司法試験 令和元年 刑法
問題文
[刑事系科目]〔第1問〕(配点:100)
以下の【事例1】から【事例3】までを読んで,後記〔設問1〕から〔設問3〕までについて,答えなさい。
【事例1】甲(男性,25歳)は,他人名義の預金口座のキャッシュカードを入手した上,その口座内の預金を無断で引き出して現金を得ようと考え,某日,金融庁職員に成りすまして,見ず知らずのA(女性,80歳)方に電話をかけ,応対したAに対し,「あなたの預金口座が不正引き出しの被害に遭っています。うちの職員がお宅に行くのでキャッシュカードを確認させてください。」と告げ,Aの住所及びA名義の預金口座の開設先を聞き出した。
同日,甲は,キャッシュカードと同じ形状のプラスチックカードを入れた封筒(以下「ダミー封筒」という。)と,それと同種の空の封筒をあらかじめ用意してA方を訪問し,その玄関先で,Aに対し,「キャッシュカードを証拠品として保管しておいてもらう必要があります。後日,お預かりする可能性があるので,念のため,暗証番号を書いたメモも同封してください。」と言った。Aは,それを信用し,B銀行に開設されたA名義の普通預金口座のキャッシュカード及び同口座の暗証番号を記載したメモ紙(以下「本件キャッシュカード等」という。)を甲に手渡し,甲は,本件キャッシュカード等をAが見ている前で空の封筒内に入れた。その際,甲は,Aに対し,「この封筒に封印をするために印鑑を持ってきてください。」と申し向け,Aが玄関近くの居間に印鑑を取りに行っている隙に,本件キャッシュカード等が入った封筒とダミー封筒をすり替え,本件キャッシュカード等が入った封筒を自らが持参したショルダーバッグ内に隠し入れた。Aが印鑑を持って玄関先に戻って来ると,甲は,ダミー封筒をAに示し,その口を閉じて封印をさせた上でAに手渡し,「後日,こちらから連絡があるまで絶対に開封せずに保管しておいてください。」と言い残して,本件キャッシュカード等が入った封筒をそのままA方から持ち去った。
その数時間後,甲の一連の行動を不審に感じたAが前記事情を警察に相談したことから,甲の犯行が発覚し,警察から要請を受けたB銀行は,同日中に前記口座を凍結(取引停止措置)することに応じた。
翌日,甲は,自宅近くのコンビニエンスストアに行き,同店内に設置されていた現金自動預払機(以下「ATM」という。)に前記キャッシュカードを挿入して現金を引き出そうとしたが,既に前記口座が凍結されていたため,引き出しができなかった。
〔設問1〕 【事例1】における甲のAに対する罪責について,論じなさい(住居侵入罪及び特別法違反の点は除く。)。
【事例2】(【事例1】の事実に続けて,以下の事実があったものとする。)
甲は,現金の引き出しができなかったため,ATMの前で携帯電話を使ってA方に電話をかけてAと会話していた。同店内において,そのやり取りを聞いていた店員C(男性,20歳)は,不審に思い,電話を切ってそそくさと立ち去ろうとする甲に対し,甲が肩から掛けていたショルダーバッグを手でつかんで声をかけた。甲は,不正に現金を引き出そうとしたことで警察に突き出されるのではないかと思い,Cによる逮捕を免れるため,Cに対し,「引っ込んでろ。その手を離せ。」と言ったが,Cは,甲のショルダーバッグをつかんだまま,甲が店外に出られないように引き止めていた。
その頃,同店に買物に来た乙(男性,25歳)は,一緒に万引きをしたことのあった友人甲が店員のCともめている様子を見て,甲が同店の商品をショルダーバッグ内に盗み入れてCからとがめられているのだろうと思い,甲に対し,「またやったのか。」と尋ねた。甲は,自分が万引きをしたと乙が勘違いしていることに気付きつつ,自分がこの場から逃げるために乙がCの反抗を抑圧してくれることを期待して,乙に対し,うなずき返して,「こいつをなんとかしてくれ。」と言った。乙は,甲がショルダーバッグ内の商品を取り返されないようにしてやるため,Cに向かってナイフ(刃体の長さ約10センチメートル)を示しながら,「離せ。ぶっ殺すぞ。」と言い,それによってCが甲のショルダーバッグから手を離して後ずさりした隙に,甲と乙は,同店から立ち去った。
