない。」旨述べた。その後、Pは、K県J市内にある宿泊施設を手配した。
4 同月23日、Pは、前記施設の一室でAを伴って甲と会い、甲から、乾燥大麻100グラムを譲り受けた。そして、2日後に同じ場所で残りの大麻と代金の授受を行うことになった。その場で、甲からは「10キロ程度なら扱うこともある。」旨の話が出ていた。Pが甲と別れた後、I警察署の司法警察員らは甲を尾行したが、途中で見失った。
5 同月24日、甲からPに電話があり、「明日の取引は取りやめたい。」旨告げてきた。Pが繰り返しその理由を尋ねると、甲は、「密売人の摘発が続いているようで、嫌な予感がする。」
旨述べた。これに対し、Pは、「自分は長年X組と交遊があり、X組との取引も続けてきたので不安に感じる必要はない。サンプルの質が良かったので、約束した代金の1.5倍の代金を払う。」旨述べた。それでも甲が渋る態度を示したことから、Pは、「この前、10キロ程度の大麻なら扱うこともあると言っていたが、同じ単価で10キロをまとめて買ってもよい。現金はすぐに用意できるので心配ない。取引の場で先に金を見せてもよい。」旨述べ、具体的な金額を提示した。
すると、甲は、また連絡すると言って電話を切った。Pは、直ちにAに電話をかけ、甲とのやり取りを伝え、甲から電話があった際の対応について指示した。その後、甲がAに電話をかけ、X組とPとの関係を尋ねたのに対し、Aは、Pの指示に従い、Pは古くからX組と交遊し、取引もある信用できる人物である旨告げた。これを聞いた甲は、Pに再び電話をして、「よく分かった。大麻を10キロ売ることにするが、必ず先に金を見せてほしい。」旨述べた。
6 同月25日、Pは、前記施設の一室で甲に対し、見せ金として用意していた現金を見せた。
すると、甲は、一旦退室した後、大型トランクに入れた10キログラムの乾燥大麻を持って部屋に戻ってきた。そこで、Pは、隣室で待機していた同署の司法警察員らと共に、その場で甲を大麻の営利目的所持の現行犯人として逮捕し、逮捕に伴い前記乾燥大麻を差し押さえた。
〔設問1〕
【事例1】記載のおとり捜査の適法性について、具体的事実を摘示しつつ論じなさい。
【事例2】(【事例1】の事実に続けて、以下の事実があったものとする。)
7 甲を逮捕した翌日の令和3年11月26日、H県I市内の家屋(以下「本件家屋」という。)
が柱や床を残して全焼した。捜査の結果、甲がB所有の空き家である本件家屋を大麻栽培拠点としており、それが放火された疑いが濃厚となった。そして、その実行犯として乙が浮上し、I警察署の司法警察員らは、同年12月2日、乙を非現住建造物等放火事件の被疑者として同署に任意同行した。
乙は、同日、取調べにおいて、本件家屋1階12畳間の全面に灯油を散布した上、点火した石油ストーブを蹴り倒して着火させ、本件家屋に放火したこと、その際、本件家屋内には自分しかいなかったことを供述し、その旨録取した供述調書1通が作成され、同日中に通常逮捕された。その後、乙は、黙秘に転じた。
本件家屋について実施された検証等の捜査の結果、本件家屋1階12畳間の床下から焼け落ちた床部分と石油ストーブが発見されるとともに、焼け残った同室の床部分から広範囲にわたり灯油が検出され、また、同ストーブには転倒時の自動消火装置がなく、乙が供述していた方法で灯油に着火できることが判明した。
検察官は、同月23日、乙を本件家屋に対する非現住建造物等放火の罪で起訴した(公訴事実は【資料1】のとおり。)。
8 乙は、第1回公判期日の冒頭手続において、「放火はしていない。その日、部屋にいて、煙臭いと感じ、石油ストーブを見ると、傍らの乾燥大麻が燃えていた。布をかぶせても火が消えなかったので、そのまま逃走した。灯油をまいてもいない。」旨弁解し、弁護人も同旨の主張をした。
