予備試験 令和8年 刑事実務基礎
問題文
次の【事例】を読んで、後記〔設問〕に答えなさい。
【事例】
1 H地方検察庁の検察官Pは、H県警察の司法警察員から、令和8年3月1日にH県I市内の路上においてV(当時27歳、男性)が被害に遭った殺人未遂被疑事件について、A(当時29歳、男性)の逮捕の可否を相談された。その時点までに収集・作成された主な証拠は以下のとおりであった。
⑴ 119番通報に関する捜査報告書(証拠①)
令和8年3月1日午後10時32分頃、W(当時65歳、男性)から、「つい先ほど、H県I市内の自宅近くの路上を西に向かって散歩していたところ、野球帽をかぶった男が前方(西)から走ってきて、すれ違いざまに、私に対し、『救急車を呼んでくれ。』と言い、そのまま東に走り去った。何だろうと思いながらそのまま西に50メートルほど歩いたところ、頭と右腕から血を流して倒れている男性を見付けた。周りに人が全くいなかったので、私が通報した。」旨の119番通報があったことが記載されている。
⑵ 救急隊員からの聴取結果に関する捜査報告書(証拠②)
救急隊員が前記 ⑴の119番通報を受けて現場に臨場し、頭部及び右腕から血を流し、意識を失って路上に倒れていた男性(V)を発見し、甲病院に救急搬送したことが記載されている。
⑶ 甲病院医師からの聴取結果に関する捜査報告書(証拠③)
Vは甲病院に救急搬送されてきた際、大量に出血しており、血圧及び意識レベルが低下し、直ちに救命措置を講じる必要がある状態であったこと、V の負った傷害はその後の診察及び検査の結果、全治まで約3か月間を要する頭部割創、右上腕部割創、右 上腕骨亀裂骨折であり、頭部割創は長さ約5センチメートル で頭蓋骨に達するもの、右上腕部割創は長さ約8センチメートル で上腕骨に達するものであったこと、医師らの救命措置によりVが一命を取り留め、意識が回復し、会話ができるようになったことが記載されている。
⑷ Vの司法警察員に対する供述調書①(証拠④)
「令和8年3月1日午後10時30分頃、 私が帰宅する途中、突然、後ろから誰かが走って近づいてくるような足音が聞こえ、振り返ったところ、野球帽をかぶってマスクを着けた人が、右手に持った大きな刃物のようなものを振り上げて きた。私は、とっさに避けようとしたが避けきれず、その刃物のようなもので頭をたたかれた。私は、体勢を崩して路上に座り込んだ。犯人は、路上に座り込んだ私の右横に立つと、刃物のようなものを犯人の頭より上に振り上げ、私の頭目掛けて思い切り振り下ろしてきた。私は、とっさに両腕を頭の上に上げて頭を守った。すると、犯人が振り下ろした刃物のようなものが私の右腕にもろに当たった。私は、『やめてください。お願いします。』と言ったが、ふらついてその場に倒れ込んでしまった。意識がもうろうとする中で犯人の方を見ると、犯人は刃物のようなものを持ったまま東に走り去った。私は、そのまま意識を失ってしまったようで、次に気付いたときには病院に搬送されてベッドに寝かされていた。現場は 、元々人通りが少ない場所で、当時も周りに人はおらず、誰かに助けを求めることはできなかった。
犯人は野球帽をかぶってマスクを着けていたので 、犯人の顔は見えなかった。犯人の 容姿は、黒っぽい野球帽をかぶってマスクを着けていたほか、上下黒っぽい服装で両手に白い軍手を着けており、黒っぽいリュックサックを背負っていた。 犯人の体格は、中肉中背だと思うが、座り込んだ姿勢から見上げる形で見たことから、よく分からない。」 旨記載されている。
⑸ コンビニエンスストア「乙」の防犯カメラ等に関する捜査報告書(証拠⑤)
警察官が現場西方約100メートルの位置にあるH県 I 市内のコンビニエンスストア「乙」