〔設問2〕 【事例1】において甲が現金を引き出そうとした行為に窃盗未遂罪が成立することを前提として,【事例2】における乙の罪責について,論じなさい(特別法違反の点は除く。)。
なお,論述に際しては,以下の①及び②の双方に言及し,自らの見解(①及び②で記載した立場に限られない)を根拠とともに示すこと。
① 乙に事後強盗の罪の共同正犯が成立するとの立場からは,どのような説明が考えられるか。
② 乙に脅迫罪の限度で共同正犯が成立するとの立場からは,どのような説明が考えられるか。
【事例3】(【事例1】の事実に続けて,【事例2】の事実ではなく,以下の事実があったものとする。)
甲は,現金の引き出しができなかったため,同店の売上金を奪おうと考え,同店内において,レジカウンター内に一人でいた同店経営者D(男性,50歳)に対し,レジカウンターを挟んで向かい合った状態で,ナイフ(刃体の長さ約10センチメートル)をちらつかせながら,「金を出せ。」
と言って,レジ内の現金を出すよう要求した。それに対し,Dが「それはできない。」と言って甲の要求に応じずにいたところ,甲は,「本当に刺すぞ。」と怒鳴り,レジカウンターに身を乗り出してナイフの刃先をDの胸元に突き出したが,それでも,Dは甲の要求に応じる素振りさえ見せなかった。
同店に客として来ておりそのやり取りを目撃していた丙(女性,30歳)は,Dを助けるため,間近に陳列されていたボトルワインを手に取り,甲に向かって力一杯投げ付けた。ところが,狙いが外れ,ボトルワインがDの頭部に直撃し,Dは,加療約3週間を要する頭部裂傷の傷害を負った。
なお,ボトルワインを投げ付ける行為は,丙が採り得る唯一の手段であった。
〔設問3〕 【事例3】において,丙がDの傷害結果に関する刑事責任を負わないとするには,どのような理論上の説明が考えられるか,各々の説明の難点はどこかについて,論じなさい。
出題の趣旨
法務省が公表した出題の趣旨です。
〔第1問〕本問は,設問1で,甲が,Aから受け取ったA名義の普通預金口座のキャッシュカード及び同口座の暗証番号を記載したメモ紙(以下「本件キャッシュカード等」という。)在中の封筒を,キャッシュカードと同じ形状のプラスチックカードを入れた封筒(以下「ダミー封筒」という。)にすり替えて取得した行為について,窃盗罪若しくは詐欺罪の成否を検討させ,設問2で,乙が,甲が窃盗を行ったと認識しながら,店員Cに財物を取り戻されることを防ぐため,甲との間でCの反抗を抑圧することを共謀した上,Cに対してナイフを示して脅した行為について,事後強盗の罪の共同正犯が成立するとの立場と脅迫罪の限度で共同正犯が成立するとの立場の各理論構成を検討させた上,自説の立場を示させ,さらに,設問3で,丙が,甲からナイフの刃先を胸元に突き付けられていたDを助けるため,間近にあったボトルワインを甲に向かって投げ付けたが,その狙いが外れ,ボトルワインがDの頭部に直撃し,Dに傷害を負わせた行為について,Dの傷害結果に関する刑事責任を負わないとする理論上の説明とその難点を検討させるものであり,それにより,刑事実体法及びその解釈論の知識と理解を問うとともに,具体的な事実関係を分析し,その事実に法規範を適用する能力並びに論理的な思考力及び論述力を試すものである。
設問1について本問では,甲が本件キャッシュカード等在中の封筒をダミー封筒にすり替えて取得した行為が窃盗罪と詐欺罪のいずれに当たるかを巡り,両罪の区別基準とされる処分行為の有無が問題となる。具体的には,甲がAに「この封筒に封印するために印鑑を持ってきてください。」と申し向けて印鑑を取りに行かせた場面が問題となることを的確に指摘した上で,処分行為の意義を示し,本事案における当てはめを行う必要がある。
本事案において,処分行為の客観面として,Aが印鑑を取りに行くに当たり甲に本件キャッシュカード等の所持を許したA方玄関先は,Aの場所的支配領域内であると認められる上,Aが印鑑を取りに行った居間は玄関の近くにあることなどの事情を踏まえ,甲に対する本件キャッシュカード等の占有の移転があると認められるか,それとも占有の弛緩にすぎないかを検討することになる。