公判において、火災科学の専門家の証人尋問が実施され、検察官及び弁護人の尋問を通じて、「焼け残った床面の広い範囲から灯油が検出されたことからすると、人為的に灯油がまかれたと考えるのが自然である。」「今回の火災については、被告人が捜査段階で話していたように、室内に灯油を散布した上で、点火した石油ストーブを倒して灯油に着火させたと考えて矛盾はない。」旨証言した。これに対し、裁判所が、補充尋問において、石油ストーブを倒す方法以外での着火の可能性について質問すると、同証人は、「例えば、可燃物に火をつけて散布された灯油に着火させることも可能と考えられる。」旨証言した。同証人尋問の終了後、裁判所は、検察官及び弁護人に対し、放火の態様に関して追加の主張、立証の予定があるかを確認したが、いずれもその予定はない旨回答した。
裁判所は、証拠調べが終わった時点で、乙が室内に灯油を散布し、その灯油に何らかの方法により着火させたことは認定できるが、乙が石油ストーブを倒して着火させたとまでは認定できないとの心証を得た。その後、論告、弁論においても、検察官及び弁護人は当初の主張を維持し、被告人も従前と同旨の陳述をして、裁判所は結審した。
〔設問2〕1 裁判所が、前記の心証に至った理由を説示した上で、【資料1】の公訴事実に対して【資料2】の罪となるべき事実を認定し、判決をすることが許されるかについて論じなさい。
なお、罪となるべき事実の記載が判示として十分かについて論じる必要はない。
2 【事例2】につき、仮に、乙が捜査段階において、「令和3年11月1日に、本件家屋内で、甲が逮捕されたときには同家屋に放火するように甲から指示されていたので、その指示に従って同家屋の室内に灯油をまいた上、点火した石油ストーブを蹴り倒して放火した。」旨述べ、これを踏まえ、検察官が甲を本件家屋に対する非現住建造物等放火の罪で起訴したとする(公訴事実は【資料3】のとおり。)。
甲は、捜査段階から一貫して乙との共謀を否認し、弁護人も、第1回公判期日の冒頭手続において同旨の主張をした。検察官は、裁判長からの求釈明に応じて、冒頭陳述で、共謀が成立した日にちを令和3年11月1日、共謀が成立した場所を本件家屋内であるとそれぞれ明らかにした。これに対し、弁護人は、冒頭陳述で、「検察官が乙との共謀が成立したと主張する日は、甲は、一日中、K県L市内にある自宅にいて、本件家屋には行っていない。」旨述べてアリバイを主張した。証人尋問において、乙は、「同月1日、甲から放火の指示を受けた。」旨証言し、これに対し、弁護人は、その証言の信用性を弾劾する反対尋問をした。裁判所も、アリバイの主張を念頭に、その日の甲及び乙の行動について補充尋問をした。甲は、被告人質問においても同日のアリバイを述べ、検察官及び裁判所も、同日中の行動について甲に質問した。
裁判所は、その後の証拠調べの結果をも踏まえ、甲から乙に対して前記のような指示があったことに疑いはないが、その日にちについては、同月1日ではなく同月2日であり、乙はそれを取り違えて供述しているとの心証を得た。その後、論告、弁論において、検察官及び弁護人は、従前と同様の主張をし、被告人も従前と同旨の陳述をして、裁判所は結審した。
この場合、裁判所が、前記の心証に従い、事実認定の理由として、共謀が成立したのは同月2日である旨説示した上で、【資料3】のとおりの事実を罪となるべき事実として認定し、判決をすることが許されるかについて論じなさい。
なお、罪となるべき事実の記載が判示として十分かについて論じる必要はない。
(参照条文) 大麻取締法第24条の2 大麻を、みだりに、所持し、譲り受け、又は譲り渡した者は、5年以下の懲役に処する。
2 営利の目的で前項の罪を犯した者は、7年以下の懲役に処し、又は情状により7年以下の懲役及び200万円以下の罰金に処する。
3 (略)
【資料1】公訴事実被告人は、令和3年11月26日午後2時頃、H県I市〇町△丁目×番地所在の現に人が住居に使用せず、かつ、現に人がいないBが所有する家屋(木造スレート葺2階建て、床面積合計約98.6平方メートル)内において、同家屋1階12畳間に灯油をまいた上、点火した石油ストーブを倒して火を放ち、その火を同家屋の壁、天井等に燃え移らせ、よって、同家屋を全焼させて焼損したものである。