の防犯カメラ映像を確認するなどしたところ、黒色野球帽とマスク着用、上下黒っぽい服装で黒色リュックサックを背負った人物(顔は不鮮明)が西から現れて入店し、 令和8年3月1日午後10時23分頃、交通系ICカードを使用してたばこを購入する状況、同日午後10時26 分頃から約30秒間、赤色マスコットのストラップが付いたスマートフォンで通話している状況、同日午後10時28分頃、退店して東に立ち去る状況がそれぞれ録画されていることが記載されている。
⑹ 交通系ICカードに関する捜査報告書(証拠⑥)
前記⑸の人物がコンビニエンスストア「乙」でたばこの購入に使用した交通系ICカードの登録状況について警察官が捜査したところ、カードごとに割り振られる固有のID番号が判明したものの、登録者情報がない無記名のICカードであることが判明したことが記載されている。
⑺ 現場付近に遺留されたビニール袋に関する捜査報告書(証拠⑦)
令和8年3月1日 午後11時頃、警察官が現場付近の路上を探索した結果、路肩の草むらの中から、斧、マスク及び白い軍手が入ったビニール袋が発見され、これらが領置されたことが記載されている。
⑻ 斧(証拠⑧)
前記⑺で領置されたもの。刃体の長さ約10センチメートル、重量約1キログラム。刃体部分に血液様のものが付着している。
⑼ 斧に付着した血液様のものに関する鑑定書(証拠⑨)
証拠⑧の斧の刃体に付着したものが人血であり、そのDNA型がVのDNA型と一致する旨の鑑定結果が記載されている。
⑽ マスクに付着した微物に関する鑑定書(証拠⑩)
前記⑺のマスクの内側から採取した微物のDNA型が、警察において把握していたAのDNA型と一致する旨の鑑定結果が記載されている。
⑾ ビニール袋の指紋に関する鑑定書(証拠⑪)
前記⑺のビニール袋外側から採取した指紋が、警察において把握していたAの右手中指の指紋と一致する旨の鑑定結果が記載されている。
⑿ Vの司法警察員に対する供述調書②(証拠⑫)
「警察官から、Aという男性を知っているかと聞かれたが、その男性は、私の交際相手であるSの元交際相手で ある。Sは、最近、Aに付きまとわれていると話していたし、私も、1週間ぐらい前、帰宅途中に、私の自宅近くの路上に立っていたAらしき男から、じっとにらまれたことがあった。」旨記載されている。
⒀ 通話履歴に関する捜査報告書(証拠⑬)
警察官が携帯電話会社にA名義での契約を照会し、判明した携帯電話番号(以下「A名義携帯電話番号」という。)について通話明細の差押え等の捜査を実施した結果、 令和8年3月1日 午後10時26分から30秒間、A名義携帯電話番号からS名義の携帯電話番号に対する発信・通話の記録があり、その発信場 所がH県内であると判明したことが記載されている。
⒁ Sの司法警察員に対する供述調書(証拠⑭)
「私は、以前、Aと交際していたが、令和8年2月14日に交際関係を解消し、Vと交際するようになった。その後、Aは、私に付きまとうようになった。同年3月1日午後10時26分から30秒間、A名義携帯電話番号から私名義の携帯電話番号に電話がかかってきた記録があるとのことであるが、確かにその頃Aが私に電話をかけてきた。私は、本当は出たくなかったものの、無視して逆上されても怖いので電話に出たところ、Aから『改めて確認するけど、あの男と別れるつもりはないんだな。』と言われ、怖くなって何も答えずに電話を切った。コンビニエン スストア『乙』の防犯カメラ映像(証拠⑤)を見せてもらったが、映っている人物は野球帽とマスクを着けていて顔がよく見えないのでAかどうかは分からない。」旨記載されている。
2 H地方検察庁の検察官Pは、H県警察の司法警察員に対し、各証拠を総合すれば、Aの犯人性を推認することができることから、Aを殺人未遂及び銃砲刀剣類所持等取締法違反の事実で逮捕するのが相当であると伝えるとともに、A方の捜索差押えを実施することを指示した。その際、検察官Pは、H県警察の司法警察員に対し、仮にA方から交通系ICカード、スマートフォン が発見された場合には、 ㋐それらの発見場所・発見状況を写真撮影して証拠化すること、Aと同居しているAの実母から、発見場所の利用状況やA以外の者の出入りの有無・状況について聴取することを指示した。