また,処分行為の主観面(処分意思)について見ると,Aとしては,飽くまで,玄関近くの居間に印鑑を取りに行き,すぐに玄関に戻ってくるつもりであった上,本件キャッシュカード等が入った封筒については,金融庁職員に後日預けるまでは自己が保管しておくつもりであったことなどの事情を踏まえ,処分意思(占有の終局的移転についての認識)の有無を検討することになる。
その上で,Aの処分行為がない(そもそも処分行為に向けられた欺罔行為がないということになる。)と認めた場合には,窃盗罪の構成要件該当性を検討することになり,客観的構成要件要素として「他人の財物」,「窃取」を,主観的構成要件要素として故意及び不法領得の意思を,それぞれ検討する必要がある。「他人の財物」については,特に,キャッシュカード及び暗証番号を記載したメモ紙の財物性について,客観的な経済的価値などを踏まえ検討する必要がある。また,「窃取」については,意義を示した上で,実行行為や既遂時期について具体的に論じる必要がある。そして,主観的構成要件要素として,窃盗罪の故意及び不法領得の意思について検討する必要があるところ,甲が,Aが不在の隙に自ら本件キャッシュカード等をダミー封筒とすり替えて自己のショルダーバッグ内に隠し入れていることや,元々の計画として,他人名義の預金口座のキャッシュカードを入手し,その口座内の預金を無断で引き出して現金を得ようと考え本件行為に及んでいることなどから,故意及び不法領得の意思があったと認められることを簡潔に指摘する必要がある。
他方,本事案で,Aによる処分行為があると認めた場合には,詐欺罪の構成要件該当性を検討することになり,客観的構成要件要素として「財物」,「欺罔行為」,「処分行為」を,主観的構成要件要素として故意及び不法領得の意思を,それぞれ検討する必要がある。「欺罔行為」
については,処分行為との関係性を踏まえた正確な意義を示した上で,具体的事実を摘示して当てはめを行う必要があるところ,前記のとおり,本事案における処分行為に向けられた欺罔行為としては,甲が,本件キャッシュカード等を所持した状態で,Aに対し,「印鑑を持ってきてください。」と言ってAを玄関から離れさせた行為と捉えるべきであり,その点を踏まえた当てはめをする必要がある。そして,主観的構成要件要素のうち,故意については,甲が,Aに対し,「印鑑を持ってきてください。」と言ってAを玄関から離れさせ,それによりAをして本件キャッシュカード等の占有を甲の支配下に移させていることについての認識,認容があったと認められることを簡潔に指摘する必要がある。
なお,甲が本件キャッシュカードを使用してATMから現金を引き出そうとした行為は,ATMを管理する金融機関の占有を侵害するものであり,Aに対する罪責とはならないことから,この点は論ずるべきではない。
設問2について本問では,乙の罪責について,①乙に事後強盗の罪の共同正犯が成立するとの立場と,②乙に脅迫罪の限度で共同正犯が成立するとの立場の双方からの説明に言及しつつ,根拠とともに自説を論じる必要があるが,この点,事後強盗罪の構造を身分犯と解するか,結合犯と解するかが関わることになる。
まず,①乙に事後強盗の罪の共同正犯が成立するとの立場からの説明としては,a.事後強盗罪を窃盗犯人であることを身分とする真正身分犯と捉えた上,刑法第65条の解釈について,第1項は真正身分犯について身分の連帯的作用を,第2項は不真正身分犯について身分の個別作用を規定したものと解し,第1項により事後強盗未遂罪の共同正犯が成立するとの説明や,b.事後強盗罪を不真正身分犯と捉えた上,刑法第65条の解釈について,第1項は真正身分犯及び不真正身分犯を通じて共犯の成立を,第2項は不真正身分犯について科刑の個別的作用を規定したものと解し,第1項により事後強盗未遂罪の共同正犯が成立する(第2項により科刑は脅迫罪)との説明,c.事後強盗罪を結合犯と捉えた上,承継的共犯を全面的に肯定することにより,事後強盗未遂罪の共同正犯が成立するとの説明等が考えられる。