【資料2】罪となるべき事実被告人は、令和3年11月26日午後2時頃、H県I市〇町△丁目×番地所在の現に人が住居に使用せず、かつ、現に人がいないBが所有する家屋(木造スレート葺2階建て、床面積合計約98.6平方メートル)内において、同家屋1階12畳間に灯油をまいた上、何らかの方法で火を放ち、その火を同家屋の壁、天井等に燃え移らせ、よって、同家屋を全焼させて焼損したものである。
【資料3】公訴事実被告人は、乙と共謀の上、令和3年11月26日午後2時頃、H県I市〇町△丁目×番地所在の現に人が住居に使用せず、かつ、現に人がいないBが所有する家屋(木造スレート葺2階建て、床面積合計約98.6平方メートル)内において、同家屋1階12畳間に灯油をまいた上、点火した石油ストーブを倒して火を放ち、その火を同家屋の壁、天井等に燃え移らせ、よって、同家屋を全焼させて焼損したものである。
出題の趣旨
法務省が公表した出題の趣旨です。
〔第2問〕本問は、大麻取締法違反事件及び非現住建造物等放火事件を素材として、捜査及び公判に関する具体的事例を示し、各局面で生じる刑事手続上の問題点、その解決に必要な法解釈、法適用に当たって重要な具体的事実の分析及び評価並びに具体的結論に至る思考過程を論述させることにより、刑事訴訟法に関する基本的学識、法適用能力及び論理的思考力を試すものである。
〔設問1〕は、大麻密売の疑いのある者として把握されていた甲に対するおとり捜査の適法性を論じさせることにより、おとり捜査の適法性の判断基準に対する理解と具体的事案への適用能力を試すものである。
おとり捜査の適法性が争われた事案に関する最高裁判所の判例としては、最決平成16年7月12日刑集58巻5号333頁(以下「平成16年決定」という。 )がある。平成16年決定は、おとり捜査の意義を示した上で、これが許容される場合がある旨判示しているところ、おとり捜査の適法性を検討するに当たっては、おとり捜査に関する法律上の定義規定がないことから、前提として、おとり捜査の意義に関する理解を示すことが求められる。
また、おとり捜査については、刑事訴訟法に特別の根拠規定がなく、平成16年決定も、おとり捜査が刑事訴訟法第197条第1項に基づき任意捜査として許容される場合があるとしていることから、おとり捜査の適法性を検討する際には、おとり捜査の法的性質についても論じることが求められる。そして、その判断には、おとり捜査が違法とされる実質的理由が影響し得ることに留意する必要がある。すなわち、おとり捜査が違法とされる実質的理由については、学説上、不公正な捜査方法であるからとする考え方、国家が犯罪を創出し法益侵害を生じさせるからとする考え方、人格的自律権・個人の尊厳に対する侵害があるからとする考え方などが主張されているところ、これらの理由とおとり捜査の法的性質との整合性に留意して論述する必要がある。
次に、おとり捜査の適法性の判断基準については、学説上、もともと犯意を有していた者に犯罪の機会を提供した場合(以下「機会提供型」という。 )と、おとり捜査によって対象者に犯意を生じさせた場合(以下「犯意誘発型」という。 )とを区別し、機会提供型は適法であるが、犯意誘発型は違法であるとする考え方や、捜査比例の原則に従い、必要性と相当性という枠組みの下で、比較衡量によりおとり捜査の適否を判断する考え方などが主張されている。いずれの見解に立つにせよ、おとり捜査の適法性の判断基準は、おとり捜査の法的性質や、おとり捜査が違法とされる実質的理由と結び付くものであるから、それらの点を踏まえた上で判断基準と判断要素を示すことが求められる。また、平成16年決定は、おとり捜査の適法性について、必ずしも機会提供型と犯意誘発型のどちらに当たるかのみで判断しているわけではないことにも留意する必要がある。
このようにおとり捜査の適法性の判断基準について論じた上で、本設問の事例に現れた具体的事実の持つ意味を的確に評価し、判断基準に当てはめて、おとり捜査の適法性を検討することが求められる。