H県警察の司法警察員は、その後、殺人未遂及び銃砲刀剣類所持等取締法違反の事実でAの逮捕状及びA方の捜索差押許可状の発付を受け、Aを逮捕するとともにA方の捜索を実施した。その後に得られた主な証拠は以下のとおりであった。
⑴ 捜索差押調書(証拠⑮)
警察官が、令和8年4月1日午前8時から、H県内のA方の捜索を実施したこと、Aと2人で居住するAの実母(59歳)が立会人であること、警察官が、Aの寝室から、交通系ICカード、前記1(5)の防犯カメラに映る人物が所持又は着用していたものとよく似た赤色マスコットのストラップが付いたスマートフォン、黒色野球帽、黒色ジャンパー、黒色ズボン及び黒色リュックサックを発見し、差し押さえたことが記載されている。
⑵ 交通系ICカードに関する捜査報告書(証拠⑯)
A方から押収した交通系ICカードの固有のID番号が、前記1 ⑸でコンビニエンスストア「乙」において使用されたものと一致したことが記載されている。
⑶ スマートフォンの解析結果に関する捜査報告書(証拠⑰)
A方から押収したスマートフォンの自局電話番号が、証拠⑬のA名義携帯電話番号と一致したこと、同スマートフォン端末に、令和8年3月1日午後10時26分、S名義の携帯電話番号に発信し、30秒間通話した記録があること等が記載されている。
⑷ Aの実母の司法警察員に対する供述調書(証拠⑱)
「私は、Aと2人暮らしをしている。Aの寝室はふだんからAだけが使っており、私が室内に入ること はない。3年ぐらい前に掃除のためAの寝室に入ったところ、Aから『部屋に入るな。』とすごい剣幕で怒鳴られたことがあり、それ以来、Aの寝室に入っていない。Aは友人が少なく来客はないので、Aの寝室に入る人はA以外にはいない。」 旨記載されている。
⑸ Aの司法警察員に対する供述調書(証拠⑲)
「私からSを奪ったVのことが憎く、Vに痛い思いをさせてやろうと考え、令和8年3月1日夜、斧を持ってVの自宅近くに向かった。V方近くのコンビニエンスストア 『乙』
に立ち寄ったときに、Sに電話をかけて、Vと別れる気がないのか尋ねたが 、Sは何も答えなかった。その後、Vの自宅近くに向かったところ、すぐにVが現れたので、斧で切り付けてVにけがをさせたことに間違いない。しかし、Vを殺すつもりはなかった。私が斧でVを切り付けた後、Vは、流血で真っ赤になった顔で、『やめてください。お願いです。』と言いながらその場に倒れ込み、動かなくなった。Vが倒れ込んですぐにVの体の下の血だまりがどんどん大きくなっていった。私は、その様子を見て、一気に冷静になると同時にとんでもないことをしてしまったと後悔し、Vをそのままにしてその場から立ち去ったが、偶然通行人と すれ違ったので、その通行人に119番通報を依頼した。」 旨記載されている。
⑹ Aの検察官に対する供述調書(証拠⑳)
証拠⑲と同旨。
⑺ Vの検察官に対する供述調書(証拠㉑)
証拠④⑫と同旨。
⑻ 法医学者の検察官に対する供述調書(証拠㉒)
「Vの右上腕部割創・右上腕骨亀裂骨折の傷害は、斧(証拠⑧)により生じたものとして矛盾しない。これらの傷害が この斧により生じたとすれば、かなりの強さで斧をたたき付けるなどしたものと推測される。その強さで頭部に この斧をたたき付ければ、頭蓋骨骨折・脳挫傷等により相手方を死亡させる危険性が高い。Vの頭部割創の傷は、 この斧をたたき付けられた際に避けようとして避けきれずにできたものと考えて矛盾しない。Vの右上腕部割創・右上腕骨亀裂骨折の傷害は1回の打撃により生じ、頭部割創はこれとは別の1回の打撃により生じたものと考えて矛盾しない。Vの右上腕部の割創は、右上腕部を通る太い動脈である上腕動脈を損傷するもので、出血量も相当多かったはずである。被害後速やかに救急搬送されて救命措置が講じられたため一命を取り 留めたが、放置されていれば、Vはほぼ確実に失血死していた。」旨記載されている。