他方,②乙に脅迫罪の限度で共同正犯が成立するとの立場からの説明としては,d.事後強盗罪を窃盗犯人であることを加重身分とする不真正身分犯と捉え,刑法第65条の解釈について,前記aと同様に解し,第2項により脅迫罪の共同正犯が成立するとの説明,e.事後強盗罪について,窃盗犯人が財物の取り戻しを防ぐ目的の場合には違法身分として刑法第65条第1項を適用し,それ以外の刑法第238条所定の目的の場合には,責任身分として同条第2項を適用するとの考えに立った上,本件では,乙の主観面は財物の取り戻し目的であるものの,客観的には甲による窃盗は未遂であり,違法身分の前提を欠いているため,刑法第65条第1項の適用がなく,同条第2項により脅迫罪の共同正犯が成立するとの説明,f.事後強盗罪を結合犯と捉えた上,承継的共犯を全面的に否定することにより,脅迫罪の共同正犯が成立するとの説明,g.事後強盗罪を結合犯と捉えた上,承継的共犯について,後行者が先行者の行為を自己の犯罪遂行の手段として積極的に利用した場合において,その範囲で,後行者も先行者が行ったことを承継するなどの考えに立って,本事案では,甲の窃盗は未遂にとどまっており,先行者(甲)
の行為を自己(乙)の犯罪手段として積極的に利用したとはいえないなどと考え,乙は甲の行為等を承継せず,脅迫罪の共同正犯が成立するとの説明等が考えられる。
そして,自説として事後強盗の罪の共同正犯が成立するとする場合,自説とする前記a~c等の見解を採る根拠や他説への批判を論じた上で,客観的構成要件要素として「窃盗」,「窃盗の機会」,「脅迫」を,主観的構成要件要素として故意及び目的を,さらに,甲乙間の共謀を,それぞれ検討する必要がある。「窃盗」については,未遂犯も含むことを端的に指摘する必要があり,また,「脅迫」については,判例において,社会通念上一般に相手方の反抗を抑圧するに足りる程度のものかという客観的基準によって判断されるところ,乙は,店員Cにナイフを示しながら,「ぶっ殺すぞ。」と申し向けており,前記基準による脅迫に該当すると判断されることを具体的に示す必要がある。そして,故意や共謀については,甲による窃盗の内容や,窃盗が既遂か未遂か,刑法第238条の目的の内容について甲乙間で認識の齟齬があることに触れながら,それらの事情が故意や共謀の成否に影響するかを検討する必要がある。
他方,自説として脅迫罪の共同正犯にとどまるとする場合,自説とする前記d~g等の見解をとる根拠や他説への批判を論じた上で,客観的構成要件要素として「脅迫」を,主観的構成要件要素として故意を,さらに,甲乙間の共謀について,それぞれ検討する必要がある。
設問3について丙は,甲からナイフの刃先を胸元に突き付けられていたDを助けるため,間近にあったボトルワインを甲に向かって投げ付けたが,その狙いが外れ,ボトルワインが店舗経営者Dの頭部に直撃し,Dに加療約3週間を要する頭部裂傷の傷害を負わせている。
本問は,丙がDの傷害結果に関する刑事責任を負わない理論上の説明等を求めていることから,まず,丙がDの傷害結果に関してどのような罪を負い得るかを明らかにする必要があるところ,前記丙の行為は,有形力の行使によりDの生理的機能に障害を与えていることから,傷害罪の客観的構成要件に該当する。その上で,傷害罪の刑事責任を負わないとする理論上の説明及びその難点を検討していく必要がある。
理論上の説明として,まず,方法の錯誤における処理により丙における故意を否定した上で,更に過失もなかったとする説明が考えられる。具体的符合説(具体的法定符合説)は,行為者の認識した事実と現に発生した事実とが具体的に一致しない限り,故意を阻却するとする見解であり,この見解によれば,方法の錯誤の場合には,認識事実と発生事実とが具体的に一致していないことから,故意は阻却されることになる。本事案において,丙は,甲を狙ってボトルワインを投げ付けたところ,その狙いが外れてDに当たっているので,丙が認識した事実と現に発生した事実とが具体的に一致しておらず,同見解によれば故意が阻却されることになる。