本設問において、おとり捜査の対象となる犯罪は、大掛かりな大麻密売をしている疑いがある者として把握されていた甲による大麻密売事案であり、大麻の密売先は紹介者に限られ、密売に使用される携帯電話の契約名義は架空人名義で、その番号も変わり、甲の氏名や身元などは判明せず、その後、司法警察員らが甲を尾行した際も見失っている。また、捜査協力を申し出たAにより甲が今でも大麻を密売しているとの情報が得られ、その後、甲はサンプルとしての大麻の取引に応じ、その際、10キログラム程度の大麻であれば取り扱うことがある旨述べている。また、大麻密売事案は、直接の被害者がいない犯罪で、さらに、本件で売り渡される大麻は、おとり捜査を通じて司法警察員らにより回収されることが見込まれている。
他方で、甲は、サンプルとしての大麻の取引の前に、司法警察員Pに対し、取引場所を気にする発言をし、気が進まない旨述べ、これに対し、Pが取引場所を手配している。また、甲は、本取引の前日には、明日の取引はやめたい旨述べたが、これに対し、Pは暴力団X組と交遊があるかのように装い、約束した代金の1.5倍の代金を払う旨や同じ単価で10キログラムの大麻を買っても良い旨述べた上、Aに指示し、PがX組と取引のある信用できる人物である旨甲に告げさせている。
また、本設問では、司法警察員らは、甲からサンプルとしての大麻を譲り受けた際に甲を逮捕せず、その後、より大量の大麻を取引する際に甲を逮捕している。
以上のような本設問の事例に現れた具体的事実を踏まえ、自己の拠って立つおとり捜査の適法性の判断基準を前提に、抽出した事実の持つ意味を的確に評価しつつ、おとり捜査の適法性について論じることが求められる。
〔設問2〕について、まず〔設問2―1〕は、非現住建造物等放火事件の犯行態様の一部について公訴事実と裁判所の心証との間にずれが生じた事例について、裁判所が現訴因のまま自己の心証に従って判決をすることができるか否かを問うことにより、訴因変更の要否に関する判断枠組みに対する理解と具体的事案への適用能力を試すものである。
訴因変更の要否を論じるに当たっては、訴因の本質をどのように考えるかが問題となる。
この点について、訴因は検察官がその存在を主張して審判を請求する具体的な犯罪事実を示したものとするいわゆる事実記載説によれば、訴因と異なる事実を認定するには、訴因変更の必要が生じ得ることになるが、その上で、どのような事実の変動が生じる場合に訴因変更が必要となるのかが、さらに問題となる。
この点について、学説上、訴因が被告人に防御の範囲を示す機能を有することに鑑み、訴因と異なる事実を認定することによって被告人の防御の利益を実質的に害することになるか否かにより判断する考え方があり、その中でも、被告人の防御活動等具体的な審理の経過に鑑み、それを個々の事件ごとに個別に判定すべきとするいわゆる具体的防御説や、訴因事実と認定事実とを一般的・類型的に対比することにより判定すべきとするいわゆる抽象的防御説などがある。これに対して、判例上、最決平成13年4月11日刑集55巻3号127頁(以下「平成13年決定」という。 )において、訴因変更の要否に関する判断枠組みが示され、その後、最決平成24年2月29日刑集66巻4号589頁においても、その判断枠組みを踏まえた判断がされている。そのため、訴因変更の要否の判断枠組みにつきどのような見解に立つにせよ、平成13年決定を意識した論述が求められる。平成13年決定は、まず、審判対象画定に必要不可欠な事実については、防御活動のいかんにかかわらず、訴因と異なる事実を認定するには訴因変更が必要であるとし (第1段階の検討) 、 次に、 上記以外の事実で、被告人の防御にとって重要な事実については、それが訴因に明示された以上、訴因と異なる事実を認定するには原則として訴因変更が必要であるが、そのような場合でも、被告人の防御の具体的状況等の審理の経過に照らし、被告人に不意打ちを与えず、かつ、判決で認定される事実が訴因に記載された事実と比べて被告人にとって不利益であるといえない場合には、例外的に訴因変更を必要としない場合がある(第2段階の検討)という判断枠組みを取っているものと考えられる。
〔設問2-1〕において、公訴事実は犯行態様を「点火した石油ストーブを倒し」と記載しているのに対し、裁判所の認定に係る罪となるべき事実は、 「何らかの方法で」と記載している。そこで、例えば、平成13年決定の判断枠組みによれば、まず、第1段階の検討として、この点が審判対象画定に必要不可欠な事実の変動に該当するか否かを論じる必要がある。