3 ㋑検察官Pは、Aにつき、「被告人は、令和8年3月1日午後10時30分頃、H県I市内の路上において、V(当時27歳)に対し、殺意をもって、持っていた斧(刃体の長さ約10センチメートル、重量約1キログラム)を頭部目掛けて2回たたき付けたが、同人に全治まで約3か月間を要する頭部割創、右上腕部割創及び右上腕骨亀裂骨折の傷害を負わせたにとどまり、その目的を遂げなかったものである。」との殺人未遂の公訴事実及び銃砲刀剣類所持等取締法違反の公訴事実で公判請求した。
H地方裁判所は、Aに対する殺人未遂等被告事件を公判前整理手続に付した。検察官Pは、証拠①から③まで、⑤から⑪まで、⑬から㉒までの証拠調べを請求した。 ㋒Aの弁護人Bは、Aと接見し、Aの主張が証拠⑲の供述内容のとおりであったことから、「証拠㉑及び㉒は不同意、その余の書証は同意、証拠物は異議なし」との証拠意見を述べた 上、「Aが本件の犯人であること及びVに対して斧で切り付けて傷害を負わせたことは争わないが、Aに殺意はなく、傷害罪が成立するにとどまる。」旨の予定主張記載書面を提出した。
㋓検察官Pは、本件について中止犯 は成立しないと考えていた ため、証明予定事実記載書に中止犯の成否に関する事実を記載しておらず、弁護人Bも同事実に関する主張をしていなかったが、㋔裁判所は、本件では中止犯の成否が問題となり得ると考えた。
4 検察官Pは、Vの証人尋問を請求するに当たり、Vと打合せをしたところ、Vが「今回の事件について、私の氏名までは報道されなかったものの、男女関係のトラブルに起因する事件であるなどと週刊誌で大きく報道されたこともあり、気分が塞ぎ込むようになり、今でも眠れないときがある。今回の裁判で傍聴人の好奇の目にさらされ、イン ターネット上に私の氏名や容貌を書き込まれるなどして日常生活に支障が生じるのが怖いので、 ㋕私の氏名を裁判の場で明らかにしてほしくないし、私の姿を傍聴人に見られたくない。 」旨の要望を述べた。
〔設問1〕
⑴ 検察官Pが下線部㋐の指示をした理由を答えなさい。
⑵ 検察官Pは、下線部㋑のとおり公判請求する時点において、Aの犯人性を推認する事実として、Aの供述を除いても、 事実1「Aが犯行直後に凶器や所持品を現場付近に投棄した事実」のほかに、 事実2「Aが犯行直前に犯行現場付近にいた事実」を認定することができると考えた。検察官Pが事実 2を認定することができると考えるに至った推認過程について、具体的な証拠を指摘しつつ答えなさい。
〔設問2〕
弁護人Bが、下線部㋒のとおり証拠意見を述べたもののうち、証拠㉑及び㉒につき不同意、証拠⑦、⑩及び⑪につき同意として、証拠意見を異にした理由を答えなさい。
〔設問3〕
⑴ 検察官Pが下線部㋓のとおり中止犯が成立しないと考えた理由について、具体的事実関係に即して答えなさい。
⑵ 裁判所は、下線部㋔のとおり中止犯の成否 が問題となり得ると考えた場合、どのような対応を採るべきか答えなさい。
〔設問4〕
検察官Pは、下線部㋕のVの要望を踏まえ、どのような手段を採り得るか、条文上の根拠を示しつつ答えなさい。
〔設問5〕
弁護人BがVと示談の交渉をしたところ、Vは、示談金100万円であれば示談に応じても構わないと述べた。弁護人Bは、これを踏まえてAと接見したところ、Aから「親族にも頼み込んで90万円までは何とか準備できたが、どうしてもあと10万円足りないので貸してもらえないか。」と頼まれた。この場合、弁護人BがAに10万円を貸 すことについて弁護士倫理上どのような問題があるか、司法試験予備試験用法文中の弁護士職務基本規程を適宜参照して答えなさい。
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