そして,ボトルワインを投げ付ける行為が,丙の取り得る唯一の手段であり,行為時における丙の心理状態等を踏まえ,丙に結果回避可能性はなかったなどと考えれば,丙に過失犯(過失傷害罪)も成立しないことになる。また,過失犯について,正当防衛や緊急避難が成立するとの説明も考えられる。もっとも,丙は,甲の間近にDがいることを認識してボトルワインを投げ付け,その結果,ボトルワインがDに直撃しており,丙につき過失犯の成立も否定するのは困難と考えられることから,結局,過失犯の成立可能性を残す点が難点といえる。
他方,法定的符合説(抽象的法定符合説)は,行為者が認識した事実と現に発生した事実について,構成要件に該当する事実の具体性ないし個別性は考慮せずに,一定の構成要件の枠内において符合する限りにおいて故意を肯定する見解であり,この見解によれば,本事案において,丙は,「人」である甲を狙ってボトルワインを投げ付け,それが「人」であるDに直撃していることから,Dに対する故意が肯定されることになると考えられる。もっとも,法定的符合説(抽象的法定符合説)を採りつつ,暴行の故意を向ける相手方と相手方から救助すべき者とでは,構成要件的評価の観点から見て法的に人として同価値であるとはいえず,故意の符合を認める根拠に欠けるという見解に立てば,本事案では,侵害者甲と被侵害者Dとの構成要件的同価値性が否定されるので,丙には,甲に対する暴行の故意が認められても,Dに対する暴行の故意は認められないと解することも可能と考えられる(大阪高判平成14年9月4日)。
しかしそれでも,過失犯の成立可能性は残るため,その点では,丙が刑事責任を負わないとする理論上の説明としては難ありといえる。また,行為を向けた相手が行為者にとってどのような意味を持つ人であったかを重視するのは,「人」として構成要件的に同価値である限り行為者の主観的な錯誤には重要性を認めないという法定的符合説(抽象的法定符合説)の基本的な考えとも合致しないことになるとも考えられ,その点を難点として指摘することもできる。
次に,正当防衛により丙の行為の違法性が阻却されるとの説明が考えられる。本事案において,甲は,Dにナイフをちらつかせながら現金を出すよう要求したものの,Dがそれを拒んだため,レジカウンターに身を乗り出してナイフの刃先をDの胸元に突き出したが,それでもDは甲の要求に応じる素振りを見せていない。そのため,甲が要求に応じないDをナイフで刺すという急迫不正の侵害が切迫している状況にあったといえ,ボトルワインを投げ付けた丙の行為は,Dのための防衛行為としてなされたものと考えられる。その上で,丙による防衛行為は,飽くまで甲の侵害に対する防衛行為としてなされており,それが甲との間で正当化される以上,それによって生じた結果も全て正当防衛の範疇に包含され,違法性が阻却されるなどの説明が考えられる。もっとも,刑法第36条には「不正の侵害に対して」とあり,文言解釈として,侵害に対してのみ防衛行為としての反撃が許されると解すべきと考えれば,防衛行為によって守られるべき者に対する攻撃を正当防衛として正当化することは困難と考えられ,この点が難点といえる。
次に,緊急避難により丙の行為の違法性が阻却されるとの説明が考えられる。正当防衛の説明における急迫不正の侵害の存在と同様に,Dに対する現在の危難が差し迫っていると考えられ,その上で,他人であるDの生命,身体を守るためにボトルワインを投げた行為によって,Dの正当な利益(身体)を侵害した場合であり,また,防衛の意思は同時に避難の意思をも含むと解し,さらに,同行為は丙が採り得る唯一の手段であったことから,補充性及び相当性の要件も充たし,避難行為から生じた害(加療約3週間の傷害)が避けようとした害(生命の侵害,重度の傷害)の程度を超えていないため,法益権衡の要件も充たすことから,緊急避難が成立し,違法性が阻却されるなどの説明が考えられる。もっとも,本事案では,丙は,Dの生命,重傷害という危難を避けようとして,Dに傷害を負わせているが,この結果は丙が実現しようとしたものではなく,緊急避難と評価できるかという点が難点といえる。また,危難から逃れさせるべきDに傷害を負わせていることから,避難行為がなされたとは言い難いともいえ,この点も難点といえる。