そして、これが審判対象画定に必要不可欠な事実の変動に当たらないと考えた場合、次に、第2段階の検討として、公訴事実に「点火した石油ストーブを倒し」と明示されていることから、これを「何らかの方法」と認定することが被告人の防御にとって重要な事実の変動に該当するか否かを論じる必要がある。そして、それが被告人の防御にとって重要な事実の変動に該当すると考えた場合、さらに、被告人の防御の具体的状況等の審理の経過に照らし、被告人に不意打ちを与えず、かつ、判決で認定される事実が訴因に記載された事実と比べて被告人にとって不利益であるといえない場合に該当するか否かを論じる必要がある。その際には、本設問における火災科学の専門家である証人への尋問状況、尋問結果を踏まえた裁判所の当事者への働きかけとそれに対する当事者の対応等の事情も踏まえて検討することが求められる。判例とは異なる判断枠組みによって論じる場合にも、それぞれの立場を踏まえて、訴因と異なる事実を認定することの適否を論じる必要がある。
次に、 〔設問2-2〕は、共謀共同正犯において、検察官が冒頭陳述で釈明した共謀の日にちと裁判所が心証を形成した共謀の日にちとの間にずれが生じた事例について、裁判所がその心証に従って判決をすることができるか否かを問うことにより、検察官の釈明の効果及びそれを踏まえた裁判所の採るべき措置に対する理解と具体的事案への適用能力を試すものである。
〔設問2-2〕において、検察官は、特定の日にちに共謀が成立したと釈明するものの、訴因には「共謀の上」としか記載されておらず、共謀の日にちは記載されていない。そこで、まず、検察官が釈明した内容が訴因の内容になるのかが問題となる。
この点について、検察官が釈明した事項が訴因の明示・特定に必要な事項である場合には、訴因の内容になるとする考えによれば、訴因の明示・特定に必要な事項は何かが問題となる。
この点について、学説上、訴因は他の犯罪事実から識別可能な程度に特定されていれば足りるとするいわゆる識別説や、訴因は他の犯罪事実と識別できるかだけでなく被告人の防御権の行使に支障がない程度まで具体化される必要があるとするいわゆる防御権説が主張されている。識別説に立ち、共謀の日にちは訴因の明示・特定に必要な事項とはいえないとして、検察官の釈明により訴因の内容になるものではないとする見解や、防御権説の立場から、共謀共同正犯における共謀の日にちは共謀のみに関与した被告人との関係では訴因の明示・特定に必要な事項であるとして、検察官の釈明により訴因の内容になるとする見解などが考えられる。
その上で、検察官が釈明した共謀の日にちが訴因の内容になるとする見解を採ると、次に、釈明の内容と異なる共謀の日にちを認定するに当たり、訴因変更の要否が問題となる。
他方で、検察官の釈明した共謀の日にちは訴因の内容にはならず、それゆえ訴因変更の要否の問題にならないと考える場合にも、検察官の釈明の内容と異なる共謀の日にちを認定するに当たり、 被告人の防御との関係で、 裁判所が何らかの措置を講じる必要がないかが問題となる。
この点、共謀共同正犯の成否が問題となった事案において、被告人の謀議への関与が、検察官の主張する日にちとは異なる日にちになされた旨を、原審が、その成否を審理における争点として顕在化させることなく認定したことの適法性が問題となった最高裁判所の判例として、最判昭和58年12月13日刑集37巻10号1581頁がある。 同判決は、 原審の訴訟手続は、事案の性質や審理の経過等に鑑みると、被告人に不意打ちを与え、その防御権を不当に侵害するものであるとしており、同判決を意識した上で、本設問の事例に現れた具体的事実を適切に評価した上で、裁判所として採るべき措置を論じることが求められる。
参考答案AI生成(出題の趣旨と論証集をもとに作成した目安です)
第1 設問1
1 おとり捜査の意義及び法的性質