次に,丙は,飽くまでも主観的には,甲による急迫不正の侵害からDを防衛するという正当防衛の認識で反撃行為を行っているのであるから,主観的認識(正当防衛)と客観的事実(正当防衛の要件が充足されていない)との間に齟齬があるといえ,かかる状況は誤想防衛と類似することから,誤想防衛の一種に当たり,故意等が阻却されるなどの説明が考えられる。もっとも,本事案で,Dに対する急迫不正の侵害は現に存在している上,誤想に基づいて防衛行為に出たわけではないため,丙の行為を誤想防衛とみるのは困難と考えられる上,具体的符合説(具体的法定符合説)による処理の場合と同様に,過失犯の成立を否定することは困難と考えられ,そうした点が難点といえる。
さらに,緊急状況下で丙に期待可能性を認めることが困難であるから,責任が阻却されるとの説明が考えられるが,期待可能性は根拠規定のない超法規的な責任阻却事由である上,その有無の判断基準が明確でないとの難点がある。
参考答案AI生成(出題の趣旨と論証集をもとに作成した目安です)
第1 設問1(甲のAに対する罪責)
1 本件キャッシュカード等在中の封筒をダミー封筒とすり替えて持ち去った行為
(1)窃盗罪(刑法235条)と詐欺罪(246条1項)の区別
甲は欺罔を用いつつ、Aが印鑑を取りに行った隙に自ら封筒をすり替えて持ち去っている。そこで、本件が詐欺罪か窃盗罪かが問題となる。
両罪は、被害者の錯誤に基づく任意の処分行為が介在するか(詐欺罪)、占有者の意思に反して占有を取得したか(窃盗罪)によって区別される。したがって、Aに処分行為が認められるかを検討する。
処分行為とは、客観的に財物の占有を終局的に移転する行為であり、主観的に占有を終局的・確定的に移転することの認識・認容(処分意思)に基づくものでなければならない。
まず客観面について、Aが印鑑を取りに行った際、本件キャッシュカード等は甲の手中にあったが、その場所はA方玄関先というAの場所的支配領域内であり、Aが向かった居間は玄関の近くであって、Aは直ちに玄関に戻ることが可能であった。そうすると、Aの事実的支配は一時的に弛緩したにとどまり、甲への占有の終局的移転があったとはいえない。
次に主観面について、Aは、玄関近くの居間に印鑑を取りに行き、すぐ玄関に戻るつもりであったうえ、封筒は封印した上で後日金融庁職員に預けるまで自ら保管しておくつもりであったのであるから、占有を甲に終局的に移転する認識はない。現にAは封印したダミー封筒を自ら保管している。
したがって処分意思を欠き、処分行為は認められない。そうすると、甲の「印鑑を持ってきてください。」という言動も処分行為に向けられた欺罔行為とはいえず、詐欺罪は成立しない。
(2)窃盗罪の成否
キャッシュカードは、これを用いてATMから預金の払戻しを受けられるという客観的な経済的価値を有する有体物であり、暗証番号を記載したメモ紙もこれと一体となって同様の機能を有するから、いずれも「財物」であり、Aの所有に属する「他人の」財物である。
「窃取」とは、占有者の意思に反してその占有を排除し、財物を自己または第三者の占有に移すことをいう。甲は、Aが居間に印鑑を取りに行っている隙に、本件キャッシュカード等在中の封筒をダミー封筒とすり替え、同封筒を自己のショルダーバッグ内に隠し入れており、この時点で財物はAの支配領域内にあるとはいえ、外形上Aから認識できない甲の携帯物内に移されているから、Aの占有は排除され甲の占有に移ったといえる。よって、すり替えて隠し入れた時点で窃取に当たり、既遂となる。
甲は以上の事実を認識・認容しており故意がある。また、不法領得の意思とは、権利者を排除して他人の物を自己の所有物としてその経済的用法に従い利用し又は処分する意思をいう(最判昭和26年7月13日)。甲は、他人名義の預金口座のキャッシュカードを入手して口座内の預金を無断で引き出し現金を得ようと考えて本件行為に及んでいるから、権利者排除意思も利用処分意思も認められる。
(3)以上より、甲には窃盗罪が成立する。
2 なお、甲がATMから現金を引き出そうとした行為は、現金を管理する金融機関の占有を侵害するものであって、Aに対する罪責ではないから、本設問では論じない。
第2 設問2(乙の罪責)
1 問題の所在
乙は、窃盗犯人でないにもかかわらず、甲と共謀してCにナイフを示し「離せ。ぶっ殺すぞ。」と脅迫している。そこで、乙に事後強盗罪(238条)の共同正犯(60条)が成立するか、脅迫罪(222条1項)の共同正犯にとどまるかが問題となる。これは事後強盗罪の構造を身分犯と解するか結合犯と解するかに関わる。
2 事後強盗罪の共同正犯が成立するとの立場からの説明
第一に、事後強盗罪は「窃盗」犯人という身分を有する者のみが主体となり得る真正身分犯であると解し、65条1項は真正身分犯について身分の連帯的作用を、同条2項は不真正身分犯について身分の個別的作用を定めたものと解する見解がある。この見解からは、65条1項により非身分者たる乙にも事後強盗罪の共同正犯が成立する。
第二に、事後強盗罪は窃盗犯人という地位により暴行・脅迫の刑を加重する不真正身分犯であると解し、65条1項は真正・不真正を通じて共犯の成立を、同条2項は不真正身分犯における科刑の個別化を定めたものと解する見解がある。この見解からは、1項により事後強盗罪の共同正犯が成立し、2項により科刑のみ脅迫罪の刑による。
第三に、事後強盗罪は窃盗と暴行・脅迫との結合犯であると解したうえ、承継的共同正犯を全面的に肯定し、乙は甲の窃盗行為を承継するとして事後強盗罪の共同正犯の成立を認める見解がある。
3 脅迫罪の限度で共同正犯が成立するとの立場からの説明
第一に、事後強盗罪を不真正身分犯と解しつつ、65条2項は科刑のみならず成立する罪自体を個別化する規定であると解し、乙には脅迫罪の共同正犯が成立するとの説明がある。
第二に、238条の目的のうち取戻し防止目的の場合は違法身分として65条1項、その他の目的の場合は責任身分として同条2項を適用すると解する見解からは、乙の主観は取戻し防止目的であるが、客観的には甲の窃盗は未遂であって取り戻されるべき財物の占有がなく違法身分の前提を欠くから、1項の適用はなく2項により脅迫罪の共同正犯となる。
第三に、結合犯と解したうえ、承継的共同正犯を否定し、あるいは後行者が先行者の行為及びこれにより生じた結果を積極的に利用する意思のもとに加担した場合に限り承継を認める立場から、甲の窃盗は未遂であって乙が利用し得る先行行為の効果は存在しないとして、脅迫罪の共同正犯にとどまるとの説明がある。
4 自説
思うに、238条は「窃盗」を主体として規定しており、窃盗犯人という地位は主体の属性としての身分であって、同罪は真正身分犯と解すべきである。そして65条1項は身分が違法性を基礎づける場合に非身分者も身分犯の共犯となり得ることを、2項は身分が責任の軽重に関わる場合に個別作用が生ずることを定めたものと解する。事後強盗罪における窃盗犯人という身分は、暴行・脅迫の違法性を高める違法身分であるから、65条1項が適用される。
もっとも、本件では甲の窃盗は未遂であり、乙は甲が万引きを既遂したものと誤信して財物取戻し防止の目的で加担している。しかし、238条の「窃盗」には未遂犯も含まれると解されるから、甲は同条の主体たる窃盗犯人であり、客観的構成要件は充足される。また、甲は現金引出しに失敗した直後、Cに引き止められた店内という窃盗と時間的・場所的に接着した場面で脅迫に及んでおり、「窃盗の機会」に当たる。乙がナイフ(刃体約10センチメートル)を示して「ぶっ殺すぞ。」と告げた行為は、社会通念上一般に相手方の反抗を抑圧するに足りる程度のものであり、現にCは手を離して後ずさりしているから「脅迫」に当たる。
甲乙間には、Cの反抗を抑圧して甲をその場から逃がすことについての意思連絡があり、乙は自らナイフを示す重要な役割を果たしているから正犯意思も認められ、共謀が認められる。
なお、乙は甲の窃盗を既遂と誤信し、238条の目的についても取戻し防止目的であると認識している一方、甲は逮捕免脱の目的であった。しかし、窃盗が既遂か未遂かは事後強盗罪という同一構成要件内の事実にすぎず、また238条所定の各目的はいずれも同罪の主観的要件として等価であるから、これらの齟齬は故意及び共謀の成立を妨げない。
したがって、乙には事後強盗罪の共同正犯が成立する。もっとも、甲の窃盗は未遂であり財物の取得がないから、事後強盗未遂罪(243条、238条)の共同正犯となる。