おとり捜査とは、捜査機関又はその依頼を受けた捜査協力者が、その身分や意図を相手方に秘して犯罪の実行を働き掛け、相手方がこれに応じて犯罪の実行に出たところで現行犯逮捕等により検挙するものをいう(最決平成16年7月12日)。
本件では、Pが身分を秘して大麻の買い手を装い、Aを介して甲に接近し、甲が大麻を持参した時点でこれを現行犯逮捕しているから、おとり捜査に当たる。
おとり捜査については刑訴法に特別の根拠規定がない。しかし、おとり捜査は対象者の意思を制圧するものではなく、犯罪を実行するか否かの決定は最終的に対象者の意思に委ねられているから、個人の重要な権利・利益を実質的に制約する強制処分(197条1項ただし書)には当たらず、任意捜査(同項本文)として位置づけられる。
2 適法性の判断基準
もっとも、任意捜査であっても無制約に許されるわけではない。おとり捜査が違法とされる実質的理由は、第一に、国家が自ら犯罪の契機を作り出し、本来生じなかった法益侵害を発生させる点にあり、第二に、対象者の犯罪を行うか否かについての意思決定の自由に不当に干渉する点にある。
この点、対象者がもともと犯意を有していた機会提供型と、おとり捜査により犯意を生じさせた犯意誘発型とを区別し、前者は適法、後者は違法とする考え方がある。しかし、既に犯意を有する者に対してであっても過度の働き掛けは許されない一方、犯意の有無は外部から判定し難く、この二分論のみで適否を決することはできない。
そこで、おとり捜査の適否は、捜査比例の原則(197条1項本文)により、必要性と相当性を総合して判断すべきである。具体的には、①対象犯罪の重大性及び直接の被害者の有無、②通常の捜査方法による摘発の困難性、③対象者が機会があれば犯罪を行う意思を有していたか、④働き掛けの態様・程度、⑤おとり捜査により生ずる法益侵害の程度及びその回復可能性を考慮する。判例も、直接の被害者がいない薬物犯罪等の捜査において、通常の捜査方法のみでは当該犯罪の摘発が困難である場合に、機会があれば犯罪を行う意思があると疑われる者を対象として行われるときは、197条1項に基づく任意捜査として許容されるとしている。
3 本件へのあてはめ
(1)必要性
本件の対象犯罪は大麻の営利目的所持・密売であり、薬物の社会への拡散を通じて国民の保健衛生に広範な害を及ぼす重大な犯罪である。他方で直接の被害者が存在せず、被害の申告を端緒とする通常の捜査が機能しない類型である。
甲は、契約名義の異なる携帯電話を順次使用し、Aに架電した電話番号の契約名義人は実在しなかった。甲の身元や所在地は関係者の供述からも不明であり、密売先は紹介を受けた者に限られていたため、通常の捜査では甲に接触することすらできない。現にPらは11月23日の取引後に甲を尾行したが途中で見失っている。したがって、通常の捜査方法のみでは甲による大麻密売の摘発は困難であった。
また、Pらが、サンプル譲受けの際には甲を逮捕せず、多量の大麻を持参した時点で逮捕したのは、大掛かりな大麻密売の全容を解明するためであり、捜査目的に照らして合理的である。
(2)甲の犯意
Aは、大麻所持の罪で服役して出所した後、暴力団や大麻と縁を切りたいとして自ら情報提供を申し出た者であり、かつて甲から大麻を入手した経験に基づき、甲が大麻を栽培して紹介を受けた者に密売していたこと、出所祝いの電話があったことを具体的に述べている。Aは11月20日の電話で甲が今でも大麻を密売していることを確認しており、同月23日には甲が自らサンプルとして乾燥大麻100グラムを持参して譲り渡し、その場で「10キロ程度なら扱うこともある」と述べている。
そうすると、甲は、機会があれば大麻を密売する意思を有していた者であり、おとり捜査によって初めて犯意を生じたものではない。
(3)働き掛けの態様
確かに、Pの働き掛けは軽微なものではない。Pは、取引場所を気にする甲に対し自らがオーナーを務める宿泊施設があると述べて取引場所を手配し、11月24日に甲が取引を取りやめたい旨申し出た後も、繰り返し理由を尋ね、長年X組と交遊があると偽り、代金を約束の1.5倍にする、同じ単価で10キログラムをまとめて買う、現金を先に見せると述べて具体的な金額を提示し、さらにAに指示してPが信用できる人物である旨甲に告げさせている。
しかし、甲が渋った理由は「密売人の摘発が続いているようで、嫌な予感がする」という摘発の危険に対する懸念であって、大麻を密売する意思自体を放棄したものではない。Pの働き掛けは、この安全性に対する懸念を取り除く内容と、密売人である甲にとって本来望ましい取引条件の提示にとどまり、通常であれば犯罪に及ばない者に犯意を植え付けるような性質のものではない。取引数量を10キログラムとしたのも、甲自身が10キロ程度なら扱うことがあると述べたことを踏まえたものである。脅迫や執拗な威圧はなく、甲は最終的に自らの判断で「大麻を10キロ売ることにする」と述べて取引に応じている。
(4)法益侵害
本件で甲が持参した乾燥大麻は、おとり捜査を通じてPらにより確実に回収されることが見込まれており、現に逮捕に伴い差し押さえられている。したがって、第三者への大麻の拡散という法益侵害は現実には生じておらず、国家が新たな法益侵害を作り出したとはいえない。
(5)以上より、本件おとり捜査は必要性が高く、働き掛けの態様も相当と認められる限度内にあるから、任意捜査として適法である。
第2 設問2
1 小問1
(1)訴因制度のもとでは、審判対象は検察官の設定した訴因であり(256条3項、312条1項)、訴因は裁判所に対して審判対象を画定するとともに、被告人に対し防御の範囲を示す機能を有する。そこで、裁判所が訴因と異なる事実を認定するには、訴因変更手続(312条1項)を経る必要があるかが問題となる。
この点、まず、訴因のうち審判対象を画定するために必要不可欠な事実に変動が生じる場合には、被告人の防御活動のいかんにかかわらず訴因変更が必要である。次に、これに当たらない場合であっても、訴因に明示された事実のうち被告人の防御にとって重要な事項に変動が生じる場合には、原則として訴因変更が必要である。ただし、被告人の防御の具体的状況等の審理の経過に照らし、被告人に不意打ちを与えず、かつ、判決で認定される事実が訴因に記載された事実と比べて被告人にとって不利益であるといえない場合には、例外的に訴因変更を要しないと解する(最決平成13年4月11日参照)。
(2)本件では、訴因が「点火した石油ストーブを倒して火を放ち」とするのに対し、裁判所は「何らかの方法で火を放ち」と認定しようとしている。
ア まず、審判対象の画定に必要不可欠な事実の変動か。非現住建造物等放火罪の構成要件は、放火して非現住建造物を焼損することであり、着火の具体的方法はその要素ではない。本件では、令和3年11月26日午後2時頃、H県I市○町△丁目×番地所在のB所有家屋という日時・場所・客体及び全焼という結果、並びに灯油を散布した上で火を放ったという行為態様が特定されており、他の犯罪事実との識別は十分可能である。したがって、着火方法は審判対象の画定に必要不可欠な事実ではない。
イ 次に、被告人の防御にとって重要な事項か。乙は、放火を否認し、石油ストーブの傍らの乾燥大麻が燃えていたにすぎないと弁解しており、石油ストーブとの関係は防御の中心であった。着火方法が訴因に明示されていた以上、これは被告人の防御にとって重要な事項に当たる。よって原則として訴因変更が必要となる。
ウ もっとも、例外に当たるかを検討する。
第一に、不意打ちとはいえない。公判では火災科学の専門家の証人尋問が実施され、検察官及び弁護人の尋問を通じて、焼け残った床面の広い範囲から灯油が検出されたことから人為的に灯油がまかれたと考えるのが自然であること、乙の捜査段階の供述どおりの態様と考えて矛盾がないことが証言された。そして裁判所の補充尋問により、可燃物に火をつけて散布された灯油に着火させることも可能であるとの証言が得られている。すなわち、石油ストーブ以外の方法による着火の可能性は審理の過程で現実に顕在化している。しかも裁判所は、同証人尋問終了後に検察官及び弁護人に対し放火の態様に関する追加の主張・立証の予定を確認し、双方がその予定はない旨回答している。乙及び弁護人には、着火方法について主張・立証する機会が具体的に与えられていた。