第3 設問3(丙がDの傷害結果について責任を負わないとする説明とその難点)
1 丙は、ボトルワインを投げ付けるという有形力の行使によりDに加療約3週間の頭部裂傷を負わせており、Dの生理的機能を害しているから、傷害罪(204条)の客観的構成要件に該当する。そこで、丙の責任を否定する理論上の説明を検討する。
2 具体的符合説による説明
行為者の認識した事実と現に発生した事実が具体的に一致しない限り故意を阻却すると解する具体的符合説によれば、丙は甲を狙ったのに狙いが外れてDに命中したという方法の錯誤であるから、Dに対する故意は阻却される。そして、ボトルワインを投げ付ける行為が丙の採り得る唯一の手段であったことや緊急の心理状態を考慮すれば結果回避可能性がなく過失もないとし、あるいは過失行為について正当防衛・緊急避難が成立するとして責任を否定する説明が考えられる。
もっとも、丙は甲の間近にDがいることを認識しながらワインを投げ付けているのであるから、過失を否定するのは困難であり、過失傷害罪(209条)の成立可能性が残る点が難点である。
3 法定的符合説を前提とした説明
構成要件の枠内で符合する限り故意を認める法定的符合説によれば、「人」である甲を狙って「人」であるDに当てた本件ではDに対する故意が肯定される。これに対し、同説を前提としつつ、暴行の故意を向ける侵害者と、その侵害から救助すべき被侵害者とは、構成要件的評価の観点から法的に人として同価値とはいえず、故意の符合を認める根拠を欠くとして、Dに対する故意を否定する見解がある(大阪高判平成14年9月4日)。
難点は、過失犯の成立可能性が残ることに加え、行為を向けた相手が行為者にとっていかなる意味を持つ人であったかを重視する点が、「人」として同価値である限り行為者の主観的錯誤を重視しないという法定的符合説の基礎と整合しないことである。
4 正当防衛(36条1項)による説明
甲は要求を拒むDの胸元にナイフの刃先を突き出しており、Dの生命・身体に対する急迫不正の侵害が存在する。丙はDを助けるため唯一の手段としてワインを投げたのであるから、防衛の意思に基づく必要かつ相当な防衛行為である。そして、防衛行為が甲との関係で正当化される以上、それから生じた結果も全て正当防衛の評価に包含され違法性が阻却される、との説明が考えられる。
難点は、36条1項が「不正の侵害に対して」と定める以上、反撃は侵害者に対して向けられたものに限り正当化されると解すべきであり、防衛によって守られるべき者に生じた結果まで正当化することは文理上困難な点である。
5 緊急避難(37条1項)による説明
Dの生命・身体に対する現在の危難があり、防衛の意思は避難の意思を含むと解することができ、ワインを投げる行為は唯一の手段であったから補充性・相当性を充たし、生じた害(加療約3週間の傷害)は避けようとした害(生命侵害・重大な傷害)の程度を超えないから法益権衡も充たす、として違法性阻却を認める説明が考えられる。
難点は、避難行為により害を被ったのが、まさに危難から救うべきD自身であり、かつその結果は丙が実現しようとしたものでない点であって、これを避難行為及び避難意思と評価することが困難なことである。
6 誤想防衛に準ずるとの説明
丙は主観的には甲の急迫不正の侵害からDを防衛する正当防衛の認識で行為しており、主観と客観の齟齬がある点で誤想防衛に類似するとして、責任故意を否定する説明が考えられる。
難点は、本件ではDに対する急迫不正の侵害が現に存在し、丙は誤想に基づいて防衛行為に出たわけではないため誤想防衛と同視し難いこと、及びやはり過失犯の成立を否定し難いことである。
7 期待可能性による説明
緊急状況下で丙に適法行為を期待することは困難であるとして責任を阻却する説明も考えられるが、期待可能性は明文の根拠を欠く超法規的責任阻却事由であり、その有無の判断基準が不明確である点が難点である。
8 以上のうち、私見としては、侵害者と被侵害者との間に構成要件的同価値性を認めるべきではないから、法定的符合説を前提としてもDに対する故意は否定され、ただ過失傷害罪の成否が残ると解する。
以上