第二に、認定事実は被告人にとって不利益ではない。「何らかの方法で火を放ち」との認定は、着火方法を特定しない概括的なものであり、訴因に記載された「点火した石油ストーブを倒して」という方法を包含する関係にある。新たな行為を付加するものでも、より重い責任を基礎づけるものでもなく、灯油の散布という点は訴因と同一である。
エ したがって、訴因変更を経ることなく【資料2】の事実を認定することが許される。
(3)なお、乙が室内に灯油を散布し、その灯油に何らかの方法により着火させたことが認定できれば、非現住建造物等放火罪の成立に欠けるところはない。よって、裁判所は、心証に至った理由を説示した上、【資料2】の罪となるべき事実を認定して判決をすることができる。
2 小問2
(1)【資料3】の公訴事実には「乙と共謀の上」と記載されているのみで、共謀の日にち及び場所は記載されていない。そこで、検察官が求釈明に応じて冒頭陳述で明らかにした共謀成立日である令和3年11月1日が訴因の内容となるかが問題となる。
訴因は、できる限り日時、場所及び方法をもって罪となるべき事実を特定して明示しなければならない(256条3項)。もっとも、訴因の第一次的機能は審判対象の画定であり、被告人に対する防御範囲の告知は審判対象の画定を通じて果たされる。防御上必要な具体化は求釈明その他の訴訟指揮によって確保することができる。そこで、訴因は、他の犯罪事実から識別が可能な程度に特定されていれば足りると解する。
共謀共同正犯の訴因においては、実行行為の日時・場所・態様及び結果が特定されていれば他の犯罪事実との識別は可能であり、共謀の日にち及び場所は識別のために必要な事項とはいえない。したがって、検察官の釈明によってもこれらが訴因の内容となるものではない。
そうすると、裁判所が共謀の成立日を同月2日と認定することは訴因と異なる事実を認定するものではなく、訴因変更(312条1項)を要しない。
(2)もっとも、訴因変更が不要であるとしても、被告人の防御との関係で裁判所が何らの措置も講じないまま釈明と異なる事実を認定してよいかが問題となる。
検察官が求釈明に応じて明らかにした事実は、被告人にとって防御の対象を示すものであり、被告人はこれを信頼して防御活動を行う。したがって、裁判所が釈明された内容と異なる事実を認定しようとする場合には、その点を争点として顕在化させ、被告人に実質的な防御の機会を与えなければならず、これを欠く訴訟手続は被告人に不意打ちを与え、その防御権を不当に侵害するものとして違法となると解する(最判昭和58年12月13日参照)。
(3)本件では、甲は捜査段階から一貫して乙との共謀を否認し、弁護人も冒頭手続で同旨の主張をしていた。検察官が共謀成立日を11月1日、場所を本件家屋内と釈明したのを受け、弁護人は冒頭陳述で、同日甲は一日中K県L市内の自宅にいて本件家屋には行っていない旨のアリバイを主張した。その後の審理も、乙の証人尋問における同月1日に指示を受けたという証言とこれに対する弾劾、裁判所のアリバイを念頭に置いた同日の行動についての補充尋問、被告人質問における同日のアリバイの供述及びこれに対する検察官・裁判所の質問と、いずれも同月1日に共謀が成立したか否かに集中している。
これに対し、同月2日に共謀が成立したか否かは、審理において争点として顕在化していない。甲は同月2日の自己の行動について主張・立証する機会を全く与えられておらず、同日についてもアリバイその他の反証をなし得た可能性を否定できない。乙が日にちを取り違えている可能性は、乙の証言の信用性という共謀の存否の核心に関わる事項であり、甲の防御にとって決定的に重要である。
そうすると、裁判所は、結審に先立ち、共謀成立日が同月2日である可能性を争点として顕在化させ、検察官に対し釈明を求め、又は弁護人に主張・立証の機会を与えるべきであった。
(4)以上より、裁判所がこれらの措置を講じることなく、共謀が成立したのは11月2日である旨説示した上で【資料3】のとおりの事実を認定して判決をすることは、甲に不意打ちを与え、その防御権を不当に侵害するものであって許されない。
以上